<事務局長のサポート日誌>(その4)

●2021年3月4日 これから人生のリベンジが始まる

3月4日(木)
❶2月23日(火)に埼玉県の某駅でSOS対応して生活保護申請同行の約束をしていた20代の青年Y君と今日やっとの事で**福祉事務所で再会できて無事に、申請受理されてビジネスホテルを経由してアパート入居を目指します。SOSの際にもY君の携帯の充電切れで待ち合わせができなくて翌日対応、今回の申請同行も3回目の正直でした。1回目は当日朝に体調不良でキャンセル、2回目は昨日に印鑑と身分証明が見つからず、生保申請できないと思い「もう私は駄目です。さようなら」」とメールが来てキャンセル。もう所持金はないはず。印鑑は買えばいいし、身分証明無くても申請できるから絶望しちゃ駄目だよ~とメールで説得、今日やっと会えた。都内で20日前までホストクラブで働いていたが、コロナ禍で客がいなくなり、つけの客からも支払ってもらえず、自分が肩代わりするしかなく、全財産を失った。社会に絶望したY君は、会って話すと誠実だ。幼少の頃からの成育歴を聞けば聞く程、Y君の現在は決して「自己責任」でない。アパート入居と仕事探しを一緒に頑張ろうよ!と約束した。これから人生のリベンジが始まる。
❷午後は首都高➡外環➡関越を走り抜けて埼玉県S市に移動し、40代の女の生活保護申請同行、地元の支援団体や東京の他の支援団体に連絡したが繋がる事ができずに独りぼっちの寂しい心で追い詰められていたようだ。以前にも自立支援含め相談歴がある。コロナの影響で仕事も少なくなり所持金も僅か、生活保護申請にひとりでいくのがたまらなく不安だったようだ。福祉事務所に到着して担当していた自立支援相談員さんと打ち合わせして、無事に生活保護申請受理された。相談員さんの何人かが気さくな方で、東京の困窮者支援の状況を興味深く聞きにきた。帰り道のS市の街道沿いの多くの店がコロナの影響で潰れている。地方の現状は深刻だ。
➌夜は、今日から反貧困ネットワークのシェルター「ささえあいハウス」に入居する70代の男性の面談と入居準備の為に東京に戻る。シェルターに入居してアパートを探して入居して生活保護申請すると聞いた。野宿生活が長く、以前に無料低額宿泊所の劣悪な環境から失踪した事で、千葉県の**福祉事務所は、単純にアパート入居を認めないらしい。おじさんが安心できるアパートに転居できるまで、安心して居ていいですよ!と伝えた。おじさんは嬉しそうに笑った。

●2021年3月3日 相談SOSの内容が明らかに深刻化している

3月3日(水)
緊急アクションをつくり、SOS駆けつけ対応を始めた昨年の春から夏頃までは、「死にたくなくないのに死んでしまう」このような叫びが多かった。1月以降からSOSだけでなく、あちこちから電話やメールで届く相談SOSの内容が明らかに深刻化している。「死のうと思ったが死ねなかった。」「もう死なせてください。」などコロナウイルス感染症の雇用影響が更に犠牲になったひとりひとりに経済的貧困だけでなく、悩みの長期化によって精神を壊し尽くし始めている。最近は、SOSを受けての駆けつけ支援や生保申請同行実務以上に相談者ひとりひとりの悩みや孤立に関するフォローに大半の時間を費やす。地域に繋ぐ作業も治療に繋げる事すら大変なケースが多い。でも「生きてほしい、」「助けて欲しいと言っていいんだよ。」「独りじゃないよ!」と言い続ける。励まし続ける。
❶今日は午前に生活保護申請同行予定が直前にキャンセル、精神的に不安定な状態に陥る。「印鑑も個人証明もない。僕なんか生活保護なんて受ける権利なんかない。」と直前のキャンセルメール、メールのやり取りをおこない明日に、生保申請に再チャレンジする事になった。「人生 何度でもやり直せる」彼はまだ20代なんだ。
❷上野からのSOSで出会った青年も30代の青年、コロナ禍で仕事を失い、寮から追い出され、半年の間、ネットカフェで寝泊まりするか、どうしても所持金が底をついた際には野宿をしながら過ごしていた。やっと日給制の仕事から月給制の仕事に変わったため、継続的かつ安定的な収入が今後は見込めるが、27日が給料日で、その日まで生きていけない。所持金は3円、彼のような事例も増えている。少額の生活給付金とチャレンジネットのビジネスホテル提供を組み合わせる事で、生き続ける体制を整える。
➌次に向かったのは神田駅で出会った20代の男性、地方でレストランのコックとして働いて来たが、コロナの影響で人員が減らされ、少人数で働かされ、経営の悪化に伴い、パワハラも横行、精神的に追い詰められたという。東京に希望を繋ぐが、緊急事態の東京は更に厳しく所持金も尽きた。泣きながら話す青年と協議のうえ、いったん故郷に帰る事にした。今頃、深夜バスの中で眠っているだろう。故郷に帰る交通費を支援した。
❹自宅に戻る車中に携帯電話がなる。生活保護申請に同行してアパート暮らしを実現している男性からだった。「もう無理です。死にたいです。」生活保護制度を利用してアパートに入居できても、コロナの影響は深刻で仕事が見つからない。孤独になり自暴自棄になる。彼の家に駆けつけ、ラーメン屋に入り、久し振りに二人でお腹を膨らませる。「生きていなければ駄目だ、」反貧困ネットワークでは3月6日にワーカーズコープと一緒に「仕事づくり交流会」を開催し、支援してきた10名が参加する。彼も参加予定だ。働くだけでなく仲間であり続ける事、協働する事、生きている事は悪い事ばかりじゃない。



●2021年3月1日 コロナで仕事を失い母親の介護も重なる

3月1日(月)
❶先週金曜日に生活保護申請同行した都内城東エリアの**区福祉事務所、居所がないUさんの申請受理条件として、**区の境界線である道路の反対側にある★★区にある反貧困ネットワークのシェルター「ささえあいハウス」に一時的にでも居住するのは認められない。**区のドヤに移動させて欲しいと譲らなかった。Uさんは**区生まれで、現在まで**区に住んでいて、コロナの影響で仕事を失い家賃未納でアパートを追い出されて野宿を強いられた。事情があって生活保護申請するまで時間がかかり、私たちのシェルターに泊まってもらった。Uさんは**区民だ。しかし**福祉は「現在地保護」ではなく前泊主義にこだわった。仕方なく**区の小さすぎるドヤに前日に移動して今日を迎えた。
今日のケースワーカー面談、しかしケースワーカーは同席したものの、主に対応したのは係長だった。あれ程、金曜日に「アパート入居」を約束したのに、係長は就労指導と更生施設入所を勧めた。今日は私が頑張るしかない。「他の区の福祉事務所でも区外のシェルターで一時的に居住してアパート入居を果たしていますよ。認めないなんて聞いた事ありません。」
「私たちの団体のシェルターですから安否確認も、生活状態も把握できるので責任を持ちますからシェルターをアパートが決まるまで居住させてください。」ここだけは譲らなかった。係長はすんなりと受け入れ、保護決定までの貸付金も1日当たり1600円支給された。最悪の前評判だった**福祉だったが、とりあえず私たちが求めた、当たり前の要求はほぼ受け入れられた。
❷午後からは、湾岸エリアの**区福祉事務所に移動して50代の男性の生活保護申請同行です。建築系の職人だったが、コロナ禍で仕事と住まいを失い、ひとりで生活保護相談にいったら、追い返され、所持金もなくなり、SOSを頂いた。都内や神奈川などあちこちで、不当で意味不明な理由で追い返し事例が続出している。比較的、真面な対応をしてくれる今日の福祉事務所、カンタンに申請受理してくれる状態に相談者も驚き‼支援者が同行しないと追い返される現実、『生活保護は権利です。」首相や厚労大臣がいくら国会で答弁しても現場の現実は燦燦たる状況なのだ。しかし、**区福祉事務所は、今までビジネスホテルを一時宿泊先を提供してくれた。今日は状況が一変していた。相談員いわく、ビジネスホテルは3月7日に予定される「緊急事態宣言」終了にともない、提供を止めるよう東京都から指示がきていると言うのだ。1月以降、SOSが急増、2月からは家賃滞納で住まいから追い出された人たちが急増している。「底が抜けた」状況が続いている状況を東京都は解っていない。みんな無低や施設に送り込むつもりなのだろうか。支援団体のシェルターも限界が来ている。今日は、よく知っている「簡易宿泊旅館」を私から指定してアパート入居に備える。いずれにしても他の福祉事務所ものビジネスホテルを取りやめるのか数日の状況を把握して緊急アクションとして申し入れをおこなう必要がありそうだ。
➌福祉事務所を出発して、近くに住む20代の男性R君が住むアパートに訪問、生保申請同行して1カ月以内にアパート入居を実現したのだけれど、入居後に近隣住民の生活音が大きく、昼も夜も眠れないとのSOSが入ったからだ。不動産屋さんと一緒に部屋の中で状況確認、確かに上階からのテレビの音が聴こえてくる。夜になって多くの部屋の生活音が聴こえてくるのであろう。短時間の内見では気づかない場合が多い。せっかくのアパート入居なのに、音でうつ病になってしまったら大変だ。以前に他の区で同様の問題があり、ケースワーカーに再転居を認めてもらい、入居費用を支給してもらった事がある。来週にでもR君と一緒にケースワーカーに会いにいこう。
❹夜は、再度の城東地域の公園で待つ女性に会いに行く。80代の母と一緒に公営団地に住んでいる。コロナで仕事を失い、同居する母親の介護も重なっている。家賃や水道代が払えていない。年末に福祉事務所にいったら「予約しないと生活保護の相談は受け付けられない」という。公営団地での母と子の餓死事件が頭をよぎる。地元の議員さんと一緒に来週、福祉事務所に経過確認と生活保護含めて居住問題、使える福祉制度の利用など「生きていく為のセーフティーネット」を提供する責任を果たすよう求めていく。

●2021年2月28日 反貧困ネットワークの会議、法人移行を確認

2月28日(日)
❶毎日のように通い続けている新宿駅西口、今日のSOSは20代の女性、体調も悪く仕事があまり出来ず、コロナの影響もあって居所も失い、所持金がなくなっていた。ネットカフェに泊まるにも所持金が足りない。福祉事務所に相談したら社協の貸付ぐらいしか使える制度がないと言われたという。家を失った女性に何て配慮がない対応をするのだろう。厚生労働省は、『生活保護は権利』どんどん使ってほしいと言う。しかし、あちこちの福祉事務所で、追い返しが続いてる。現場との落差は酷い。自己責任社会は容赦なく切り捨てる。福祉事務所も容赦なく追い返す。今週一緒に福祉事務所にいく事を約束した。
❷夜は、事務局長を拝命頂いている、反貧困ネットワークの全体会議を開催した。今朝まで膨大な提案資料を作成していた。2007年の設立以降、任意団体であった反貧困ネットワークを4月から一般社団法人反貧困ネットワークに移行させる。その為の設立準備会だ。設立趣意書、定款、役員と設立時社員選任、法人化移行スケジュール、第一期事業計画、第一期事業予算、専従職員の労働条件と賃金、事務局体制、シェルター「ささえあいハウス」定期住宅賃貸契約書締結など盛沢山の議案提案、3月31日の設立総会を踏まえて4月に登記申請して、正式に法人移行する事が確認できた。「任意団体」から「一般社団法人」に変わることで、ネットワーク運動をつうじた社会的可視化の運動だけでなく、経済的弱者をささえあいの精神で支えあう、事業をすすめることができます。特に私個人に集中していた反貧困ネットワークでの相談フォームに届くSOSを、多くのスタッフで分担、生活保護申請同行から、レンタル携帯配布、アパート入居から就労自立に向けた支援、日本国籍を有しない人々の専任担当など、それぞれの担当スタッフを配置する事も確認しています。コロナ禍以降の生活変化を見据えて「反貧困TV」を定期的に配信する事も確認、これまでの運動で培ってきたネットワークを存分に活かし、「貧困問題を社会的・政治的に解決する」活動と事業をつうじて、これからも社会に貢献していきます。

●2021年2月27日 八王子困りごと相談会に参加しました

2月27日(土)
❶八王子困りごと相談会に参加しました。私をご指名で待っている女性がいるとの事、眠い眼をこすりながら中央高速を走らせる。午前からお昼にかけて、携帯電話が鳴り続ける。なぜか大阪の西成あいりん地区の三角公園やドヤから3人連続でSOSが来る。当然だが大阪からの相談には対応できない。あいりん地区の困窮者が、何故、反貧困ネットワークに連絡してくるのだろうか、事態は深刻だ。八王子の相談会、2日間の開催で100名を超える相談者が来たのではないだろうか、子ども連れのお母さん含め女性の相談者、家を失った相談者も3名、府中派遣村の松野さんを中心に、先にアパート入居をおこない、生活保護申請に同行するという。新宿や池袋の都会のターミナル駅でないのに、やっぱり底が抜けてしまったんだと実感しました。私を指名してくれた女性、福祉事務所からの尊厳否定の対応に怒りが収まりません。これからもじっくり、福祉事務所の問題点を整理して必要な対応を検討します。彼女と私の共通点は、“NOWAR”でした。
❷八王子を出発して新宿に向かうが昨日の深夜にSOSをくれた男性からの返信が途絶えて待ち合わせできず。夜に電話が来て待ち合わせ場所の再設定、東京に戻る最中に埼玉県志木市のコンビニから40代の男性から緊急SOSの電話を受けて向かう。コロナでビルメンテナンスの仕事を解雇された。別のビルメンテナンスの会社に自家用車で向う仕事に再就職したが、初任給が支給される3月5日までにガソリン代も食費もない。コンビニでガソリンも殆ど尽きて自宅にも帰れない状態だった。しょうがない。命を繋いだ。

●2021年2月26日 帰宅後にも助けての電話が、完全に底が抜けた

2月26日(金) ❶都内城東エリアの**区福祉事務所、前評判を超えた意味不明の酷い対応でした。心震えました。生保申請同行させて頂いた相談者は40代の男性、1週間程前から、反貧困ネットワークのシェルターで一時的に個室アパートに宿泊しています。建築の仕事がなくなり、家賃滞納でアパートも強制退去さられて、路上かSOSを受けた。すぐ生活保護申請に行けない事情があった。

★今日の申請、年配の相談員二人が対応、構えている事がよく解る。こちらも緊急アクションの小椋足立区議と地元の区議さんも後ろに控えている。**福祉は冒頭から、生活保護の申請に来たと言っているのに案の定、施設、自立支援センターを勧めてくるので抗議して取り下げさせた。前評判通りの進行です。次からが前評判を超えた展開です。「**区から道路一本隔てた◎◎区の反貧困シェルターに居るから、◎◎区で申請し直せとの主張、相談者の男性は**区に住民票があり、追い出されたアパートも**区、親も病弱で**区にいる。あったら面倒見たいと言う。本人の希望がいちばん大事だ。30分~40分も待たされ、東京都の見解は現在地は◎◎区だから◎◎区で申請だと言っているから受け付けられないと譲らない。押し問答の末、ケースワーカー面談が月曜午前に面談がある前日から、**区のドヤ(綺麗な個室ドヤを私が予約)に宿泊する事で、やっと申請受理された。**は悪質なピン跳ねと自立を阻害する悪質な無料低額宿泊所に居所がない相談者をバンバン送り込む有名な福祉事務所だ。相談員である係長に「私たちが関わる以上、アパート入居させるので了解するように」と伝える。**区のやり方はケースワーカーが支援者との分断をはかり無低に入所させるのが常套手段と聞いているので、来週月曜日の午前にケースワーカー面談に同行する事とします。やれやれ!
❷福祉事務所を出て近くの駅で待っている相談者の女性と会う。以前に城東エリアの別の**福祉事務所に生活保護申請にいったら追い返され、絶望して餓死寸前で病院に運ばれて、やっと生活保護を利用、その後も就労、就労とせかされる日々、ケースワーカーに会うのが恐いという。そしてひとりぼっちが寂しいという。泪橋ホールの事、3月6日に開催するワーカーズコープと連携した「しごと探し・しごとづくり相談交流会」に誘ってみた。出会いを求めて参加してくれると答えてくれた。
➌少しの間、反貧困ネットワークのシェルターに寄った。2月6日に韓国大邱市の友人である小池さんからSOSがあり保護した23歳のJ君、日本の業務請負会社を通じて就職が決まり、1月6日に来日、設計の仕事だったはずが、二週間の隔離終わりいざ仕事というところで、会社に行ったら単純労働。話が違うよと抗議したら、首を切られて、寮も2月6日に追い出された。シェルター入居者第一号として受け入れた。昨日、シェルターの管理人である内山さんから連絡があり、福岡の設計会社に社員として採用されて来週火曜に旅立つという。卒業生第一号です。少し役割を果たせて本当に良かったです。
❹夜は、東武東上線沿線の**駅でSOSをくれた50代の男性Yさんが待っていた。家賃未納でアパートからお追い出され、**福祉事務所はすぐには対応出来ないと追い返された。お金が無いので野宿、食べ物も食べてない。来週火曜日に生活保護申請に同行する事にしました。金曜の夜、帰宅後にも、公園のベンチから助けてほしいとの電話が入る。完全に底が抜けた。

●2021年2月25日 原発作業員の切り捨てを放置している

2月25日(木)
❶福島県K市が相変わらず酷い対応を続けている事が解った。急遽、Facebookのメッセンジャーグループの電話通信会議をおこない、支援している福島の仲間たちと緊急対策会議となった。
★九州から福島に来て原発の除染作業員として働いていたが2月から郡山市に来て、駅前で路上生活をしていて、原発事故被災者支援を続けている福島の友人が保護した。問題はK市の生活保護申請受理段階の対応だ。相談者の男性は路上生活で所持金は400円、それなのに福祉事務所では、申請受理したが、保護決定される14日間、保護費からの前払いも渡せない。一時的な居住場所も提供できないと主張したらしい。2年前も同様の事案が発生して、その時の除染作業員(名古屋の笹島から福島市で住み込み除染作業で雇い止めにあい、歩いてK市に来て追い返され行方不明に)と同様の対応をしている。今日は支援者が同行して申請受理までされたが、生保決定まで、飲まず食わずで居所がなくても仕方ないとの態度に終始したらしい。私の脱原発の友人たち8名が最近、困窮者支援のグループを結成し、一時避難先の空き室マンションをシェルターとして提供して、みんなで食糧と生活支援をおこなうが、K市は「居宅保護責任」を放棄している。福島県は空き家も県営団地も空き室が多い。福島原発の原発作業員も全国各地から困窮にある人々が集められ、下請け労働で搾取されている。この現状に加え、コロナ災害だ。K市は早急に対策を打て!福島県は原発事故避難者を追い詰めるだけでなく、原発作業員の切り捨てを放置している。本当に酷いし、情けない。
❷昨年の6月以降、支援し応援を続けてきた仮放免状態の若いトルコ国籍の若い男性の配偶者ビザが出たのです。パートナーは日本人、赤ちゃんとネコちゃんの家族、10代後半で来日して難民申請するも認められず、就労不可、健康保険もなし、経済的に困窮していて埼玉県の自宅に何回も訪問して給付サポートと激励を重ねた。彼はいつも言っていた。「私は彼女が生活保護を受けてほしくないのです。私は働きたい。日本人と同じように働いて税金を払って堂々と暮らしたい。」これで堂々と働ける。東京にも来れる。病院にもいける。何回も何回もお礼のメールが届いた。
➌20時からの「福島みずほの教えてプリーズ❣️第2回コロナ禍で見えた自助・自己責任の脆さ」に出演しました。愛犬ゆい君が乱入してもう大変!事前の打ち合わせで講演形式は全て取り止めて、みずほさんとのトークセッションに切り替えました。現場支援で感じている当事者の皆さんの辛さや哀しみ、支援現場での壁や限界と喜びと哀しみを表現したから、、「生活保護」を扶養照会撤廃を突破口に資産要件など様々な制約を廃止し、『生活保障法』のように経済的に困った時に生活保障金を受け取れたり、恒久的な家賃支援制度が受けれるようにしたい。絶対に尊厳を否定するような事があってはならない。現場から政治を変える。みずほさん、宜しく頼みますよ~
❹21時過ぎに、みずほさんとのトークを終えて池袋駅からのSOSに向かった。所持金を千円を切った状態で居所がない相談者に対しては、極力、当日対応をおこなう。寒い夜に野宿してくださいとは言えない。何回も何回も「死んでしまう」命の危機に直面しているからだ。携帯電話も止まっている相談者は健康状態も解らないし、生命力がどれだけ残っているのかも解らない。22時30分に待っていた相談者は40代の男性、甲信越から3週間前に東京に来たという。1週間の野宿生活、知的障害を抱えていると言っていた。故郷には帰りたくないという。生活保護制度も説明したが理解できないのでもう少し考えたいと、、月曜までのネットカフェの宿泊費と食費、故郷に帰る場合の高速バス代を渡した。やっぱり連絡がほしい。必ずメールをくださいね、と伝えて別れた。23時を過ぎた池袋駅周辺、人がいなくてネオンサインが消えた暗闇の都会は本当に寂しい。

●2021年2月24日 反貧困ネットワークの法人設立に向けて

2月24日(水)
❶今度の日曜日(2/28)は反貧困ネットワークの法人設立に向けた会議、設立総会の意味を持つ。法人に移行する事で専従体制を置いて「ささえあいの連帯事業」を本格化させる。
法人組織に転換し、ささえあい事業を本格化させる事は、組織としてのガバナンスが求められる。専従職員に対する雇用責任を負う。2月に入り,SOSが急増している。生活保護申請同行も増えている。開設した反貧困ネットワークのシェルターの入居者個々の困難に対して支援計画を作成してチームで問題解決に取り組まなければならない。やる事が多過ぎる。午前は自立生活サポートセンターもやいの事務所を訪問して、組織運営に必要な諸規程のレクチャーを大西理事長から受ける。夕方は反貧困ネットワークの代表世話人の宇都宮さんの弁護士事務所を訪問してシェルター開設書類の確認、夜はワーカーズコープ本部を訪問して、3月6日に開催する「しごと探し・しごとづくり相談交流会」(第2回)の打ち合わせ。緊急アクションの相談フォームで繋がりアパート転宅した相談者に、今日も3名電話したが、仕事が見つからずに殆ど家を出ていない。就労資格がある外国人も仕事がなく困窮が深まっている。何とか仕事が決まるようにしてあげたいのだ。
❷午後は「「生きていく自信がない」とメールが来て駆けつけた20代の青年Kくんと、今日も福祉事務所で3回目の面談!暗黒の闇社会の人間関係から脱出する事に苦心していたようだ。携帯から全ての情報を削除した。でもまだK君は私の前で笑ってくれない。一緒に「ゆうりんクリニック」に行こうねとケースワーカーさんと一緒に誘う。でも以前より会話はできている。いつか「笑って 笑って」そんな日が来る事を願っている。もうすぐもうすぐ!
➌股関節が痛くて歩けなくなった40代の女性Mさん、保護決定と同時の緊急入院で癌と解った。取り敢えず命に別状はないが3か月の入院、現在の病院はコロナでお見舞いや時々会いにいく事もできない。でもメールで励まし続けている。Mさんからメールが来た。私の体調を心配してくれている。身体が弱いのに夜間の警備、経済的貧困で身体を酷使して、、私はこの経緯を知っている。できる限り伴走していきたい。退院したらアパート探しと仕事探しと焼肉食べにいこう。

●2021年2月23日 避難者への住居からの追い出しをやめよ

2月23日(火)
❶午後から埼玉県南の**駅で20代の青年Yさんと会う。昨晩21時過ぎに会う予定だったが、Yさんの携帯の充電切れで待ち合わせができなくて今日に会う事にした。困窮状態でSOSをくれたのに、1日経ってしまったら更に所持金が減る。Yさんの今日の所持金は400円、都内で20日前までホストクラブで働いていたが、コロナ禍で客がいなくなり、つけの客からも支払ってもらえず、自分が肩代わりするしかなく、全財産を失った。店も潰れてしまったという。埼玉には友人を頼った為にやってきただけだった。公園で寝泊まりしたり夜な夜な途方もなく歩き続けたりしていたという。週末に都内で生活保護申請する事にした。
❷夕方から飯田橋の事務所に戻り、国家公務員住宅に区域外から避難している避難者が福島県に家賃二倍請求と12月中旬から福島に住んでいる親や家族に個人情報を目的外使用して「退去するよう働きかけてほしい。1月末で退去できない場合は裁判提訴も辞さない」との圧力と分断工作を続けている事に対し、弁護団と支援する会の合同会議を開催、強制退去などさせてはいけない。二倍請求の不当性に加えて、避難者への住居からの追い出し、政府や東電など明確な加害者が被災県の福島県を使い被害者である避難者を追い詰めている。災害救助法でのみなし仮設住宅の供与が終了したら、被災者を「自己責任」として放り出す。代替え住宅すら用意しない。福島県が避難者を被告として提訴するなら徹底的に守る必要がある。国際人権規約にも明確に違反する行為だ。
➌夜は川﨑方面からのSOSに向かう。40代の男性Cさんが寒空の中で待っていてくれた。Cさんもコロナの影響で解雇され、家賃滞納でアパートから退去させられていた。Cさんは何とか頑張って2月から直接雇用の会社で働き始めた。はじめての給料が振り込まれる26日、それまでの生活費とネツトカフェの宿泊費がない事。そしてCさんはアパートに入居したい。その為の相談に乗って欲しいとの事だった。社協の緊急小口貸付もあるが、ビックイシュー基金の「おうちブロジェクト」で支援が受けれないか、稲葉剛さんに早速相談してみた。Cさんは久し振りの直接雇用で希望を膨らませている。何とか希望を叶える事に協力したい。
❹川﨑から自宅に戻る車内で非通知の携帯が鳴った。よく聞き取れない。聞き取れたのは「助けてください。」今すぐ死んでしまいそうな弱弱しい声だった。池袋駅からだ。通りかかった男性に携帯を借りて電話をしてきた。今すぐ駆けつけるしかない。到着したのは21時40分、待っていたのは20歳そこそこの青年だった。昨晩から野宿していて所持金120円、知的障害があると言う、言葉がやっぱり聞き取れない。自宅には親が待っている。丁寧に聴き取り、とりあえず自宅に帰る事にした。交通費と念の為の少額の生活費を渡して青年は帰っていった。その後、パトカーがやってきて「若者と何していたのですか」と職質で囲まれる。うるさいな!22時を過ぎた池袋、あちこちで座り込んでいる人が車窓から見えた。

●2021年2月22日 今日も朝から生活保護申請に同行する

2月22日(月)
❶今日も朝から**福祉事務所の生活保護申請同行です。昨晩夜に新宿西口でSOS対応した所持金ゼロの30代男性Kさんの同行の予定でしたが、朝起きたら早朝深夜の4時に福祉事務所の近くから30代男性Gさんからの相談メールが届いていた。いのちの問題ではないが、コロナで困窮状態になって以降、持病の通院ができず、痛みが激しい、所持金50円、早急の治療が必要と考え、**福祉事務所に来て頂くように伝えた。二人同時並行の生保申請同行、相談員さんに協力をお願いして、Kさんは4番相談室、病を抱えるGさんは3番相談室、私は両方の部屋を周りながら重要局面に対応する。結果的に午前中に生保申請は受理されて、同じビジネスホテルに今日から1カ月間の宿泊のうえアパート入居を目指す。Gさんは3月中旬に失業給付が入金される。生活保護廃止対象となるが、現在収入がないので生保申請が受理された。最優先でアパート入居を目指す。生活保護費で入居費用が扶助されるからだ。アパート入居を実現して生活再建自立を目指す。午後イチで病院に向かい、治療と切れていた処方箋をもらってとりあえず一安心!
❷午後から、難易度が高い**福祉事務所に移動し、生活保護申請に同行する相談者を40分待つが表れず、一旦自宅に戻り残務処理、このままSOSが来ないといいなと考えたがSOSメールが多く届いている。つくろい東京ファンドに2件お願いして、私は2件のSOS現場に向かう。田川さんは「いのちのとりで裁判」の勝利判決に感涙しながら、難解なメール相談に対応している。私はまず上野に向かう。50代の男性が待っていた。自ら経営する会社が倒産して公園での野宿生活になってしまったという。6カ月の間、苦しかった思いを打ち明ける人もいない。1時間、話を聞く。少しだけ派遣の仕事があるから生活保護は躊躇、とにかくチャレンジネットにいってビジネスホテルに泊まってほしいとアドバイス、本当に苦しかったら、生活保護を利用してほしい。権利なのだから!後日、連絡をとりあう事を約束して給付金を渡して別れた。
➌明日は祝日、祝日の前日はSOSが増える。埼玉県南部からの男性からのSOSが来ている。生保申請同行は地元支援団体にお願いするとしても、役所は明日閉まっている。21時待ち合わせで向かう。しかし待ち合わせ指定場所に来なかった。彼がすっぽかした訳ではない。携帯の充電が切れてしまい待ち合わせ場所の連絡が途絶えたからだ。今晩は空腹状態なのかな。ゴメンね。明日の昼間に会う事にした。

●2021年2月21日 「ささえあい・つくば」の生活相談会を応援

2月21日(日)
❶茨城県つくば市に来ました。「ささえあい・つくば」主催のコロナ災害から命と生活をまもるための無料生活相談会の応援です。「反貧困ささえあいちば」に続いて4名の市議会議員を擁するつくば・市民ネットワークが中心になり1月から相談会を開始しています。東京の相談者との違いは自動車の保有、資産要件が緩和されているので、積極的に生活保護を権利として利用すべきとアドバイスしました。
一般社団法人 Lansの浅井和幸さんも相談員として来られていて、相談会終了後に市民ネット、子育てネットの皆さんと情報交換しました。首都圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)のように住まいを失っている人が福祉事務所に相談しにいった時に、貧困ビジネスの無料低額宿泊所などの施設入所強要にはなっていないようだ。公営住宅の空き室を先に一時利用住宅として提供している事例をよく聞く。
Lansでは、「住まい」と「支援」を繋ぎ、誰もが安心して地域生活を送れるように支援することを目的として活動している。居住支援法人の茨城県指定第一号との事、住まいに関する生活相談窓口を開設して、短期、緊急に住宅が必要でな方を対象にシェアハウスや「家電付き賃貸アパート」を運営している。自立に向けた生活相談などの精神的なケアやハローワーク・就労支援事業所。就労先の紹介、見守り安否確認、年金受給申請、障がい者手帳の取得支援や債務等の法律相談などを各専門家との連携し幅広く支援をおこなっている。生活保護申請者が、生活困窮者自立支援事業の一時生活支援事業における居宅支援とその後の自立支援を活用して(施設収容でない)アパートなどの入居とその後の支援を利用できる。自立支援と生活保護制度が現状のように縦割り型でなく、連携して進める事ができないかと浅井さんの話を聞いて感じた。反貧困ネットワークでもシェルターを開設して、入居者個々の悩み事の課題、医療対応などの課題が山積している。初歩から学んでいきたい。
❷つくば市を出発して生きづらさを抱える10代の女性のSOSを受けて面会、明日にこの分野の支援団体との面談に繋いだ。その後、「生きていく事が辛い」と悩む20代男性と今日も会って近況確認、一歩ずつだが信頼関係が出来ている事を実感するも油断はできない。
➌今日の夜のSOSも新宿駅西口での待ち合わせだ。1人目のT君は30代前半、コロナで仕事を解雇され、先週から住む場所がなく今日までネットカフェなどを利用して凌いでいましたが、日払いの仕事も見つからず、所持金ゼロ、明日の午前に、生活保護申請に同行する事としました。2人目は20歳そこそこの男性、親からの暴力が嫌で東京にでてきたが、仕事が見つからず所持金が二千円、何回説明しても「生活保護は若者が利用すべきでない。僕は頑張って仕事を探します。」と生活保護は拒否、仕事など簡単には見つからず、また野宿になるよと何回も話したのだけども、、、もし本当に仕事が見つからず生活保護を利用しようと思ったら必ず連絡するように伝えて少額の給付金を渡して別れた。夜のSOSの連続で、楽しみにしていた韓国の友人カンネヨンさんの「韓国の貧困問題と実践報告」のオンラインセミナーに参加できず、、SOSを最優先する日々がもう10カ月となった。

●2021年2月20日 練馬で講演会「自助・共助をこえて」

2月20日(土)
❶午後から「何よりも人と自然を大切にする練馬区をめざす区民集会実行委員会」主催の講演会「新型コロナ災害 押し寄せる生活の危機 自助・共助をこえて..いま 私たちにできることは?」をテーマに1時間話させて頂きました。大した拡散もされていないはずなのに、ココネリの研修室はたくさんの参加者で驚きました。「区民集会実行委員会」は、練馬区民が、自治体職員とともに区政のことを考え、学びともに行動する事が団体の目的で活動しています。今日も練馬区職労に参画している福祉事務所の相談員さんが何人か参加してくれました。練馬区民として、生活保護課だけでなく、生活困窮者自立支援の現場で起きている問題を共有化して民間支援団体や心を寄せる市民も参画して「練馬住民連帯運動」として誰一人も残さない困窮者支援活動を取り組んでいきたい。そのような内容を語りあえた場になったと思います。
❷16時に会場を出て昨晩の深夜にSOSをくれた32歳の青年Cさんに会いに**市に向かった。所持金はゼロ円、友人宅に一時的に身を寄せている。先月まで飲食店にて日払いでの仕事をしていたが、二度目の緊急事態宣言に伴い仕事を切られた。昨日、市役所を訪れ、ひとりで生活保護の申請に行った。相談員から提示されたのは、50人程が共同生活を送っている施設へ入所し、その後生活保護を受給し、自立を目指してほしいとの事。応じてもらえないのであれば、市から援助できることは難しい。最後には他の自治体も考えてみてくださいと、追い返された。最後のの手段と考えていた役所の対応に絶望していた時に、youtubeにてTBSNEWS23の私の特集番組を見て連絡をくれた。深夜だけどメール返信して即時対応を約束、地元の支援団体「**派遣村」にも参画する市議さんと一緒に会いにいった。派遣村の支援者には、このような対応を一切しないのに、ひとりで行くとこのような施設収容を拒否すると追い返ししている事実に市議さんも怒り心頭状態!来週早々に「**派遣村」の代表が生活保護申請に同行、**市福祉の理不尽を質す。Cさんはもう独りじゃない!
➌夜は反貧困ネットワーク代表の宇都宮健児さんのYouTubechannelうつけんマンスリートークでゲストトーク、出演中にも「「コロナ災害を乗り越える いのちとくらしを守る何でも相談会」の現場から明日、急遽のSOS対応に向って欲しいとの連絡が入る。放送終了後の21時30分に相談者へ電話連絡、状況確認と明日の待ち合わせ時間を確認、明日は昼間は茨城県のつくば市での相談会、その後に命を繋ぐ必要がある若い2人の対応、19時の「韓国の地域ぐるみの反貧困運動事例を紹介するオンライン講座」に間に合うかどうか!韓国の住民連帯運動が貧困問題にどのように向き合ってきたか?友人のカンネヨンに早く会いたい。f

●2021年2月19日 息絶え絶えの日々で不安に怯える人々

2月19日(金)息絶え絶えの日々で不安に怯える人々
❶徹底した現場主義の身近な友人がCOVID-19陽性になり入院した事を受けて、「お前がいちばん危ない!PCR検査を受けろ!」とあちこちから言われ続けたので、嫌々ですが検査を受けました.陰性の結果報告が届き、めちゃくちゃホッとしました。これから私も徹底した現場主義を続けます。
❷午後から**福祉事務所での生活保護申請です。東北出身のPさんは上着は紳士服なのにサンダル履きで現れました。ヘルニアが悪化して靴が履けないそうです。神奈川県で仕事をしていたが腰痛が酷く(サンダル履きはそのため)仕事ができなくなりクビになった。
一昨日の私が出演したテレビを見て翌朝、SOSメールを送付した由。様々な過去にひやひやしましたが、無事に申請受理、ビジネスホテルに泊まりアパート入居を目指す.Pさんも生保決定を待たずに通院を開始します。
➌夕方に新宿歌舞伎町にあるTOKYOチャレンジネットに向かった。昼間に中央線の**駅からSOSをくれたNさん、ネットカフェなどで2年間生活、日雇い派遣の仕事をしていたが 緊急事態宣言から仕事が無くなり、貯金も所持金も底をついていた。Nさんはそれでも今日も明日も湾岸エリアで夜勤の倉庫業務で働く事になった。日雇い派遣会社で週払いの場合、給料支払いがルーズな事が多い。20日が給料日なのに週明けの22日か最悪は24日になるとの会社からの連絡、その間を埋める事ができないのでSOSを出したという。Nさんはとりあえず来週からも仕事があるので、TOKYOチャレンジネットにすぐ来てもらう事にした。ビジネスホテルを経由して一時利用住宅に入居して自立を目指せるからだ。
但し、少額でも緊急給付支援がないからNさんのような所持金がない場合、屋根はあっても食べる事ができない。職場への交通費がない状況となる場合が多い。営業時間内に駆けつけたNさんは明日からビジネスホテルに宿泊できる事になった。私とも待ち合わせできて当面の宿泊に加えて生活費も給付、Nさんの当面の不安は解決!これからも相談にのるねといって別れた。
❹夜は練馬区内からのSOSに向かう。50代のTさん、住まいはあるが派遣の仕事が数日しかない。総合支援資金の振り込みを待っている。それまでの期間の交通費も食べる物もない。息絶え絶えの日々、ささえあい基金で繋ぐ事にした。息絶え絶えの日々で不安に怯える人々がコロナの長期化で増加している。夜、家賃が払えずに3月はじめに住まいから追い出される男性が泣きながら電話してきた。本当にヤバイ。

●2021年2月17日 生き続けていこう。いつか「笑って笑って」

2月17日(水) 生き続けていこう。いつか「笑って笑って」
❶今日も朝から**区で日曜日の夜にSOSを頂いた40代の青年の生活保護申請同行から始まる。東北の町で、コロナの影響によって仕事を解雇になり、辿り着いた東京、
問題なく申請が受理された。
❷昨日も報告した股関節が痛くて歩けなくなった40代の女性Mさん、優しきケースワーカーさんから連絡が入る。「今日、入院させたいと思います。病院から一刻も早く入院が必要と連絡がありました。」ビジネスホテルにいるMさんに緊急メールした。1時間以内に救急車を向かわせて、総合病院に緊急入院した。夕方に病院からの結果報告がケースワーカーさんから入る。「かなり重い病気でした。2日遅れたら脳内出血なども併発する可能性の高かったのです。3か月位の入院が必要ですが、いまのところ命の心配はありません。」川崎のネットカフェのMさんからSOSがあり、敢えていちばん信頼できる福祉事務所に無理を承知で生活保護申請して、ビジネスホテルに泊まってもらい翌日には病院で検査、今日に至った。居所も携帯もなく保険もない状態、迅速に支援してきた。でもこんなに病状が重いとは考えていなかった。独りで歩く事もできずにいたMさんと車で移動しながら、いつも腹ペコ状態だったので久し振りの「安楽亭の焼肉」と「揚州商人の担々麺」を食べた。地方から出てきて東京では独りぼっち、コロナ禍で仕事を失い、長期間のネットカフェで暮らし、
身体が弱いのに夜間の警備、経済的貧困で身体を酷使してしまったんだ。もっと早く出会う事ができればと残念でならない。現在の病院はコロナでお見舞いや時々会いにいく事もできない。でもメールで励まし続けよう。花を病室に届けよう。退院したら安楽亭でなく東上野で美味しい本場の焼肉を一緒に食べよう。アパート入居に向けて頑張るつもりだよ。元気になって帰ってきてね。ずっと待っています。今は祈り続けます。
❷「生きていく自信がない」とメールが来て駆けつけた20代の青年Kくんと、今日も福祉事務所で待ち合わせ!暗黒の闇社会から脱出したのに、奴らは容赦なく追いかけてくる。恐怖から精神的に逃れられないK君をケースワーカーさんと一緒に徹底的に守る事を確認。今後の目標プランをつくる作業に費やす「他人に自分の弱さをさらけ出していいんだ。」
「格好悪いことはとても格好よかったりする。」「今までとは違う出会いをたくさん作る。」
K君がはじめて私にメールで語ってくれた。「人生で初めて助けてくれた。帰ってきて泣いてしまいました。それだけです。これからも迷惑ではなければよろしくお願いします。」
助けてと言っていい。少しずつ明日の希望が見えてきた。でもまだK君は私の前で笑った事がない。いつか「笑って 笑って」そんな日が来る事を願っている。もうすぐもうすぐ!
➌昨日にお会いした、生活保護を利用していて住居としていたドヤから一方的に追い出されたSさん、「反貧困ネットワークのシェルターに暫く住みなよ!と提案したが「まだいいよ」と、、信号の向こうに歩いて見えなくなったSさん、今日、長い間、寄り添ってくれた東京新聞の中村記者に連絡が来た。今日から反貧困ネットワークのシェルターに無事に入居しました。正式オープンを待たずに外国人3人含め既に6世帯が入居しています。カンファレンス会議に向けた準備をすすめなければいけません。
❹夜は千葉県船橋市に移住連の稲葉奈々子さんと一緒に向かう。現地で船橋在住の阪上武さんと合流、反貧困ネットワーク3人組で、フイリピンの5人家族宅に向かう。9歳の長女がSNSで窮状を発信した事をきっかけにパルシステムの元職員の北杜市在住の寺下さんや熊本県のFacebookの友人から助けにいってほしいとの連絡が昨晩深夜に舞い込んだ。所持金60円であるのはお米だけと聞いた。駆けつけた時には地元のフードバンクから食材が届いていた。
★永住許可申請書に父親の名前を記さなかったことにより、約6年後に国から在留資格を取り消された。父親を記さなかった原因の一つは同申請書の記載が日本語と英語で違う表記だったことだった。申請時、フィリピン国籍の両親は婚姻関係がなく、同居もしていなかったため、英語を第二母国語とする母は申請書に父の名前を書かなかったという。長女は入管から「不法滞在の父の存在を隠していた」として在留資格を取り消され、出国を求められたが、その後も滞在を続け、小学校に通っている。在留資格はなく、仮放免の状態だ。収入を得る事も県外移動も出来ない。現在は裁判が続いていると聞いた。とにかく当面生き続ける為の給付金を渡す。水道光熱費のライフラインと家族5名の当面の生活費を支援して命を繋いだ。
❺今晩はTBSのNEWS23の特集に登場させて頂きました。一緒に登場していた24歳のR君は今日からアパートで新生活が始まっています。今日も悩み事のメール、新しいアパートにWi-Fiが繋がっていない為、連絡がとりづらい事、携帯電話が止まっていてWi-Fiスポットの場所でのみでしか連絡がとれない。近日中に会いにいこう。

●2021年2月16日 働く場づくりをどう進めていくかを考える

2月16日(火)
❶―今日は午前と午後の生活保護申請同行は会えずじまい。
午前の男性は出発後になり、今日は体調不良が理由でキャンセルメールを確認、明日に緊急アクションの別のスタッフに再設定、同じ福祉事務所でアパート探しをお願いしていた不動産屋さんと同じ場所で契約書署名の為の待ち合わせをしていたので仕方なく向かったが、不動産屋さんも体調不良でお休みメールが到着後に届いた。踏んだり蹴ったり、、午後も、**福祉事務所に移動して、先週に光が丘公園でお会いした沖縄出身のUさん51歳の生活保護申請同行だったが、Uさんは来なかった。携帯電話もメールなど連絡手段は全くない。11年間、空き缶回収しながら野宿生活してきた。アパート暮らしできるかもしれないと喜んでいたのに。きっとまた逢えるよね。
❷股関節が痛くて歩けなくなった40代の女性Mさんからメールが届いた。今日の午前に早速、病院で診断してもらったが、股関節はちょっと折れていて腰の骨にも異常があり、入院しないといけない症状の結果だった。他にも悪い症状がある。飲食店の仕事をコロナで奪われ、慣れない夜警の仕事をネットカフェから通い続けた結果なんだ。申請同行がキャンセルなので、ホテルに迎えにいって福祉事務所に向かい、入院に向けての打ち合わせ、金曜日に入院できるよう準備をすすめる。1カ月以上の入院になりそうだが、退院後は早めにアパートに入居できるよう優しきケースワーカーさんと意思一致、退院後も暫くビジネスホテルも確保してくれる。心配ないよ。Mさん 笑って笑って! Mさんは笑顔だった。
➌夜は「ほしのいえ」の中村シスターと東京新聞の中村記者と一緒、今日は記者ではなく、ひとりの支援者としてだ。中村さんが繋がっている、生活保護を利用していて住居としていたドヤから一方的に追い出されたSさんの事で集まった。施設の管理規約を守れないことが理由と聞いていますが、土曜日に追い出す事を**福祉事務所は追認したようです。路上に追い出される事を容認したのです。抗議しないといけません。反貧困ネットワークのシェルターでの一時受け入れをおこなう事としましたが、Sさんは「まだいいよ」と、信号の向こうに歩いて見えなくなりました。**福祉事務所には経緯を確認しながら、野宿生活になる事を解りながら、放置した責任は追及しないといけません。
❹自宅に戻る車中から、ワーカーズコープの皆さんと3月6日に開催する「第2回しごと探し・しごとづくり相談交流会」の企画会議に参加しました。コロナ禍によって、たくさんの困難を抱えてきた当事者の皆さんが孤立しないように、その人にあった仕事が見つかるように、そして主体的に参画できる当事者の就労ケアと、主体者として働く場づくりをどう進めていくかを考えていきます。

●2021年2月15日 Mさんはたくさん笑ってくれるようになった

2月15日(月)
❶午後から、股関節が痛くて歩けなくなった40代の女性Mさんのケースワーカー面談に同行、ひとりで歩く事が困難で更に大雨、自家用車でビジネスホテルに迎えにいって福祉事務所へ!車を駐車場に停めて、足が悪い同士で支えあいながらゆっくりゆっくり歩いた。骨盤もだいぶずれているし、Mさんの人生を聞くと身体がボロボロになってしまった事もよく解る。とにかく医療最優先!ビジネスホテルから600メートルの総合病院に、医療券対応で明日から通院する事になりました。整体にカイロプラクティックも試してみよう。とにかく歩けるようになるまでの暫くは伴走車支援が続く。最近、Mさんはたくさん笑ってくれるようになった。
❷昨日に「生きていく自信がない」とメールが来て駆けつけた20代の青年Kくんの対策ミーティングをケースワーカーさんとおこなう。K君の直近の難題の解決方法を確認、問題なくクリアできる事がわかり、K君に電話「ありがとう」の言葉 一歩一歩「生きていく事は辛い事ばかりじゃない」を伝えたい。

●2021年2月14日 『ナオユキ』さんの独演会を一緒に観た

2月14日(日)

❶23時過ぎに緊急アクションに届いたSOSメールの返信対応に追われていた。明日の駆けつけ予定を早め早めに組み立てる。そうしないとSOSが増えすぎて翌日の予定(駆けつけ支援の運行管理)が上手に編成できなくなる。対応が遅れてしまう。所持金が千円を切ってからのSOSで既に野宿生活になっていたり、数日何も食べていない、このような悲鳴のようなSOSを翌日回しにする事は相談者を野宿させる事になるからだ。避けなければならいないのだ。
2月に入り急増するSOSに「死のうと考えた。」このような記述が増えてきた。もうひとりひとりが耐えられないところまで来ているのだ。新型コロナ災害緊急アクションの対応チームが総力で対応している。
❷二週間前にSOSを受けて生活保護申請同行した20代の青年Kくんが宿泊するビジネスホテルに向かった。SOSでお会いした時にも「お金が底を尽き死にたいと思ってます。助かる方法がありますか?」とのメールが届き対応を急いだ。現在に至るまで暗黒社会に巻き込まれて心身をボロボロにされた。生保申請した福祉事務所でも相談員さん、ケースワーカーも一緒になり励まし続けた。しかし生きていく自信がないというメールが届くようになった。専門機関も紹介しているが上手く繋がれていない。今日も一生懸命の励まし。泪橋ホールで上演されていた、スタンダップコメディ 『ナオユキ』さんの独演会を一緒に観た。
ナオユキさんの大阪西成の不思議なおっちゃんたちの話。トークに出てくる「酔っ払いで、どうしようもない人間たち」ダメ人間への愛情に溢れるトーク。Kくんはじっと舞台を見つめていた。K君は笑わない。笑った顔は一度も見ていない。帰り際に「いっぱいいっぱい頼っていいんだよ。」人間ひとりでは誰も生きられないし生きていない。K君が抱えている問題は僕らでも解決できる事がいくつかある事が解った。K君は誰にも頼らずに生きてきたから道に迷っただけなんだ。明日、担当ケースワーカーと相談してチームで伴走する事にしている。
➌夜は今日も新宿からのSOS、40代の男性だった。東北の町で、コロナの影響によって仕事を解雇になり、東京に逃げるように辿り着いた。地元には頼れる人もいない。来週に一緒に生活保護申請にいく。「東京では頼れる人がたくさんいるよ」

●2021年2月12日 SOSが急増中!支援崩壊が起きている!

2月12日(金) 2月になりSOSが急増中!あちこちで支援崩壊が起きている!
❶午前、股関節が痛くて歩けなくなった40代の女性Mさんを川崎駅近くののネットカフェに迎えにいった。自家用車にMさんの荷物を積み込む。今日でお会いするのは3回目、どんどん歩けなくなる。年末にコロナの影響と年齢的な事から、夜の飲食店から解雇、ネカフェで暮らしながら仕事を探すも見つからず、お金が尽きて、翌日から野宿生活を覚悟しつつ1月9日にSOSをくれた。その時は夜間の警備会社で働く。生活保護は故郷の東北のムラに住む親に迷惑がかかるとの事、その後、夜間の警備会社で働くも、慣れてない仕事のせいなのか、タイミング悪く股関節を痛めてしまい、歩く事も困難となった。半年以上住み慣れたネカフェも今日でお別れです。暫く付き添いが必要との判断で、都内の福祉事務所でアパート入居まで伴走する事とした。厚労省での記者会見を経由して**福祉事務所に向かう。私も足が悪いので一緒にゆっくりゆっくり歩く。無事に生活保護申請は受理され、ビジネスホテルまで送迎する。ホテルでもエレベーターのいちばん近くの部屋を用意して頂いた。来週月曜日のケースワーカー面談の送迎もおこなう。反貧困ネットワークの仲間にも協力を呼びかけ「ささえあい」
❷厚生労働省で2月20日(土)に開催する「コロナ災害を乗り越えるいのちとくらしを守る何でも相談会」に参加し支援現場で起きている現状報告をさせて頂きました。
★猪股弁護士が報告した「埼玉弁護士会 生活困窮者支援窓口相談員アンケート」深刻すぎる報告、あちこちで支援崩壊が深刻度を増している。
①毎日残業が続き、夜10時になる。②相談員自身が収入が少なく生活が苦しい。③委託方式が増えている。困窮相談の正規職員が1名しかいない。④住居確保給付金給付業務に偏り、自立支援と両立できない。⑤とにかく現場には人が足りない。⑥もう何も言う事はありません。充分な屈辱を味わい諦めている。⑦申請書類の簡素化や厚労省が出した通達にある、審査等のスピード化を徹底して欲しい。通達を読み込んでおらず、形式にこだわったり、不正防止にこだわるあまり、相談者のひっ迫感や現場のスピード感に対応しきれない。
➌Mさんをビジネスホテルに送り届けて、上野駅からのSOSに向かう。50歳そこそこの男性だった。コロナの影響で愛知県の自動車メーカーから解雇、年齢で日雇いもままならず、自殺したいと考えたという。来週に一緒に生活保護申請に同行して再スタートをゆっくりゆっくり、、、歩いていこう。
❹上野から、反貧困ネットワークがサブリースで借り上げたシェルター「ささえあいハウス」に向かう。今日も2名の相談者が入居する。居所を失っているが、事情があり再来週に生活保護申請同行するUさんと、昨日お会いした8カ月間も野宿してきた中国人のPさん。8カ月間も公園で野宿してきた。現在は仮放免状態、就労する事もできず、生活保護など福祉制度も利用できず、仕方なく公園で暮らしてきた。今日から暖かい個室アパートで暮らせるよ。今日は入居者5世帯の方に、入居説明会と契約書説明 正式オープン前に10部屋の半分が埋まってしまった。毎日のように公的支援を受ける事ができない外国人が家賃滞納や既に公園で野宿していてSOSが届いている。
❺今晩もSOSが止まってくれない。新宿駅西口からのSOSに向かう。この間、毎日のように新宿西口に通い続けている。
★23歳の真面目そうなな青年Mさん、大学を卒業してホテルなどで働くがコロナで解雇され寮から追い出された。現在野宿状態、所持金ゼロ円、昨日夜にSOSが来たが、21時を過ぎていて練馬の光が丘公園に向かっていて駆けつける事ができなかった。1日、野宿っせて何も食べれない状態にしてゴメンね。来週、一緒に生活保護申請に行こう。
★21時30分に26歳の青年kさんと会う。大学卒業後にIT企業で働くも深夜残業。残業手当なしで退職、先週に新宿駅新南口で声かけた青年だった。宗教団体だと勘違いしたそうだ。所持金1000円、来週に生活保護申請同行しよう。

●2021年2月11日 公園からのSOSが止まらない

2月11日(木)  
❶午前はパルシステムの職場の友人から受けたSOSで、都内の小さな公園に向かった。待っていたのは中国人のPさん。8カ月間も公園で野宿してきた。元々は在留カードを所持して生活保護を利用していたが、事情があり更新できずにいたら、生活保護を廃止されるだけでなく、不法滞在者として警察に通報されて逮捕までされてしまう。現在は仮放免状態、就労する事もできず、生活保護など福祉制度も利用できず、仕方なく公園で暮らしていた。
身体も引き摺っている。体調を考えるとこれ以上の野宿はさせられない、明日から反貧困ネットワークのシェルターで受け入れ、チームで対応して入管にも在留申請で同行対応する。
❷午後から職場であるパルシステムに戻り、地域活動委員会でこの間の困窮者支援の状況報告とパルシステムが取り組む福島の保養・検診・避難者支援の助成金団体の活動報告会で「避難の協同センター」の活動を報告、報告をおこなった各団体がコロナの影響で活動が制限されるなかでも、健康影響や避難者の困難は原発事故から10年を経過しても続いている事から活動を継続していく意思を参加する組合員に呼びかける内容だった。
➌パルシステムがある東新宿から反天連デモを妨害する右翼と機動隊ばかりの早稲田を抜けて、1年前からメールでやり取りを続けていた原発事故から避難されているシングルマザーと初めてお会いしました。度重なる体調不良が続き、経済的にも厳しいのに明るく振る舞う。これからの住まい探し含め応援していく。私と同い年、とにかく独りにならないよう見守り続けていく事がいちばん大切なんだ。
❹今日もSOSが続いている。新宿からのSOSが届き、19時に待ち合わせ場所に向かうが、相談者の携帯通信が電池切れで途切れてしまい、今日は会えずじまい。深夜にメールが届き、明日の夜に会う事に、相談者の70%が携帯電話が止まっている。
❺今日の最後は練馬光が丘公園からのSOS、沖縄出身のUさん51歳と会う。私の練馬の講演会を聞きにきた方から私の電話番号を聞いたという。自立支援センターや生活保護で無料低額所に入れられた経験あるが11年間、空き缶回収しながら野宿生活。本人の希望で火曜日に**区で生活保護申請同行する。Uさん今までよく頑張りましたね。今回は11年振りのアパート生活を実現しましょう。頑張ります。

●2021年2月10日 活動を止めない志波さん これからも宜しく!

2月10日(水)
❶午後からの**福祉事務所の生活保護申請にMさんは来なかった。「死んでしまいたい。」何回も何回も夜遅く、東池袋中央公園に通った。数カ月前に生活保護申請同行してアパート探しが始まる矢先にM君は姿を消した。年が明けてまた連絡を取り始めた。ずっと公園で野宿して夜は歩き回る生活、もういい加減やめようよ!事情を理解してくれている都内有数の対応をしてくれる**福祉事務所でもう1回の再申請を約束したうえで、昨日から反貧困ネットワークのシェルターに泊まっているはずだった。「もう裏切る事はしません。」とメールが昨晩届いた。なのにMさんは来なかった。やっぱり今回は力が抜けた。でも見捨てる事はしていけない。
❷時間が空いたのでパルシステムに戻る。くらしサポートウイズに寄ったら、30年を超える長い時間を仲間として過ごした志波早苗さんが定年退職となり立ち寄った所に出くわした。実は2012年に反貧困ネットワークに参加しないかと誘ってくれたのが志波さんでした。昔昔の志波さんと出会ったのは30年前、立川生協とけんぽく生協、当時のパルシステムの前身の首都圏事業連の超赤字生協で苦闘してきた仲間であります。当時はアニメに出てくる眼に星がキラキラする女の子のようで、福岡の出張で初めてカラオケに行った時の緊張が忘れられません。当時の憧れの存在だったのです。協同組合と協同労働の力を信じ活動を止めない志波さん、これからも宜しく!
➌夕方は**駅方面に向かう。待っていた40歳のUさん、建築業の仕事を失い家賃が払えず、住まいを失い所持金200円、現在夜中になると行くとこがなくなりずっと外にいるので正直死んだ方が楽かと悩んでいたという。福祉事務所に行ったら「総合支援資金」が2月20日に貸付されるからと追い返されたという。A区は、居所がない相談者が生活保護申請に行くとほぼ全て、埼玉県や千葉県の悪質な無料低額宿泊所に流し込む最低の事務所だ。現にいま困っているのに、何故、そのようなやり方をするのでしょうか。フードバンクで生き永らえよ!が現状なのですかね。区議会議員さん、実態調査を早急にすすめてくださいね。(連絡済み)
❹夜は新宿駅に戻り、20代の青年のSOS対応、北陸出身、神奈川県内の飲食店で働くもコロナで雇い止め。来週月曜日に生活保護申請同行します。

●2021年2月9日 「生活保護は権利」道のりは遠し!

2月9日(火)
❶午後から川﨑市**区役所の福祉事務所での生活保護申請同行です。都内と違い神奈川県は、居所がない方の生活保護申請受理後のビジネスホテルの提供もないし、TOKYOチャレンジネットのような、一時利用住宅提供支援や生活・就労支援などワンストップサポートセンター機能がなく。自立支援施設入所が基本であるため、私たち同行支援者にとってもハードなやり取リが続きます。今日は3時間40分の攻防戦が続き、終了した時間は17時20分でした。
★相談者のWさんは30代の女性、コロナの影響で定職がなく家賃が払えない状況のため、3/2付けでマンションの退去を大家に伝えた。新しい家も仕事も決まっていない。事前の電話相談の結果、生活保護申請を選択、扶養照会されて親に知られる事が心配と言っていた。
今日の生保申請、担当した相談員は係長、とっても誠実に丁寧な制度説明をおこない、涙を流しながら経緯を説明する傷ついたWさんの心情を気遣う。私はマンション退去日まで時間があまりないので、居所を失う事のなきように、短期間でも反貧困ネットワークのシェルターで一時入居も準備する可能性がある事を伝える。扶養照会の事も理解してくれた。
★申請が受理され、女性のケースワーカーさんの面談、優しい口調で聞いているように見えたが、話が進むにつれて雲行きが怪しいぞ。取り調べの様相になってきた。完全に上から目線、通帳履歴を骨の髄までしゃぶるような聞き方、辛い日々の記憶をそんなに聞きまくってどうすんねん。私が横からちょっかいを入れても無視し続ける。そしてアパート入居の支援話を切り出した。そうしたらケースワーカーさんは、「アパート入居が2月末まで決まらなければ自立支援施設に入所してもらいます。川崎市ではシェルターを経由する方法なんて認められせん。ところでシェルターとは何ですか、、」と言い出す。私は問い詰める。「自立施設の入所条件や施設内容を示してください。携帯は使えるのですか、個室ですか、集団生活ルールは、門限は何時ですか。」何も答えない。怒ったように相談部屋からいなくなる。再び、相談員を担当した係長が登場して事態は収拾された。終了時間は17時20分、取り調べ時間は3時間に及んだ。「生活保護は権利」道のりは遠し!
これから弱小民間支援団体の我々が、マンションの引き払いからアパート探し、引っ越し手配まで全てをやるのです。おかしいよね、本当に~ ちゃんと必要なお金はだしてくださいね。
❷だいぶ時間を超過した。川﨑駅近くで待っている40代の女性に会いにいく。1月のはじめにSOSを受けて駆けつけたMさん、SOSでお会いした時には所持金100円、コロナの影響で飲食店から解雇されて、翌日から野宿生活を覚悟、しかし夜間の警備会社で働く事が決まっていたので生活保護は利用したくないと言っていた。細く弱そうな身体を見て、私は「やめた方がいいよ。」と言った。Mさんは東北の小さな村の役場の職員に知られたら怖いと生活保護利用を躊躇う理由を言った。
★久し振りに会ったMさんは、歩行が困難だった。慣れてない仕事のせいなのか、タイミング悪く股関節を痛めてしまい、歩くのも苦痛で、仕事がちゃんと出来ない日々が続いていた。あの日から狭いネットカフェで足も充分伸ばせず、気にはなっていたものの放置していたものが、悪化してきて、病院にいきたいものの、治療費がない、所持金は150円、明日から野宿を強いられてしまう。まにあって良かった。金曜日にチェックアウトしたネットカフェに車で迎えに行って、ゆっくりゆっくり歩いて生活保護申請に一緒にいこう。もう無理しないでいいんだよ。まず病院に行こう。
➌夜は、新宿駅に戻り、20代の青年のSOSに向かう。夜勤のバイトをしながら生活していましたが緊急事態宣言が出たせいで夜勤に入れず、泊まっていたネットカフェも追い出されるとの事、ひどく疲れていて声が聴き取れない程に声が小さい。明日からも仕事がないのに、生活保護は利用したくないと言う。「生活保護は権利」道のりは遠し!

●2021年2月8日 今後の支援ネットワーク作りの作戦会議

2月8日(月)

❶今週のスタートも朝から福祉事務所からです。先週木曜に新宿駅でSOS対応した40歳の男性Nさん 。1年前に上司の振る舞いに追い詰められ退社、家庭は離婚、マンションも強制執行、首吊り自殺も試した。空いているトイレの中で休み居眠りを続けた。メールフォームを発見して、微かな「生きる希望」を託した。先週段階では、「扶養照会で親に知られる事が恐い」と話していたが、今日を迎えるにあたって、Nさんは今後の人生を前を向いて生きていこうと考え、親にも経緯を伝え、理解を求めて、今日を迎えた。見違える程に元気になっていました。新しい生活の希望地は私の住む町だった。練馬福祉事務所の対応は半年前に比べて凄まじく良くなっている。相談者の傷ついた心を気遣う。今日も40分のスピード生活保護申請受理、つくろい東京ファンドが厚労省方針を変える国会の動きに影響を受けて「無理して扶養照会をする必要もなくなります。」と心優しい年配男子の相談員さん、ビジネスホテルを予約後に登場したケースワーカーさんからも嬉しいお話「アパート探しも私たちがおこないますよ。」板橋区に続いて練馬区もアパート入居支援に取り組み始めた事に感謝、私たちは生活保護申請同行だけでなく、アパート探しも支援する実務を担っており負荷が重なり疲弊している。このような自治体、福祉事務所が増えてくれると本当に本当に嬉しい。
❷1時間以上かけて、都内某所での今後の支援ネットワーク作りの作戦会議に向かう。長野県駒ケ根市議の池田幸代さんの呼びかけだ。池ちゃんは20代から新宿の路上で「野宿者女性の会 心を開く輪」で活動してきた大先輩だ。困難を抱える少女が搾取や暴力に行き着かなくてよい社会と人権を守るための活動をしているColaboの仁藤夢乃さんと稲葉隆久さん、山谷などに支援物資を送っている「こぎつねの森の家」の辛淑玉さんも途中参加してくれた。共通課題は、コロナ禍で困難に陥った方々が激増を続ける中で、人員的にも限界を超えている。そんな中でも、相談者ひとりひとりの状況を考えた時に中途半端な支援はできないよね。でもこれってかなり大変、Colaboは4月~12月半ばまでで相談者950人以上に3000回の対応をおこない、一時シェルター利用者60名以上、400泊以上の対応、中長期シェルターも15室確保、ホテルと連携してシェルターを70部屋確保してきたを3名しかいない職員が中心に頑張ってきたという。児童相談所の対応が平日8時30分~17時までの対応で、夕方以降に保護を求めても、即日保護がされない事の問題が深刻であり、Colaboの活動負荷も高い、何とか厚労省に働きかけたいので政府交渉含め一緒に取り組もうと話す。私たちが取り組む外国人支援も政府は放置、何故、民間団体が7000万円以上の給付金で命を繋ぎ、シェルターを開設して野宿させない取り組みをここまでしないといけないのか。このままでは「支援崩壊」一緒に働きかけよう。
➌15時に都内某所を出発してK市に住むイラン人Sさん宅に向かう。7月依頼の訪問だ。Sさんは来日して30年、以前は就労資格を持っていた。日本国籍のパートナーと離婚後に仮放免にされて働く事が禁止され、コロナで更なる貧困に追い込まれた。食事は全てフードバンク、家賃は未納が続き、追い出しが迫る。僕らの支援は当面の生活費給付、命を繋ぐ事しかできない。今日も中国の方、ベトナムの方が野宿している。反貧困ネットワークで住まいも含めて支援できないか問い合わせが北。落ち葉拾いの支援が続く。
➌池袋に帰ってきた。野宿生活を続ける2名のSOS相談を時間差でおこなう。二人目のMさんは数カ月前に生保申請同行してアパート入居の支援寸前に失踪した。それでも連絡を取り続けた。「死んでしまいたい。」何回も何回もやり取りを続けた。僕らの反貧困ネットワークのシェルターには、入居者がワイワイだらだらできる空間がある。今晩、その場にMさんを連れていった。一昨日入居したインドと韓国の仲間も一緒だ。先月に大田区で生活保護申請同行して、もうすぐアパート入居が決まる24歳の青年も来てくれた。シェルター管理人の内山さんは今日もアルコールが少し、入居者の世話を焼いている。Mさんからメールが届いた、「多国籍、年令はバラバラなのに、みんな少しづつ前を向いていますね。一人じゃないと感じた時間になりました。短時間だったけどずっとここにいたいと思ちゃいました。」明日から暫くシェルターに入居して心を癒やす。Mさん、何回も言うよ「君は独りじゃないんだ」
❹最後は新宿で30代の青年2名の時間差SOS対応だったが2名とも会えず。今日も21時30分まで待っていた。とても疲れてしまったな。こういう時間がいちばん辛い。

●2021年2月7日 ゆい君と一緒に。夜は山谷のドヤからのSOS

2月7日(日)
❶9日前に我が家にやって来た豆柴のゆい君、生後7カ月の売れ残りの状態を救出した。
翌日からの我が家は猛犬と化した、ゆい君と対峙する日が続いた。社会性を身につけない幼少の時期を狭い檻の中で暮らしてきた。オモチャとの遊び方も知らず、甘え方も僕ら人間の指を甘噛みし続ける。小さい動きと音に警戒し狂ったように走り回る。これでは、ゆい君にも飼い主である僕らの身がもたない。ゆい君が穏やかで笑顔で暮らしていけるように、ドッグトレーナーに来てもらった。1時間後には穏やかなゆい君に変貌していた。「①上から撫でない。下から優しく撫でる➡上から目線でなく包むこむ ②甘噛みしたりしてきても否定せずに受け止める➡まず受け止める。相談者を否定しない」他にも様々なアドバイス、
ゆい君は素晴らしく愛らしいパートナーになった。日々続くコロナで犠牲になった相談者の支援、共通する事ばかりだ。「対話を重ねること」
来週はお散歩できる事が目標です。ゆい君!これからも一緒だよ。一緒に歩いていこう。
❷夜は山谷のドヤからのSOS、20時30分に待ち合わせした。先月の下旬まで仕事はしていましたが、コロナのせいで仕事なくなったという。所持金は500円、以前利用してしまった闇金返済で更に困窮に追い込まれた。コロナ災害で突然の困窮に追い込まれて闇金を利用してしまい地獄の日々を強いられた相談者に対応してきた。取り締まり規制が必要fだと思う。「死にたくないのに死んでしまう。」明日も朝の9時30分から21時まで予定が埋まっている。

●2021年2月6日 底が抜けてしまったような恐ろしい状況

2月6日(土)
❶お昼に都内のビジネスホテルに向かう事から支援三昧の1日が始まった。ホテルのロビーに集まって頂いたのは、この間、SOSを受けて生活保護申請同行、今週に保護決定通知が下りた3名の相談者、豊島区福祉が2名、練馬大泉福祉が1名、流浪の不動産屋さん、柿本さんと一緒に相談対応をおこないアパート入居を目指す。3名ともに30代、携帯電話が滞納で泊まっている。そのような状況であっても、申請受理日から1カ月でアパート入居契約を決めなければいけません。今日から一斉にアパートの内見準備を開始します。今日は同じビジネスホテルに宿泊している僕が大好きないつもニコニコしているKさんも待っていました。大久保公園での年末相談会でお会いした野宿生活4年の苦労人、携帯も身分証明もなく住民票も関西のままで、、ひとつづつ問題解決してアパートの保証会社の審査も通りました。最後に一緒に企業組合あうんに一緒にいって念願のアパート入居です。大変だったけれどKさんの笑顔に会えるのが楽しみで、実は僕がとっても幸せだったのです。
❷移住連の原さんと一緒に、足立区に向かいました。韓国大邱市の専門大学で、私の友人が講師を務める日本語学校で学んだ23歳のJ君が日本の業務請負会社を通じて就職が決まり、
1月6日に来日、設計の仕事だったはずが、二週間の隔離終わりいざ仕事というところで、会社に行ったら単純労働。話が違うよと抗議したら、首を切られて、寮も2月6日に追い出されるとの事、今日から居場所もなく韓国に帰れない。とりあえず今日から反貧困ネットワークが借り上げたシェルターで暮らす事に、昨日の人形アーティスト夫婦に続いて自家用車両に満杯の荷物を積んでシェルターに運び込んだ。実はシェルターの大家さんは建築会社を営んでいて設計が出来る人材を探していたという。就労マッチングも期待できる。
➌自立生活サポートセンターもやいのお大西理事長から緊急電話が入る。今日の都庁下の新宿ごはんプラスの食糧配布相談会にインドの方が来られた。彼はインド料理のコックさん、6カ月前に神奈川県央地域のインド料理店からコロナの影響で雇い止めされて、寮から追い出されて6カ月間、路上と公園での生活を続けてきた。(何故、これだけの長期間、誰も助けなかったのか?)全身が皮膚病だらけだという。僕らはシェルターの部屋毎に設置する布団、冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、机、ケトルなどの家具什器を選びに企業組合あうんに来ていたので、ごはんプラスでボランティアスタッフを担うパルシステムの同僚の高橋英明君の車で来てもらう事にした。つくろい東京ファンドのスタッフで北関東医療相談会で頑張る大澤ゆうま君も一緒に駆けつけてくれた。あうんの中村光男さんが、隅田川医療相談会の医師である今川篤子さんを呼んでくれて応急処置、月曜には紹介状を持ってきてくれる。今日から反貧困ネットワークのシェルターに住んでもらう事にした。インドのBさんは何回もありがとうを繰り返す。「6か月振りに笑う事ができました。」そういう訳で、
正式オープン前に10室中、3室が入居してしまう事態に、、他にも居所を失った外国人がいて入居させて欲しいとの連絡が!移住連の原さんは正式に反貧困ネットワークの外国人支援担当に着任しますが、明日に早速面談してくれる。まさしく大車輪!
❹夜はスカイツリーの近くで、中東からの40代のシングルマザーの女性と会う。イグナチオ教会に来てくれた。身を寄せていた休業中のレストランと寮に居られなくなり、最近、近くの別の場所に引っ越したが、家賃を支払う事が困難、就労可能な在留資格のため、夜勤の警備員などで働いているが体力的に長続きできないという。政情不安な母国に帰れない。残してきた子どもたちを日本に呼び寄せたいと考えていたのに、コロナで更に困難に!家族も引き裂かれたと嘆く。彼女の為にできる事はあるだろうか。答えがでてこない。でももう独りじゃないよ。笑顔が美しい人だつた。
❺最後に新宿に戻り、昨日に緊急アクションの相談フォームにSOSをくれた青年に会いにいったが21時30分になっても現れず。その後に20時を過ぎて池袋の小さな公園から所持金150円で「助けて」と短いメールをくれた50代の男性に会いにいったが会えずじまい。彼はどこを彷徨っているのだろうか。生きていてほしい。底が抜けてしまったような社会。
「死にたくないのに死んでしまう。」恐ろしい状況になってきた。

●2021年2月5日 超スピードのチームプレーがひとまず完了

2月5日(金)
●2月1日夜に新宿駅新南口タカシマヤ前のベンチで座り込んでいた女性に声かけして、彼女のパートナーが人形作りのアーチストだった件、イベントやフリーマーケットが失くなり、4日間も野宿を続けていた。今日は生活保護申請同行の日だ。滅多にない夫婦で居所を喪失した方の申請同行は経験がない。いままでの申請同行は、単身者なので、申請受理された当日から、当面の居所としてのビジネスホテルで30日宿泊を獲得して、ほぼ1カ月間でのアパート入居を目指す支援スキームが基本だ。夫婦でのビジネスホテル宿泊も大変だと思っていたが、今日待ち合わせしたレンタルBOXに保管してあった創作作品と道具類の荷物が多すぎる。私の自家用車にギュウギュウ詰め込んで、私の地元の福祉事務所に生保申請をおこなうために向った。
●地元福祉事務所の生活保護申請には、私がいちばん信頼している相談員さんが担当してくれた。今日は支援団体と福祉事務所職員の関係だが、地域では差別に反対する運動のお仲間です。1時間のスピード申請受理で終了しましたが、相談者は3月以降のイベント申し込み可否の為、メールチェックする為にWi-Fiの接続できる宿泊先が必要、相談員さんが案内してくれた宿低は2DKの個室寮ですがWi-Fiが接続できません。困りました。昨日の反貧困ネットワーク全体会議で確認した個室シェルター事業の開設、本来は3月からでしたが、明日から使えないか緊急調整し、明日から入居できる事になり、何とか多すぎる荷物を保管して、アパート入居までの一時宿泊先を確保できました。
●福祉事務所を出発して急遽、荷物を保管してくれるはずだった企業組合あうんの中村光男さんに会いにいって一緒に反貧困ネットワークのシェルターへ!ジャーナリストの藤田和恵さんも駆けつけてくれた。ジャーナリストと言うより同志だね。シェルターにはオーナーさんと反貧困ネットワークでシェルター担当になる内山さんも待っていてくれた。みんなで荷物を運んだ。今日はビジネスホテルに泊まってもらって明日、布団や家具什器を運び込む。超スピードのチームプレーがひとまず完了!ネットワーク力で「支えあう」

●2021年2月4日 「社会運動としての連帯協同組合」をめざす

2月4日(木)
❶今日の新宿駅に来ている。昨日の23時に緊急アクションの相談フォームに届いた40歳の男性Nさんにお会いした。「所持金は300円、何日も路上にいる。どうしたら良いかわからない」メールに記されていた。1年前に上司の振る舞いに追い詰められ退社、家庭は離婚、13万円のマンションも強制執行された。死のうと思い、首吊り自殺も試した。昨日までは、空いているトイレの中で休み居眠りして、また別のトイレで休んだ、、公園での野宿は恐かった。死ぬ事を諦めかけようか!と考えた時にメールフォームを見た。会えてよかったと言ってくれた。久し振りに他者と話するので緊張したと笑った。このような状態になっている事を親は知らない。扶養照会で親に知られる事が恐いとNさんは言う。故郷に帰るか生活保護利用するか考えて連絡をくれる。とりあえず、数日間のネットカフェ代と食費を渡した。久し振りにゆっくり休んでご飯も食べてほしい。
❷今晩、開催した反貧困ネットワーク全体会議、2007年10月発足から13年を経過し、大きな転換点を迎えています。新型コロナ感染拡大後の昨年3月24日にネットワーク組織の責任を果たす為に、「新型コロナ災害緊急アクション」を呼びかけ結成、他団体と一緒に「相談フォーム」を開設、400件を超える駆けつけ支援と「ささえあい基金」を創設して1700件以上、5200万円の給付、公的支援を受けれない外国人の悲鳴に対応してきた。
1月以降、更に状況が悪化していて、あちこちで家賃が払えず住まいを追い出された方が続出、飲食業で働いていた人、女性も増えている。明らかにターミナル駅周辺で野宿していたり座り込んでいる人も増えている。当面の救貧対策を続けていくしかない。犠牲者が「死んでしまう」からだ。政府は公助の責任を果たさないうちに「死んでしまう」例えば、働く事も許されない仮放免状態の外国人、住まいから追い出された場合は「野宿」に追いやられ、借りれるアパートもない。生活保護も利用できない。宿泊できるシェルターもごく僅かだ。ショウガナイでは済まされない現実を知ってしまった。生活保護を利用できる日本国籍の方々も福祉事務所で「扶養照会」や「施設入所」が強要され、自己の尊厳をボロボロにされる。早く働けと言われコロナで仕事が見つからず、見つかった仕事は、また派遣、
●こんな状況だから、貧困格差を作り出した加害者たちの「自助の補完装置」の公助組織でない、新自由主義の被害者である当事者が参画した「社会運動としての連帯協同組合」をつくる。任意団体であった反貧困ネットワークを2月28日に一般社団法人反貧困ネットワークに発展させる設立総会を開催、専従職員を2名配置して3月から本格的に事業を開始する事にした。
●①生活困窮者向け住居確保の支援及び応急的な住まいを提供する事業(シェルター事業)は、10部屋を丸ごとサブリース(一括借上)して、3月1日からの正式入居開始に向けて事業を開始する。特例として韓国からの青年が日本業務請負い会社から雇い止めされ、住まいを失った事から来週入居に向けて準備する。公的支援が受けれない外国人の住居喪失が頻発している事から先ず外国人を優先する。②外国人を中心とした共配方式フードバンク③就労ケア事業(緊急アクションで支援した相談者への個別就労ケア)④ささえあいの住民連帯ネットワーク(「ささえあう駆け込み寺」「無料食堂」などのネットワークづくり
⑤ささえあい基金「給付金事業」の維持・拡大
以上が、今日提案した初年度事業計画だ。ささえあいの連帯社会をつくる事で社会を動かす。
●反貧困ネットワーク全国集会も4月4日に開催する。久し振りにデモをおこない、会場に到着して集会を開催する。そろそろ怒りをデモで示そう。一緒に歩こう。僕らは本当に怒っている!

●2021年2月3日 「所持金は300円、何日も路上にいる」

2月3日(水)
❶現在、23時を過ぎている。緊急アクションの相談フォームに都心のターミナル駅周辺から悲鳴のようなSOSが届いた。「所持金は300円、何日も路上にいる。どうしたら良いかわからない」明日の夕方に会う事にした。今日はずっとSOSメールが続けて届いた1日だった。SOSが来る地域も広がってきている。家賃滞納で住まいを追い出され「車上生活」を強いられている方からのSOSも届いた。仮放免で働く事も移動する事も許されない外国人から「助けてほしい。」と直接の電話が来る。昼間は脱原発運動の仲間から**駅の出口で座り込んでいる野宿しているらしいおじさんを助けてほしいとの電話、地元の支援団体の事務局長がすぐ駆けつけてくれた。緊急事態宣言の延長、路上に溢れてきた困窮者、住まいから追いだされて路頭に迷う困窮者、お金をくださいと助けを求める外国人、相当まずい状況になってきた。
❷今日の夜も新宿駅に来ている。緊急アクションの相談フォームに届いた青年は今日も20代だった。勤務していた会社でパワハラにあい1年前に退社して再就職しようとしたらコロナ感染が始まった。生活保護申請については苦労して育ててくれた母親に申し訳ないと頭を下げた。自分で報告して扶養照会のハガキが来ても驚かせないようにしたい。そのうえで生保申請同行の日程を決める事にしました。扶養照会は本当に止めてください、本当に!



●2021年2月2日 あちこちで「駆け込み寺」をつくりたい

2月2日(火)
木曜日に開催する反貧困ネットワーク全体会議に向けての議案書準備に集中する。ネットワーク組織から、法人事業としての反貧困ネットワーク設立へ組織変更を急ぐ。肝はネットワークを重視した事業、「自助の補完装置」でない「希望の連帯協同組合」をつくる準備だ。3月から事業を開始しないと間に合わない。外国人がどんどん住まいから追い出されている。アパート入居しても仕事がなくて孤立してしまい精神的に追い詰められている。しかし、いろいろな相談でイマイチ事業計画書の作成に集中できない。SOSが待つ現場に向かう。
❶夕方に新宿駅新南口タカシマヤ前に向かう。昨日の20時過ぎにひとりベンチに座っている女性と再会、今日はパートナーと一緒だ。事実婚の夫婦で住まいを失っていた。人形作りのアーチスト、イベントやフリーマーケットで自作の人形を販売していたが、コロナ禍で収入の殆どを失う。4日間も野宿を続けていた。自作の人形を見せてもらった。東欧の人形に似ている。60代の彼とは話が盛り上がる。私と同じくバックパッカーのようにアジアの各地を旅してきた事、石川一雄さんの支援と部落解放運動の事、環境破壊につながる道路建設反対運動の事、傍で恥ずかしそうに笑う彼女の笑顔が優しい。狭いかもしれないけれど、もう一度創作活動に集中できるアパート入居を手伝いたい。金曜日に生活保護申請に同行します。
❷夜は、緊急アクションの相談フォームにSOSを頂いた21歳の男性と同じ場所で会う。
大学を中退してネットカフェに泊まりながら、日雇いのバイトで食つなぐが、緊急事態宣言で所持金が尽きかけている。若過ぎて居所を失っている若者に、TOKYOチャレンジネットのホテルとその後の一時利用住宅制度を説明、チャレンジネットは居所は確保できるが、生活費は支援されない。生活保護は親に連絡がいく事が嫌で利用したくないと言う。バイトが入らず所持金が枯渇したら必ず連絡するように!独りじゃないと伝えた。
➌19時からのコロナ災害対策自治体議員の会主催の「生活困窮者支援の事例共有研修・オンライン意見交換会」に車中で参加と報告、話題は稲葉剛さんの「つくろい東京ファンド」が問題を可視化し、政治を動かそうとしている「扶養照会」やっぱり稲葉さんは凄い。現場で起きている当事者の苦しみを社会に問うて、政治を変えるのだから、、他にもメンタルヘルスの対応、女性相談の対応、生活保護住居喪失者のアパート探しとその後、私が報告した問題である外国人が追い込まれている事は皆さんはどのように捉えているのだろうか、、私の支援のかなりの比重が外国人の住居からの追い出し問題と出口が見えない経済的困窮だ。そして生活保護行政と自立支援(特に就労支援)のミスマッチ、個人的には貧困ビジネスの無料低額宿泊所の自立を阻害する実態を施設名含めて明らかにして世に問うて、これ以上犠牲者を出したくない。
私はやっぱり希望の連帯協同組合をつくりたい。「分かち合いのネットワーク」をつくりたい。都内や首都圏のあちこちで「駆け込み寺」をつくりたい。

●2021年2月1日 フィリピン女性Mさんのシェルターを捜す

2月1日(月)
❶朝一番で、73歳の野宿状態のおじさんGさんが泊まっている新宿歌舞伎町の少し古びたビジネスホテルに向った。しかしGさんは待ち合わせ時間に現れなかった。
★先週水曜の夜に、新宿駅南口から支援者の友人多田さんを通じてSOSを受けてお会いしたのが、73歳の野宿状態のおじさんGさんだった。携帯もメールも持たないTさん、本人証明も何もない場合は、旅館業法でビジネスホテルは泊めてはいけないルールになっているそうだ。水曜夜からラブホテルに二泊した。しかし金曜日、私の連絡ミスで待ち合わせに失敗して、連絡不能・居所不明状態になりました。その日の夕方に、多田さんと一緒に、Gさんが寒い時間に過ごす新宿駅南口、バスタ・タカシマヤ周辺を捜したが、見つからずに絶望的になった。多田さんが「もう一度探してみよう」と、、Gさんがよく休んでいるベンチに再度向かった。奇跡的に、Gさんがいてくれた。
★月曜午前にGさんが憧れていたアパート暮らしが実現できるように福祉事務所に同行する事を約束した。新宿歌舞伎町の少し古びたビジネスホテルはGさんの宿泊を快く引き受けてくれた。金・土・日3泊分の宿泊支援をおこない月曜日に備えた。その間に、いろいろ考えた。東北の貧しい実家から、出稼ぎに出て以後、各地を転々とし、飯場という雑魚寝暮らし、**区で生活保護を申請したが、施設入所が前提だった。集団生活と不衛生な環境に綺麗好きなGさんは耐えられずに失踪してしまった。週末に知り合いの居住支援法人に聞いたら、サポート付き高齢者住宅に入居できるとの情報を頂いた。Gさんは高齢であるし、独りぼっちだった。安否確認もできて、看取りもできて、独りぼっちにならないように生活保護費で暮らせる個室の部屋に先に入居してもらって生活保護申請にいこう。
★Gさんは待ち合わせ時間に現れなかった。昨日の昼前にホテルから買い物に行くと出たきり帰ってこないとの事、優しきホテルの支配人に了解を頂き、部屋を確認させて頂いた。中身が空っぽのカバンと傘とショートホープの空箱だけが残されていた。優しき多田さんは昨日も午後から帰りをずっと待つていてくれていた。今日も駆けつけてくれた。Gさんはどこにいるのだろう。生きていてほしい。Gさん、ごめんね。
❷今日はもうひとつ重要なミッションがあった。年始の大久保公園の相談会に来てくれたフィリピン国籍のシングルマザーのMさん、日本で働きながらフイリピンにいる家族に仕送りしている。コロナの影響で雇い止めされて住まいも失った。TOKYOチャレンジネットを通じてビジネスホテルに宿泊しながら、某ホテルの清掃の仕事に就けたが週28時間以内、アパートを借りるお金もなく、今日の朝にホテルの退去日を迎えた。この間、ずつと寄り添ってくれた人は東京新聞の望月衣塑子さん、新聞記者としてでなく、彼女の相談相手となってきた。望月さんに頼まれて、Mさんが今日から住めるシェルターを探す。今回も山谷にある「ほしのいえ」の中村シスターが協力してくれた。Gさんの同行がなくなったので移住連の原さんがMさんのホテルチェックアウトに立ち会い、連れてきてくれた。私の自家用車に荷物を積んで、一度も行った事のない浅草をミニ観光してシェルターの入居を済ませた。夕方に仕事を終えた望月さんが駆けつけてくれた。新聞記者としてでなく、ひとりの支援者としての望月さん、私との共通点は、計算なしの突破力!本当にありがとう。
➌望月さん、中村シスターと別れた後に新宿駅南口、バスタ、タカシマヤ周辺に向かう。多田さんと合流し、失踪してしまった73歳のおじさんGさんを探す。しかし今晩はいなかった。多田さんと別れた後に、Gさんへのお詫びを込めて、原さんともう一度、周辺を捜した。緊急事態宣言で20時過ぎに殆ど人がいない状況、タカシマヤ2階入り口前のベンチ周辺で座っている方の7割は居所を失った方でした。その風景に唖然としました。やっぱりGさんに会えずに帰ろうとした時にひとりベンチに座っている女性が気になり声をかけました。年齢は私より少し年上、所持金は400円、物づくりアーチストで、一定の稼ぎがあったがコロナの影響で、イベントが無くなり、一気に収入がなくなり居所を失ったようです。4日間も野宿を続けていた。明日に再度会いして、生活保護申請含めた今後のの相談をする予定です。宿泊費と生活費をお渡ししました。彼女は泣いていました。緊急アクションのSOS対応や相談会だけでなく、このような現場で、声をかける重要性を実感、新宿南口の哀し過ぎる情景、本当に辛すぎて、、哀し過ぎて、、通り過ぎてはいけない。1日1人でもいいから声をかけようと思う。

●2021年1月29日 待ち合わせに失敗したおじさん でも奇跡的に

1月29日(金)
❶今日は私の連絡ミスで一昨日の夜に新宿から支援者の友人を通じてSOSを受けた73歳の野宿状態のおじさんと待ち合わせに失敗した。携帯もメールも持たないおじさんは私に裏切られたと思い、連絡不能・居所不明状態になりました。夕方に、おじさんに繋いでくれた友人と一緒に、彼が寒い時間に過ごす新宿駅南口、バスタ・タカシマヤ周辺を捜したが、見つからずに絶望的になった。友人が「もう一度探してみよう」と、、おじさんがよく休んでいるベンチに再度一緒に向かった。奇跡的に、おじさんがいてくれたのです。東北の貧しい実家から、出稼ぎに出て以後、各地を転々とし、飯場という雑魚寝暮らしと、貧困ビジネスの タコ部屋でしか生活したことがない。**区で生活保護を利用しているが、施設入所を強要されたようだ。「自分にまともなアパート暮らしなんてできるわけないよ」と言うが、今日、私が福祉事務所に同行してアパート暮らしに向けて頑張ると聞いて、希望を抱いて印鑑を買ったらしい。おじさんゴメンね。月曜午前の事務所同行頑張るからね。
❷年末の大久保公園で相談を頂いたOさん、その時は1月から派遣の仕事があるとの事でチャレンジネットでのビジネスホテル宿泊情報提供と当面の生活費給付で別れた。今日、再びSOSメールが来た。1月も仕事に殆ど入れず、所持金はゼロ、昨日から野宿だという。15時を過ぎていたが、生活保護申請に急いだ。**事務所では過去の失踪経験を問題して、ビジネスホテルとその後のアパート入居については現段階では認められないとの見解に終始、時間が遅く、今日は生活保護費の前払い金でネットカフェに泊まり、月曜日に再面談となった。

●2021年1月28日 韓国大邱の小池やよいさんからSOSメール

1月28日(木)
❶昨日、韓国大邱在住の小池やよいさんからSOSメールが届いた。2016年11月にカトリック大学社会的経済大学院の招請で、原発事故被害者救済運動をテーマに講演させて頂き、大邱市の社会的企業の実践現場を多く視察させて頂きました。その際にお世話になったのが小池さんです。現在は大邱の専門大学で日本語講師をしているそうです。メールの内容は、「卒業生が就職で日本の派遣会社に行ったのですが、急な解雇にあい、寮も出され行く場所がなく困っています。どこか居られるところを紹介できませんか」
◇今日の午後に早速、移住連の原さんと一緒に、23歳の青年J君宅に向かい事情を聞きました。「1月6日に日本に来ました。1年の就労ビザ、業務請負会社を通じて設計の仕事に就く予定だったが、二週間の隔離終わりいざ仕事というところで、会社に行ったら単純労働。話が違うよと抗議したら、首を切られて、寮も2月6日に追い出されるとの事、とりあえず韓国からの友人を苦境から守らないといけない。2月7日以降の住まいを用意する事、仕事を一緒に探す事、そしてトンデモナイ請負派遣会社の責任を追及し補償させる事。日韓民衆連帯!
❷今日は外国人支援が続く。**区に住むバングラデシュ国籍のDさんからのSOSを受けて向かう。3人家族で娘さんは今春に高校進学の予定だ。しかしDさんは仮放免の状況が続いている。就労資格が奪われ、家賃未納が続いている。娘さんの入学費の納入も迫っている。とりあえず、家族全員を路頭に迷わす訳にはいかない。とりあえず家賃支援を「反貧困ささえあい基金」か拠出し、命を繋ぐ事にした。これだけでは娘さんが高校に行く事はできない。解決策が見いだせない。ここからは政府の責任だと思いつつ期限が迫っている。
➌千葉県**市に住むスリランカ国籍のMさんからSOSを受けて向かう。Mさんも仮放免、10年以上も難民申請し却下され続けている。スリランカ国内の民族紛争に起因した人権侵害があり母国に帰れない。Mさんが安心して生きる為に難民申請するしかなかった。しかし日本政府も生存権を認めない。スリランカにいる妻と子どもに思いを馳せる。とりあえず家賃支援を「反貧困ささえあい基金」か拠出し、命を繋ぐ事にした。
❹月曜日に、群馬県桐生市からSOSをくれたMさん、コロナ感染の影響で職を失い、所持金も2万円になり、生活保護に相談にいったら「働けるなら働きましょう」と言われ、ハローワークに同行しますと言われた。反貧困ぐんまの仲道さんに連絡したら生活保護申請同行してくれました。即時申請受理、仲道さんの報告によると「先日と同じ話をボクはしているのに、あの時は申請できなくて今日は申請できるんですね。なぜ前に一人で来た時は申請できなかったんですか」とのご本人の問いに、何も答えられずただ黙り込む窓口職員。今日はその場面がすべてだったな。申請できなかった(させなかった)理由については文書で回答を求めておくと!Kさんからお礼のメールが届いた。「仲道さんと同伴で福祉課に行ったら申請できました。余裕が出来次第、反貧困ネットワークの活動資金に寄付します。」反貧困の全国的ネットワークを張り巡らせて、バイバイ!水際作戦!
 

●2021年1月27日 「笑って 笑って もう頑張り過ぎる事はない」

1月27日(水)
❶午前は東京から遠く離れた離島で繋がり続けている女性相談者との電話でのやり取り、彼女のフェイスブックを読むと、コロナ感染影響前は、様々な情景が思い浮かぶ投稿、その後にコロナで深刻な影響を受けたここ数カ月の苦しみ、メールだけでは、伝えられない言葉、直接話す事で伝えたい気持ちが伝わる。経済的苦しさだけでない。独りぼっちでない事を何回も伝える。励ます。なるべく明るく話そう。「笑って 笑って もう頑張り過ぎる事はない。」
❷午後からは私が東京ではいちばんの「共感力」がある**区福祉事務所に向った。日曜日にある繁華街でSOS対応した20代前半の男性Kさんの生保申請同行だ。「お金が底を尽き死にたいと思ってます。助かる方法がありますか?」自死の寸前で思い留まった。、10代の頃にスカウトされて上京してみたら勤務先はホストクラブであり、稼ぐだけ稼がせ、搾り取る。毎日のようにアルコール漬けにされ依存症となり身体を壊した。凄まじい業界の実態を聞く。若者たちの「自殺願望者」のLINEグループの話を聞く。グループの中で何人が既に自死したという。今日の面談中も「生きていく価値がない。皆さんに迷惑をかけたくない」と繰り返す。福祉事務所の相談員さん、支援員さん、相談員さん、そろぞれが「いままで充分頑張ってきたんだから、とりあえずゆっくり休もうね。」と声をかけ続ける。今日からビジネスホテルで休んでアパート探すだけじゃなくて連絡とりあおう。本当に本当にもう独りじゃない。
➌Kさんの生保申請立ち会いの最中に、先月に保護申請同行、保護決定後に失踪したNさんが私が**福祉事務所にいる事を知り、駆けつけてきた。「もう1回だけ助けてください。」私は相談部屋1と相談部屋4を掛け持ちして、生活保護申請立ち会いする状態、無事保護受理されてビジネスホテルへ、相談員さんは「私たちの福祉事務所で責任持つから、もう逃げちゃ駄目だよ」
❹新宿駅南口から、Facebookで繋がった友人から「助けにきてほしい」との連絡が入った。友人のFacebookを抜粋してみる。友人は首から、【SOS生活ガイド】の看板をさげて新宿駅の各出口に立ってくれていた。シケモクを拾うおじさんが、私の首からさげている看板を遠巻きに眺めているので友人さんは、近づいて、「夜帰るおうちのある方ですか?」と伺うと、「ないです。」と答えたようだ。友人さんはアパートでの一人暮らしにチャレンジを説得していた。おじさんは73歳、約60年前、東北の貧しい実家から、出稼ぎに出て以後、各地を転々とし、飯場という雑魚寝暮らしと、貧困ビジネスの タコ部屋でしか生活したことがない人。気弱で優しく、朴訥だけど品のある、大変な紳士。アパートで暮らす話をふくらませてあげると、目がキラキラ輝くんだけど、すぐにうつむいて、「自分に まともなアパート暮らしなんてできるわけないよ」と意気消沈してしまう。よく聞くと**福祉事務所で生活保護を利用しているが、無低に入所させられたようだ。明後日におじさんと福祉事務所に向かい、担当ケースワーカーさんと状況確認する。私たちでサポートするのでアパート入居を認めてもらうつもりです。でも酷いのは、居所がなく住民票がないおじさんを連れてあるビジネスホテル(超有名)のフロントにいったら、電話もなく住所がない人間を宿泊させる訳にはいかないと言い放った。私が責任を持つからと言っても撤回しない。おじさんが私に囁く。「泊まれるホテルがあるんです。」一緒に歩いて向かう。着いたホテルは何とラブホテルだった。今日から一人で2泊する。明後日の福祉事務所でアパート入居の第一歩を踏み出そう。
❺緊急アクションで共に活動する小椋修平足立区議から連絡が入る。蒲田にある立憲民主党の井戸まさえ事務所に所持金ゼロの30代青年が駆け込んでいる。到着した時間は20時、4日間何も食べてない、緊急給付をおこなうが、生活保護には抵抗あり、よく聞いてみると、以前に生活保護利用したが、とても嫌な経験をしたのだと、今度は平気だよと伝えたが、今日は保留となった。
❻緊急アクションへのSOSが来て、新宿に引き返す。待っていたのは20歳の少年、北海道の最果ての町から7歳の時に上京。建築業で働くがヤクザ系で逃げ出し、短期就労で繋いだが、今日、新宿で18000円入ったサイフとカードを紛失した、明日の派遣の面接可否でチャレンジネットか生活保護の選択になる。終了時間は今日も22時  今日も東京の夜を駆け抜けた。

●2021年1月26日 「渋谷のラジオ」1時間のトーク番組に出演

1月26日(火)
❶今日は朝9時からFM87.6MHz「渋谷のラジオ」の「渋谷社会部」という1時間のトーク番組に、よりそいホットライン事務局長で社会的包括サポートセンターの遠藤智子さんにゲストとして呼んで頂き、「新型コロナ災害緊急アクションの活動で見えていること」。年末年始の新型コロナ災害緊急アクションの概要や、衝撃を受けたエピソードについてお話っせて頂きました。遠藤さんとは「原発事故子ども・被災者 支援法市民会議」でご一緒させて頂いたのがきっかけです。私が2013年秋に長期入院を強いられた時に、河崎弁護士さんと真っ先にお見舞いに来てくれた事を今でも覚えています。生活保護を利用してアパートに入居しても、その後も一人ぼっちの状況が続いてしまう。以前から孤独な社会に生きてきた、「社会の生きづらさ」この点を強調したつもりです。
❷ラジオ出演を終えて急いで、毎週必ず通う**福祉事務所で既に生保申請同行からアパート入居まで完了してきた女性Kさんと待ち合わせ、「助けられる立場から助ける立場になりたい」ポジティブに語る。一方でKさんの悩みを深刻だ。11月から住むアパートの住環境は良い。新しくて間取りも良い。お気に入りで入居した。しかし、しかし、80代の大家さんが毎週のようにやって来て部屋をトントン叩く。「若いのに、いつから働きにいくんだい?」「生活保護を何故利用しているの?」不動産仲介会社からも注意してもらったが、収まる気配はない。住宅セーフティーネットの登録空き家住宅でも、実際は生活保護利用者には貸しhたがらない大家も多い。入居差別は深刻なのだ。今日は私も一緒にケースワーカーさんと今後の対応協議、大家さんが家賃未納の不安を持たないように、代理納付の手続きをおこなうと共にケースワーカーさんも大家さん訪問をおこなうと約束してくれました。
➌午後からは、午前と同じ福祉事務所でIさんの生活保護申請同行、コンビニ店長で雇い止めにあい失職。コンビニ業界のブラック体質の凄い実態を聞きながら、コロナに便乗した雇い止めの怒りを共有した。闘わないと駄目なので

●2021年1月25日 今週も生活保護申請同行から始まりました

1月25日(月)
❶今週も生活保護申請同行から始まりました。20代の青年Cさんを信頼できる対応で評価できる都内の**福祉事務所に案内した。嫌な事がたくさんあった神奈川県から離れて、やり直したいと聞いたからだ。コロナ感染の影響で仕事も住まいも失い、、年末に生活保護支援や居住支援を標榜するNPO法人に連絡したら、法人が経営する無料低額宿泊所(個室)に入所させられた。生活保護申請に同行するからと言われたまま数日間放置されたとの事、所持金もあと僅か、止む無くひとりで神奈川県大和市の福祉事務所に生活保護の相談に行った。住民票や離職届を出すように言われた。でも、所持金がないため、住民票や離職届がそろえられなかったら、申請をあきらめましょうと言われた。生活保護申請には住民票や離職票なんかいらない。とても信じられない追い返しの追い返し作戦を受けて、申請が受理されなかった。
◎今日の申請受理があまりにも、スムーズなのでCさんは驚いている。住民票もいらない。身分証明書類を紛失しているが問題はない。1カ月間のビジネスホテル宿泊とその後のアパート入居までの連携までの話し合い。福祉事務所でこんなに違うのかと、
◎午前に群馬県の方から相談電話が来た。コロナ感染の影響で職を失い、所持金も2万円になり、生活保護に相談にいったら「働けるなら働きましょう」と言われ、ハローワークに同行しますと言われたそうだ。大和市も群馬県**も「生活保護は権利」がどのような意味でるのか全く解っていない。
❷夕方は都内**区の格安ビジネスホテルからSOSをくれたMさんに会いにいった。
新宿で夜の飲食店で働いているが緊急事態宣言の発出で客が途絶え、収入も途絶えた。助言どおり今日からTOKYOチャレンジネットのホテルに泊まるが今晩まで、昨日までの宿泊先であるBビジネスホテルから未払い宿泊分を払わないと警察に訴えるとの事で何とか緊急給付してまにあわせた。夜の飲食店で壊滅的影響が出始めている。
➌夜は、**区からのSOSだった。10月に、西多摩の部品工場の派遣で雇い停め。所持金1000円、出身は、福島県、昨年春まで除染作業員で大熊町で働いていたという。寮から追い出され、ネットカフェに泊まるお金もなくなり、友人宅に身を寄せているが、これ以上は難しい。生活保護申請を勧めているが扶養照会の壁が立ちはだかっている。

●2021年1月24日 20代前半の男性は言葉に力がなかった

1月24日(日)
冷たい雨の中、秋葉原からのSOSに駆けつけた。雨の中で20時にもう近い時間なのに、メイドカフェの客引きをコスプレを着たスタッフが続けている。メイドストリートを歩く男性はまばらだ。給料のほぼ全てがノルマ給なのだろう。収入が途絶えてもストリートに立ち続ける彼女たちの姿、雨は降り止まない。でも明日は晴れるらしい、良かった。
●秋葉原で待っていたのは、20代前半の男性、言葉に力がない。「お金が底を尽き死にたいと思ってます。助かる方法がありますか?」彼は、10代の頃にスカウトされて上京してみたら勤務先はホストクラブであり、毎日のようにアルコール漬けにされ依存症となり身体を壊した。コロナの影響で収入が途絶えた。来週に生活保護申請に同行する。繁華街がある街から離れた場所で暮らそう。

●2021年1月23日 街も人も、死にたくなくても死んでしまう

1月23日(土)
❶昨晩にメールでSOSを頂いた相談者と朝から電話でのやり取りをおこなう。緊急事態宣言発出で接待を伴う飲食業で働いているが、「仕事はあるが、現在お店はやってない」状態が続いている。蓄えも底を尽き、住まいからも追い出されるというTOKYOチャレンジネットで当面の宿泊先を確保しながら、ささえあい基金で食費を支えていく。早く緊急事態宣言が解除され、夜のネオンが戻る事を願う。でないと「街も人も、死にたくなくても死んでしまう。」
❷夜は浅草からのSOSに駆けつけた。寒い雨の夜の雷門周辺は人がまばらだ。待っていたのは30代の男性、先月に派遣会社を雇い止めされて寮から追い出された。来週火曜日に派遣の面接があるので結果を待ちたい。生活保護は扶養照会で嫌だと。でも面接の結果待ちで生活保護申請が必要だと、生き続ける選択肢が少ない現状なのだ。

●2021年1月22日 「ひだんれん第22回福島県交渉」に参加

1月22日(金)
❶朝から「ひだんれん第22回福島県交渉」に参加しました。交渉相手の福島県庁とはZOOMを通じての交渉、私は、村田さんと熊本さん、阪上さんと一緒に、避難の協同センター事務所から参加しました。交渉の冒頭から、事情があり期限内に退去できなかった、避難指示区域外からの避難者34世帯に対し先月より、実家の親や親族の家に訪問して、「あなたの娘(息子)さんは『○百万円の家賃を滞納している。支払って1月中に退去するよう親から言ってくれ。さもないと法的手段に訴える』などの追い出し圧力を福島県がおこなっている事に対し、経過説明を求めると同時に抗議した。福島県は、「協力を依頼する書面を送り、県内については、職員が個別に訪問し、家族などによる支援が可能か、聞き取り調査を行った。手続きは間違えていない。」と開き直ってきた。「1月末まで退去しないと、裁判など法的手段に訴えますよ」これは調査ではなく脅しです。更に重要な問題として、避難者本人の承諾なく緊急連絡先の方に勝手に訪問したり、勝手に住民基本台帳で調査したり、被災者台帳を支援目的外で使用する事は、公務員の違反行為ではないか!私たちが知っている二倍請求され続け追い込まれた避難者の方々の大半が「臨時雇用・パート・アルバイト」新型コロナで収入に影響も受けています。転居費用を貯蓄する余裕すらないと聞いている。そのような避難者の皆さんに対して、転居費用援助すらなく、高齢化している親の家に押しかけ追い込む福島県の「生存権」すら脅かす行為は許せません。負担苦痛を拡大させ、家族を分断させる人道に反する行為です。
❷午前のひだんれん交渉を踏まえ、午後から対策を協議、15時過ぎに板橋区方面からSOSに向かう。コンビニ店長の契約解除されて半年間、仕事が見つからないという。来週に保護申請同行します。
➌東京都に隣接する千葉県の**市から南アジアの男性からのSOSに向かう。入管に6カ月収容後、11年の仮放免生活、長い年月が経過し、離れて暮らすパートナーと子どもが心配だと嘆く。何故、11年も難民認定されず無権利状態のままにされるのか、働いてはいけない。移動してはいけない。所持金ゼロ円 とりあえず命を繋ぐ給付金を渡した。
❹都内に戻り、**国の20代の男性からのSOSに向かう。半年間サポートしてきた。良心的兵役拒否を貫いた。絶対に人を殺したくない。9条の平和憲法があるのに、多くの外国人の生存権すら守らない現状が哀しいとう。1年かかって就労資格がおりた。来週にホテルの面接に期待している。ずっと仲間でいよう。
❺今晩の最後は上野駅でKさんがSOSで待っていた。2週間前に給付金だけ受け取ったTさん、やっぱり派遣の仕事がなく来週水曜日に生保申請同行します。

●2021年1月20日 今晩もSOS対応案件が続いている

1月20日(水)
❶午後からはじめての**福祉事務所に訪問、。出会ってから1年以上の女性Sさん、**福祉で生活保護を既に利用しているが、居所がない放浪生活になっている。家計管理ができないとの理由からアパート転宅を許可されず、無料低額宿泊所や更生施設に入所すべきと**区は頑な姿勢だ。Sさんは施設収容のような対応について拒否を続け、生保を利用しながら、都内や横浜の支援団体にも協力を得ながら、各地を転々していた。何故、出費が必要だったのかの理由や重要度も本人しか解らないと思う。そして一度つけられたレッテルは剥がしてはくれない。Sさんは嘆き悲しみ、ケースワーカーさんや婦人相談員さんに怒りをぶつける。だからと言って無低に入れては駄目だ。もうSさんには安定した居所で暮らしてほしいから今日は頑張るしかない。生保利用中なのでホテルではないけれど、個室で集団生活でもなく、ピンハネされる事もない「宿所提供施設」の提供を提案した、明日に**区福祉から回答が来る。Sさんの昨日のブログに書いてあった、「明日、瀬戸さんに会える」信頼されている事は解っている。僕も辛抱強く付き合うよ。
❷山谷泪橋ホールの店主で写真家の多田裕美子さんと打ち合わせをおこない、上野からのSOSに向かう。50代の男性Mさんからだ。もやい時代の稲葉剛さん、湯浅さんにお世話になったのだという。所持金が500円しかない。生活保護を利用していて仕事が決まったとの事で無料低額宿泊所を出て生活保護も廃止したのに、コロナ感染再拡大が来て仕事を失った。Mさんは言う。「稲葉さんはもう一度会ってくれるかな」平気平気!明日、稲葉さんが会おうと言ってくれたよ。
➌今晩もSOS対応案件が続いている。待ち合わせ場所の新宿駅に2人の青年に会いにいった。Kさんは昨晩メールが届いた。「もうなにも望まないから死なせて下さい。」生活保護申請同行してアパートが決まりかけたのに、行方が解らなくなった。年末の寿の越冬にKさんは現れて、越冬ボランティアとして参加していた。実家の親族が倒れて久し振りに帰郷した。酷い声を浴びせられたという。生保を利用してアパートに住んでも孤独は癒せない。
寿の仲間と一緒にいたいと言う。私から寿の仲間に連絡した。「待っているよ!」Kさんに明日の交通費と今晩のネットカフェ代を渡した。
❹今日最後のSOSは20代の青年Cさん、神奈川県内から来てもらった。SOSを受けたフードバンクかわさきの高橋さんから丁寧に引き継ぎを受けた。経済的に困窮して、住まいも失い、年末に生活保護支援や居住支援を標榜するNPO法人に連絡して法人が経営する無低のアパートに入居させてもらい、生活保護申請したが、**市の福祉事務所から、住民票を出すように言われた。でも、所持金がないため、住民票がそろえられなかったら、申請をあきらめましょうと言われた。生活保護申請には住民票なんかいらない。とても信じられない追い返しの水際作戦を受けて、申請が受理されなかった。この無低も、食事付きをうたっているのに、食品を頼むと嫌な対応をされたという。ギリギリまで所持金を吸い上げて搾取したのかもしれない。青年はアパートから逃げ出した。このとんでもない福祉事務所は数年前に原発事故避難のシングルマザーの生保で酷い水際があり、対応して生保を認めさせた経験がある。対応経過と無低の実態をを検証して責任は追及するにしても、このままではCさんが潰れてしまう。私が生保申請同行とアパート入居までおこなう事を確認、申請同行日までの宿泊費と生活費を給付した。否定された尊厳を回復しよう。もう独りじゃない。

●2021年1月19日 悲しすぎる夜が続いている

1月19日(火)
❶午前はワーカーズコープ本部で日本労協連主催2020年度第2回「共にはたらくプロジェクト」(自立就労支援プロジェクト)会議で1時間の講演、ワーカーズコープとの繋がりが急速に強まっています。コロナ感染災害の影響で、非正規、派遣労働で苦しめられて、脆弱な層から雇い止めされ、路上に叩き出せる状況で、また同じような新自由主義の犠牲者にする訳にはいかない。ワーカーズコープの労働現場に様々な課題がある事は解っている。その事を批判評論するのでなく、助け合う労働としての「協同労働」の場づくりをすすめる事、
生きづらい若者に必要な就労ケアと居場所づくり、そして地域であちこちに必要な「駆け込み寺」、公的支援を受けれない外国人の一緒に作っていくしかないと思っています。
*ワーカーズコープちば菊地理事長からの千葉県における生活困窮者支援の実践報告が良かった。受託している千葉市生活自立・仕事相談センター稲毛の相談件数でも、住まいに関する相談が急増している。外国籍の方からの相談も急増している。一時生活支援事業の受託で休眠預金を活用したシェルター立ち上げなどの取り組みも進めている。
❷新宿区福祉事務所で生活保護申請同行をおこなっているエープラスの吉祥眞佐緒さんからレスキュー電話が入った。吉祥さんは2名の相談者の生活保護対応を同時におこなっていた。年末の大久保公園で出会った4名の女性にずっと寄り添い続けている。その寄り添い方に共鳴している。福祉事務所と相当に困難なやり取りになっている。現状の窮屈な福祉制度に若い世代の相談者は受け入れる事ができない。それでも否定せず受け止め続け、働きかける。いつかいつか少しづつ前を歩けるようにと、その後の仕事づくりのサポートも伴走している。私もできる事を応援していきたい。久し振りに歩いた隣接する「新宿ゴールデン街」あちこちの店舗が2月7日まで営業休止の案内表示、緊急事態宣言が長期化しない事を望む。
➌夜は、自宅から今日2回目の講演だった。梨の木ピースアカデミーコース7の「死にたくなくても死んでしまう。」― 新型コロナ災害緊急アクションの困窮者支援の取り組みからと題した講演を1時間、現場支援と並行した1日2回講演は大変でした。
❹ZOOM講演が終了して間もない21時30分にSOSメールが届いた。30代前半の男性、新宿中央公園からの悲鳴だ。今晩は寒すぎて死んでしまう。駆けつけるしかない。3日前に関西の地方都市から夜行バスで、東京なら仕事があると思いやってきたという。療育手帳を持っていた。「現在の東京では仕事がないよ。」青年は落胆してしまった。東京で生活保護を利用するか故郷に帰るかの選択、生活保護を利用してもアパート入居が認められるか確証はない。結果として青年は故郷に帰る事になった。宿泊費と食費と交通費を給付した。青年の後ろ姿が哀しい、せめて今日は、暖かい部屋で泊まってほしい。
❺PCには多くの相談者からのダイレクトメールが届く。「死なせて下さい。」メールで励まし続ける。悲しすぎる夜が続いている。

●2021年1月18日 23歳 童顔のT君の生活保護申請に同行

1月18日(月)
❶今日は東京南部にある**福祉事務所に、先週木曜日に川崎駅近くでSOSを受けた23歳の童顔のT君の生活保護申請に同行、SOSを受けた時の所持金は9円、扶養照会させずに申請受理。無事に今晩から30日間、ビジネスホテルに宿泊してアパート入居を目指します。
*T君は、僅か23歳で人生を諦める寸前だった幼少期からの親からの凄まじい虐待経験を淡々と語る。「人生頑張っても報われる事なんてない」「大人や社会なんて最初から期待していない。」正規職の仕事がなくて、プロゲーマーを目指してきた。頼れる友人・知人はリアル空間には殆どいないが、ネット空間では結構いるよと言う。気がついた時には所持金9円、緊急アクションの相談メールは、ネットの友人が教えてくれた。「人生諦めかけた時に会えて本当に良かったです。」とメールをくれた。
*T君の素朴な質問、「彼女できたら一緒に住めるんですか。」私は答えた。「収入がある彼女を招き入れたら、収入認定されるよ。ワンデイ宿泊はいいんじゃない。」若い世代の生保申請同行は色々な意味で勉強になる。
❷夜は、年末の池袋相談会で出会った路上生活4年のいつも人懐っこい笑顔のKさんに会いに彼が宿泊するホテルのロビーに向かった。路上生活が長い方々の多くは、携帯電話を持たずメールもない。身分証明もなく、持っているのは、先日発行された「生活保護受給証明書」のみ、ケースワーカーから「ホテルに宿泊できる期限は1月30日迄ですよ。間に合わなかったら施設にいきませんか」今日は不動産仲介の友人に来てもらい、画像での物件内見、明日にはつながる携帯を渡して、数日中に物件を見学して、期限内のアパート入居を目指します。

●2021年1月16日 緊急SOSがない夕方と夜でした

1月16日(土)
午後から、全国クレサラ生活再建問題対策協議会の新年総会に「新型コロナ緊急アクションの運動と被害の実情~相談対応から政策提言まで」と題して記念講演させて頂きました。当初は大阪開催との事だったので依頼を快諾、理由は、久し振りの大阪で串カツを新世界を食らい釜ヶ崎や鶴橋に行けるから、、しかし快諾の数日後に感染拡大で全てZOOM会議に変更となると徳武さんからのメール。超残念です。早く大阪のみなさんと会いたいです。
*全国各地からの相談が続いています。支援団体や人権派弁護士や司法書士ネットワークと駆け込み寺があちこちでできる事が必要です。これからもよろしくお願いします。
*今日は緊急SOSがない夕方と夜でした。思わず爆睡してしまいました。とっても疲れていたので最高の気分です。

●2021年1月15日 リレートーク「困窮・失業問題と法制化」で連帯挨拶

1月15日(金)
❶今日は午後から、ワーカーズコープセンター事業団の全国事業所長会議にゲスト参加させて頂き、リレートーク「困窮・失業問題と法制化」で、連帯挨拶をさせて頂きました。
*「住居を支援しても、コロナ禍で仕事が見つからない。安定した職場で就労できない。結果的にはアパート、ビジネスホテル等で、孤立、引きこもってしまう」この困難に対し、12月12日に本部会議室で「しごと探し・しごとづくり相談交流会」をワーカーズコープと共催し、当事者の就労ケアと、主体者として働く場づくり、当事者の居場所づくりなどの連携を開始しています。ワーカーズコープでは、地域の人たち自らが地域づくりを運営するための拠点「みんなのおうち」を全国に広める取り組みをしているとの事、緊急アクションや反貧困ネットワークのSOSメールでは、全国各地から所持金1000円をきった状態での悲鳴が届いている。各地域で駆け込み寺が必要になっている。現在の貧困状態を自己責任だと言われ精神的困難に追い込まれている当事者、競争労働でではない協同労働の場づくりを一緒にすすめたい。
❷ワーカーズコープ本部は豊島区池袋福祉事務所の真裏、徒歩1分の場所にある。今日の私は「駆けつけ支援」でなく、相談依頼案件が目白押しだった。全国事業所長会議の会議室の横の会議室を借りて、計5名の連続相談をおこなう事態となった。5名のうち4名が女性からの相談となった。
➌最初の2名は女性、私が信頼しているNPOの代表さんが連れてきてくれた。生活保護に頼らず就労する事で生活を建て直したいが現状では困難、20代の彼女、野宿生活を強いられたが年末の相談会で出会ってTOKYOチャレンジネット経由で宿泊し、就労の道を探つたが期限内で携帯電話を復活できず12月14日でホテルを退去させられた。協議の結果、2名ともに週明けにNPOの代表さんが生活保護申請同行してくれる事となった。ワーカーズコープで仕事も紹介していく。少しづつゆっくり歩いていこう。もうこれ以上傷づく事はない。
❹次の女性は、何故か昨日、横浜寿に来られて、「瀬戸さんに迎えにきてほしい」との事で連絡が来た。横浜に1泊してもらい今日、池袋に来てもらった。出会ってから1年以上、居所がない放浪生活になっている。説得に説得を重ね、来週、福祉事務所に一緒に行こうと約束した。
❺年末の池袋相談会で出会った路上生活4年でいつも笑顔のKさん、とても大好きなオジサン、生活保護申請して昨日、保護決定通知がおりた。でもいつも笑顔のKさんは不安そうだ。ケースワーカーに言われたそうだ。「Kさんは住所が関東にないし、携帯電話もない。ホテルでは住所がおけないから、一旦、ドヤか更生施設にいきませんか」Kさんは施設生活が嫌で嫌で生活保護を利用してこなかった。携帯電話もなく不安もあるが、住所移動は後で可能な不動産屋さんとつながる携帯を用意して、何とかアパート入居できるようにしよう。
❻最後の相談は20代の女性、昨日深夜にSOSをくれた。以前も相談してくれた。ダブルワークで頑張って生活保護は利用しなかった。ダブルワークのひとつの仕事が緊急事態宣言で、暫く仕事がなくなった。家計のやり繰り含めいろいろ相談して励ます。いちばん大事な事は孤立しない事、ひとりぼっちで悩まない事。
❼フラフラになりながらワーカーズコープ本部を出る。金曜夜なのにSOSが来ない。今日はお家に帰ろう!と思ったら、電話がかかってきた。生活保護申請同行して一昨日にアパートの入居審査が通ったMさんからだ。自営業の事業倒産の関係で口座が差し押された。生活保護費も口座の中にあった。緊急にMさんが住むホテルに向かった。絶対に何とかしような!必要な対策を終えて帰路についた。本当にコロナが憎い。無策の政府が許せない。
 

●2021年1月14日 宣言発出後、若い世代が追い込まれている

1月14日(木)
年末年始の連続相談会と緊急事態宣言発出以降の現在、緊急アクションの相談メールが急増している。若い世代が中心に追い込まれている。今晩は稲葉さん、小椋さん、私が同時に首都圏の各地から届いたSOSに駆けつけ支援している。あちこちから公的支援を受けれない外国人から家賃滞納で追い出されそう。助けて欲しい電話が続く。事態は深刻化している。
❶昨晩のSOSメールは40代の青年、「昨年秋に仕事が満了になり、派遣の仕事してますがコロナ禍で毎日仕事がなくその日暮らし状態。派遣会社登録で少しだけ仕事がある。」この場合は、TOKYOチャレンジネットの宿泊支援制度が活用できる。(ビジネスホテル宿泊➡一時利用住宅)しかし食費など生活費支援がない。今日は午前が職場のパルシステム本部だったので来てもらい、面談して生活費給付したうえで徒歩圏内のチャレンジネットに向ってもらった。どうしても仕事が見つからない場合は、生活保護申請同行を約束した。その後に電話連絡が来て、無事にビジネスホテルに宿泊できたようです。
❷先週にSOSを発してくれた30代のKさん、お会いした時には所持金なし、寮つきの仕事が決まったがコロナの影響でキャンセル。マックで夜を過ごしている。明日に派遣の面接があるとの事で給付金だけ渡して別れた、しかし昨晩、緊急事態宣言発出で面接もキャンセルという事で生活の目途がつかない。生活保護を利用したいと連絡があり、パルシステムから、急遽の生活保護申請同行、無事に受理されビジネスホテルに1カ月滞在してアパート入居を目指す。
➌夜は、神奈川県方面に向かう。20代前半からの青年が待っていた。所持金は9円、12月に失職した。童顔の好青年だが、親族との関わりは無く、行ける場所や宿泊代 頼れる友人・知人もいないという。経済的な貧困だけでなく幼少期から関係性の貧困で苦しんできた。来週月曜に生活保護申請同行します。もう独りじゃないよ。

●2021年1月12日 支援者同行なくても「現在地保護」の徹底を

1月12日(火)
❶今日も朝から**福祉事務所での生活保護申請同行からはじまりました、先週木曜に上野からのSOSを頂いたFさん。福島県出身で所持金は45円、建設業で働いてきたが、以前にリウマチと診断され、治ったと思っていたら 傷みだし仕事ができず、家賃 も払えなかった。1月4日にアパートを強制退去させられ、公園で寝ていたという。もう死んでしまおうかと考えたが、ギリギリ思い留まり、緊急アクションに連絡してくれた。
*今日の保護申請は無事に受理、ビジネスホテルに1カ月間宿泊しアパート入居を目指すが、Fさんから以前、失踪するしかない無料低額宿泊所の実態を聞いた。千葉市内にある特定非営利活動法人となっている。上野公園などで野宿している人々に声をかけて、生活保護申請をすすめ同行する。そのまま無低に連れていくパターンだ。施設料を引かれ、手元に残る金額は2.7万円、連れていかれた施設は6畳の4人部屋と劣悪、部屋毎に責任者が置かれるが、Fさんはよく殴られたという。問題なのはハローワークなどの就労活動を嫌う事、無低運営の労働を職員として担わせる。食事の配膳や片づけなどをさせるなどの労役を課す。無低からの自立支援でなく、無低経営の為に如何に退所させないか躍起になっている。
これこそ貧困ビジネス!極限の貧困状態にある人々はNPOでという事で騙されているという。自治体福祉事務所は民間に丸投げする事なく、実状を今すぐ調査して対策を講じてほしい。「生活保護なんて二度と利用したくない。」このような状態を放置するな。
❷TOKYOチャレンジネットに申し入れをおこなっていた「年越し支援・コロナ被害相談村」メンバーが、スタッフの同席拒否問題があり、それについての申し入れと、ホームページで支援の具体的内容を記載するよう要望書を出したという。その後メンバーから呼びだしを受ける。定期通院の病院から駆けつけた。年末の大久保公園での相談会でチャレンジネットを経由してビジネスホテルに宿泊支援を受けた居所がない相談者、若いので働きたい。生活保護は利用したくない。チャレンジネットの就労支援で仕事をしたいが、携帯電話がない場合は、1月14日でビジネスホテルを退去してもらう。これがチャレンジネットの基本スキームだ。携帯電話の未払い金額が支払う事ができれば14日以降もホテル宿泊が延長され、仕事が見つかれば一時利用住宅が提供される。携帯電話の滞納分を給付し、若者の今後に期待する事にした。ここでも若者たちは生活保護を躊躇している。躊躇させてしまう社会と政治の責任、この現状を変えなければと思う。
➌次のSOSは秋葉原方面からのSOS、30代の青年が待っている。キャバクラ店員だが、コロナで仕事が激減。昨日から野宿を強いられた。給付金を渡し早めにチャレンジネットにいくよう助言しました。客が来なくてもお店は開いている。青年をお店まで送迎して見送った。
❹今日の任務は終了!帰宅する車中に携帯電話が響いた。教会からの連絡だ。**駅の路上で日本国籍の東南アジア人の30代男性からのSOSが来たらしい。所持金は1000円、自力で、!明日、**福祉事務所で生活保護申請を予約していたが、今日は野宿となってしまう。よく聞いてみると**福祉で生活保護に相談にいったら前泊地が他の地域だから駄目、福祉事務所がある場所で泊まり、再度申請に来てください!と言われたらしい。だから所持金が尽きたのだ。支援者が同行しないと、このような対応をおこなっている事に本当にガッカリ、、予定が入っていたけれどキャンセルして明日同行するよと言ったら「こんなに助けてもらったんだから自力で頑張ってみます。」との答え、**福祉事務所は毎週のように申請同行している。私の名刺を渡して「1カ月間、ホテルに泊めてください。と言ってくださいね。駄目だったらすぐ電話してください。アパート入居手伝うね。」と答えた。
支援者が同行しなくても「現在地保護」を徹底してください。支援者が同行しなくても無低に入れないでビジネスホテルに宿泊させてください。本当に頼みますよ。

●2021年1月11日 韓国の市民団体は個別相談でなくデモを行う

1月11日(月)
❶東南アジア**国籍の女性Tさんの個室シェルターへの引っ越しが、多くの方々の協力で無事に終了しました。何回も部屋にやってきて暴言を浴びせてきた家主が指定してきた明日の強制退去日。好き好んで家賃滞納を続けた訳ではない。外国人だから真っ先に雇い止めされて、仕事が見つからなかった。好き好んで、定住資格を失った訳ではない。異国の地の路上で野宿生活になる寸前で。SOSをくれてありがとう。もう独りではありません。ここ数日で多くの仲間ができました。
*今日はささえあい基金で1泊だけの一時宿泊先のビジネスホテルに迎えにいき、山谷の「ほしのいえ」で待っている中村シスターと会う。住まいを失い、受け入れ先が決まらず困っていた私のSOSにシスターが速攻で問題解決してくれた。
ほしのいえは、お互いの平らな関係の中に自己の自立と回復をはかること、「山谷から」の視点で社会的に不利な立場に置かれた人々の生活や人権や命を守るための連帯を大切にする事を目的に、毎週火曜日の炊き出しや火・木・土の作業所と福祉生活相談などを行っている。今日は明日の炊き出しに向けておにぎり作りだという。忙しいのに一緒にシェルターを提供してくれた教会に向かった。外国人支援で必ず、伴走してくれる原文次郎さんが合流、入居説明を受けて、都内某所のシェルターに向かった。シェルターとってもワンルームマンションの1室、窓から富士山とスカイツリーが見えた。
*女性なので、私の車では積めなかった荷物、企業組合あうんの中村光男さんにお願いしたら、当日中の引っ越し作業を快諾してくれた。今日、打ち合わせ予定だった、沖縄から山谷泪橋ホールのイベント「牧瀬茜の『泪橋劇場』第五夜」に来られていたノンフィクション・ライターの渡瀬夏彦さんと少しだけお話して企業組合あうんに向かい、荷物を預かってくれていた区議さんの事務所を経由して全ての引っ越し完了!Tさん。もう独りじゃいよ。いっぱい友だち増えたよね。
❷夜は上野駅でSOSを発してくれたNさんに会いにいく。上野公園で野宿生活している。以前に生活保護を利用していたという。数日後に仕事が決まったという。緊急事態宣言で雇用環境が厳しくなる。とても心配だ。
➌水道橋からのSOSの返信がなかった。面会をキャンセルして、日韓市民交流を進める希望連帯主催の日韓オンライン講座『「新型コロナ感染症の広がりの中での韓国のホームレス をめぐる状況」調査を通して』に帰宅移動中の車中にZOOMを繋ぎ参加した。講師は韓国
現地調査でコーディネーターをお願いしている鈴木明さん。韓国の生活保護法は、生活保護の権利を記載した「国民基礎生活保障法」チャットン福祉の実践で困窮者を洞自治体が自ら出かけていき探しだし、福祉支援制度に繋ぐ。日本の生活保護利用の捕捉率が20%に対し韓国は60%であるというのは有名な話だ。只、韓国でも日本と同様の課題を抱えていると聞いた。①「施設入所」が前提となる制度設計②市直営でない民間委託の問題、鈴木さんが、日本の「新型コロナ災害緊急アクション」の相談支援活動を紹介して、韓国での市民団体の対応を尋ねた。答えは、「韓国の市民団体は個別相談でなく、デモを行う」というものであった。市民団体の役割を、個別救済より、当事者と行う社会運動に重点を置いている韓国の状況が見えた調査であったと結んでいる。おかしい、と思ったことに対してはすぐデモをおこない、権利を主張してより良い状況を勝ち取る。新型コロナ災害緊急アクションの取り組みを「公助」で終わらせない事、これからの課題です。


●2021年1月10日 今日も東南アジアの女性Tさんの家へ向かう

1月10日(日)
❶今日も東南アジアの女性Tさんの家へ向かう。コロナの影響で仕事を失って6か月、家賃が払えず、大家がアパートの室内に土足で押しかけ、「年内で退去しろ」と迫られていた。定住資格を持っていたが、困窮状態も重なりで更新に間に合わなく、年末に申請した入管の判断は3カ月ビザ、生活保護など公的支援も受けれず、就労もできない状況に追い込まれた。明日の追い出し日(鍵が変えられる)を控え、今日は引っ越し荷物を私の自家用車に積み込み、今晩だけの一時避難場所のビジネスホテルに移動、明日からは、ほしのいえの中村シスター紹介のシェルターに移動して安心できる環境で暮らすようにします。
❷夜は多摩川近くのコンビニ前からSOSをくれた50代の男性Mさんに会う。年明けから野宿生活だという。所持金はほぼない。秋に脳梗塞で倒れて入院生活、その間に住んでいたシェアハウスから追い出されていたと信じられない話だ。明日から経緯を把握したい。衣食住の基盤回復に向けて必要な支援をおこないたい。

●2021年1月9日 凄まじい量の段ボールハウスが道端に伸びている

1月9日(土)
❶夕方に向かった神奈川県の**駅、待っていた40代の女性、東北の過疎の村から上京したが、就職が厳しく性風俗の仕事を続けてきたが、コロナの影響も重なり雇い止めにされた。寮を追い出されてネットカフェ暮らし、年末年始で仕事が見つからず途方に暮れていた。やっと決まった警備員の仕事、しかし所持金も枯渇して、交通費がなく現場に出勤できない。所持金は400円、警備の仕事は寒くて辛い。緊急事態宣言発出で警備の仕事も更に厳しくなる。定まった住まいを確保してほしいな、、お決まりの生活保護の話をするしかない。特に利点を話す。私たちが同行する事でアパート入居までサポートすると話す。警備会社と契約してしまった事と故郷の村の役所は知っいる人ばかりだから知られる事が嫌だなと言っていた。当面の生活費とネットカフェ代を給付、連絡待つてます。
❷多摩川を超えて都内に入り環七を走り出してすぐにYさんからSOSメールが来た。「昨年中は何度も助けていただきありがとうございました。瀬戸さん、本当にありがとうございました。これ以上生きていくことはできそうにありません。死のうと思います。」以前、**区に相談に行き、精神疾患があること、集団生活ができないことを伝えたのに、ベニヤ板で仕切ってあるだけ、こじらみも出る不衛生な部屋と、普通の人が食べる食事でない無料低額宿泊所に入れられた経験があった。SOSを受けて、生活保護申請同行してアパートが決まりかかったのだけど、住民登録が抹消されていることがわかり、絶望して年末に失踪してしまったのです。
◎「死んだら駄目だ」短いメールを入れた頃に、弾圧事件が起きた。パトカーがやってきて「車の中に不審物があるかもしれないから調べさせろ」と抜かす。任意捜査なので拒否、押し問答が続く。その時にYさんから電話が来た。私の活動を聞いていた警官は急に平誤り、、「ホームレスの人を見かけたら、排除するのでなくちゃんと助けろ」と言ってパトカーを追い出した。
◎遅れに遅れて21時に新宿西口で再会した。年末年始は横浜寿の越冬に参加して炊き出しを手伝っていて、事務局長に世話になっていたという。そこで、私は考えたのです。無理してアパートで独りぼっちでいるより、寿の仲間たちがいる街がいい。個室の簡易宿泊旅館でも良いとYさんも言う。事務局長に電話したら「世話するよ」と、、Yさん、何度でもやり直せるよ。生きていこう。
➌嬉しかった事があった。元旦の夜、大人食堂を終えてSOSで駆けつけた女性、自分を犠牲にしながら見ず知らずのお婆さんを助けている。ガスと電機がもう長い間止まっているが家賃だけは払っていて。キャベツやブロッコリーの片を拾いながら暮らしていた。「アパートに電気を灯し部屋を暖かくしましょう。必ず一緒にラーメン食べにいけるようになりたいです」と伝えて給付金を渡して別れたのが元旦の事、気になって昨日に電話したのだけれど繋がらなかったが、今日返信が来たのです。「瀬戸さん 私いま幸せですよ。給付頂いて電気がつきました。そのお金で久し振りに教会に行けたのです。それから沢山の食料を頂き、フードバンクからも寄付頂いて、1月6日にお婆さんと一緒にお餅が食べる事ができて、今とても幸せなんです。」それぞれの幸せの形がある事を教えてくれました。
❹新宿西口から自宅に戻る時に都庁周辺を車で回った。凄まじい量の段ボールハウスが
道端に伸びている。どこまでも長い段ボールの列、寒すぎる夜の新宿、屋根がない人がこれだけいるのだ。辛いな。悲しいな。

●2021年1月8日 緊急事態宣言、日を追う毎に路上から悲鳴が

1月8日(金)
❶今日も朝から初めての**福祉事務所での生活保護申請同からはじまりました、
区内在住の72歳の警備員のNさん、大晦日の池袋相談会で出会った。足裏を痛めて歩くのも辛そうだ。加えてコロナ禍で仕事がなくなったそう。年金も支給資格がない。切羽詰まって、社協の貸付金を申請したが待てども振り込まれない。所持金が35円しか残らない。
水しか飲めない状況となって池袋の公園まで歩いて、私と会った。その時の給付金で今日まで命を繋いだ。無事に生活保護申請が受理された。
❷午後に**福祉事務所近くの相談者の女性Tさんが住むマンションに向かう。Tさんは東南アジア**国籍の女性 コロナの影響で仕事を失って6か月、外国人から先に首が切られる。家賃が払えず、大家がアパートの室内に土足で押しかけ、「年内で退去しろ」と迫られていた。定住資格を持っていたが、困窮状態も重なりで更新に間に合わなかった。年末に相談を受けた時に、生活保護を利用したいとの意思を聞く。入管の年末最終日に申請にいった。しかし発行されたビザは3カ月の特定活動ビザだった。でも住民票はマンションの住所にある。一縷の望みをかけて生活保護準用が認められるよう申請同行した。しかし申請は受理されなかった。住民票が既に消されていたからだ。来週月曜に部屋の鍵が交換される。Tさんは泣いていた。福祉事務所を出て対策を急ぐ。定住資格が復活するまでどの位かかるか誰にも解らない。帰る故郷もない。可能性があるシェルターに電話しまくるがどこも一杯だ。横でTさんが泣いている。「平気だよ。僕らが守るから」根拠ない慰めを繰り返す。そうだ。尊敬する山谷のほしのいえの中村シスターに連絡してみよう。シスターは「任せなさい。」と答えて電話を切った。何と5分後に電話が来た。山谷ではなく、女性でも安心できる街の個室シェルターを準備してくれた、無料で暫く住んでいていいよ。Tさんは嬉しくて泣いていた。日曜日に迎えにいってビジネスホテルに泊まってもらい月曜日に入居する。またもや私の車で荷物を運んでの引っ越しだ。生活費は反貧困ささえあい基金で当面のいのちを繋ぐ。帰宅したらTさんからメールが届いていた。「感無量で胸がいっぱいです。外国人の私に手をさしのべて頂ただきまことにありがとうございます。この恩は一生わすれません。」困った時はお互い様だよね。
➌19時に江東区の**駅からSOSを発してくれた30代のKさんに会いにいく。所持金なし、寮つきの仕事が決まったがコロナの影響でキャンセル。マックで夜を過ごしている。明日に派遣の面接がある。生保申請は否定していないので、連絡とりあう。
❹21時に中野区に向かう。30代のMさんに会いに行く。電気ガスが止められている。あちこちで大変な事になっている。住まいを追い出されたり、ライフラインが止められている。緊急事態宣言は1カ月、日を追う毎に路上からの悲鳴が増えていく。大変な事になってきた。

●2021年1月7日 給付金をお渡しした時にKさんは泣いていた

1月7日(木)
❶今日も**福祉事務所訪問から開始です。今日の目的は生きづらい状況にあり福祉事務所も対応困難で、私が継続的にコミュニケーションを取り続けている若い相談者の今後の支援方針の擦り合わせです。私たちの支援活動の基本パターン(SOS受信➡駆けつけアセスメント➡生活保護申請同行➡アパート入居支援)ですが、相談者の多くは課題を抱え続けています。昨日も年末年始の間に、以前に申請同行した方が失踪していた事が判明しました。最大の問題は、アパート入居した事は良いがコロナの影響で仕事が見つからず、孤独で引き籠り連絡さえとれなくなる事だ。民間支援団体のできる事は限られている。担当ケースワーカーと連絡を密にしながら、相談者が自分のペースでゆっくりゆっくり自律してくれる事を願う。
❷夕方、**福祉事務所からSOS先である**駅に向かう。いつも待ち合わせ場所にしているマルイ前でFさんに会う。所持金は45円 昨晩夜遅くのメールだったので、一晩、公園で野宿させてしまった。福島県出身だという。建設業で働いてきたが、以前にリウマチと診断され、治ったと思っていたら 傷みだし仕事ができず、家賃 も払えなかった。1月4日にアパートを強制退去させられ、公園で寝ていたという。もう死んでしまおうかと考えたが、ギリギリ思い留まり、緊急アクションに連絡した。来週に生活HP後申請に同行して、
少しゆっくり生活できるようにしょうねと約束した。
➌夜は「反貧困ネットワーク全体会議」でした。政府の緊急事態宣言の発出に伴って、2月21日に予定していた「反貧困全国集会」を4月前半の日曜日に延期開催する事を確認、
多くのSOSが路上から届く可能性が高く、緊急アクション含め、支援活動と、政府への働きかけに力を集中する、この頃は東京オリンピックの開催可否の判断もでているはず。4月はデモも必ずおこなう事で確認、大久保公園での「年越し支援・コロナ被害相談村」を開催した労働弁護団や地域労組、ユニオン労組との更なる連携を準備する事、孤立化しない相談者フォローと仕事づくりのネットワークづくり、継続した外国人支援、全国からのSOSに対応できる支援団体や弁護士リストも準備したい。今日は会議中にラジオ局J-WAVEのJAM THE WORLDのTODAY`S HEADLINE「緊急事態宣言と併せて行われるべき対策について」で電話インタビュー 打ち合わせなしで電話インタビューは苦手です。
❹21時30分に自宅近くから来たSOSで待つKさんに会う。所持金は30円、日雇いで働きながら3万円の風呂もない暖房もないアパート暮らしている。大学を卒業した時に正規職に就けず非正規で働いてきた。とても礼儀正しい、Kさんも福島県出身だった、私が9年前に大熊町から避難された方が住む、仮設住宅活動支援で毎週のように訪問していた町の出身だ。Kさんは大久保公園の相談会に来てくれた。その時に生活保護申請を勧められ、年末年始に考えてくれて連絡をくれた。所持金は千円を切っていた。福島出身の方にはよりモチベーションがあがる。福島原発事故被災者としての苦しみに加えてコロナによる苦しみ、帰る事ができない福島の街の風景と想い出を話しながら、給付金をお渡しした時にKさんは泣いていた。「こんなに優しくされた事はありません。」明日、つくろいの小林さんが生活保護申請同行してくれる。

●2021年1月6日 「困った時はお互い様」「命どぅ宝」

1月6日(水)
❶昨晩のNHKニュースウオッチ9での特集を視てくれたYさんからSOSメールが届いたのは24時頃だった。所持金500円の40代だった。「とりあえず寒さを凌ぎ暖かい場所で身体を休めたい、今は**駅周辺のコインランドリーで暖を取って居るがいつ追い出されるかわからない。追い出されたら違うコインランドリーを数箇所転々として朝迄凌いでいる。」13時にすぐ近くの福祉事務所で別の相談者の生活保護申請同行が予定されていたので1時間前の12時に待ち合わせした。Yさんは6月にタクシー会社を解雇されて以降、仕事が見つからず先月、家賃滞納でアパートを強制退去させられた。今日は倉庫。明日は警備の派遣面接があるからと生活保護は利用したくないという。面接結果で駄目だったら連絡くださいと伝えました。当面の宿泊と生活給付金を渡しました。とっても誠実そうな方でした。夜にYさんから丁寧なメールが届きました。明日から倉庫派遣で働くとの事、私はこのように返信しました。「倉庫の派遣業務、決まりそうでとりあえず良かったと思いますが、不安定就労である事に変わりません。今後も困難事項があればいつでも相談ください」やっぱり心配なのです。
❷13時から**区の福祉事務所で12月31日の池袋相談会で、私の相談ブースに来てくれたFさん、路上生活6年「今回は生活保護を利用したい。」と言ってくれた。身分証明も口座も携帯電話も全てなし、年末年始休まずに生活保護申請を受け付けてくれていた豊島福祉事務所を通じてビジネスホテルに泊まっていた。私は昨日、だらなしく伸ばした髪の毛を散髪したので待ち合わせ場所にいた私に気付かず、ウロウロしていたらしい。
30分遅れで生活保護申請開始、。大阪の元旅行代理店で英語喋れたらしい。代理店潰れて転落したと。昔のパチンコ台の話で盛り上がる。私なんかを救ってくれてと何回も頭を下げる。今日から1カ月間のホテル暮らし、おじさんは簡易宿泊旅館もいいねと言う。この辺りは環境が良くてそのまま定宿にする方も多い。そこで新たな住所つくってもいいねと話す。
おじさんは言った。「瀬戸さんと会えるのは今日までですか?」これから長い付き合いになるよ~と伝えたらホッとしていたよ。
➌昨日のFBで触れた、支援団体がない地域からSOSをくれた離島の女性、やり取りを続けて1カ月、嫌がる彼女に、生活保護申請を勧めるしかなくて福祉事務所に勇気を持って行ったのに、福祉事務所の凄まじい偏見に満ちて高圧的な言動と理不尽な対応、何とか生きていてほしいと励まし続ける。誰か助けにいってあげてほしいと書いた。
今日、沖縄辺野古基地に反対する現地の友人たちが「命どぅ宝」を体現するように、一斉に動いてくれて彼女と接触開始、私が彼女に電話したら、いつも泣いていたのに初めて明るく話してくれた。問題は何も解決していないけれど、「もう独りじゃない事は確実」みんなで解決していく為のお手伝い。支援する人、支援される人の関係を超えて「困った時はお互い様」「命どぅ宝」

●2021年1月5日 テレビ放映後、悲鳴のようなメールが届いた

1月5日(火)
❶今日も福祉事務所での生活保護申請同行です。Kさんは元宅配ドライバーで身体を壊し、東京で4年間の野宿生活、12月19日の全労連主催の日比谷公園の相談会でお会いした。とても人懐っこい笑顔があまりに印象的で「もう野宿は止めようよ。寒くなってきたから、生活保護を利用してアパートで暮らそう。」Kさんは人懐っこい笑顔を浮かべて給付金だけをもらって立ち去った。12月31日に開催した新型コロナ災害緊急アクションの池袋相談会にKさんは再び人懐っこい笑顔を浮かべて私の相談ブースに来てくれた。「今回は生活保護を利用したい。」と言ってくれた。年末年始休まずに生活保護申請を受け付けてくれていた豊島福祉事務所に公園からKさんは歩いて向かった。申請受理日は12月31日となった。提供されたホテルからKさんからの公衆電話「1月4日に福祉事務所に呼ばれています。」Kさんの人懐っこい笑顔の裏側に隠れた寂しさが解った。生活保護申請に同行するよと伝えた。
*今日の保護申請同行は、最初からケースワーカー面談、豊島福祉の面談部屋は満室で、受付横の相談ブースでおこなわれた。受付横なので訪問者が次々とやって来る。入ってくるとすぐに怒鳴り声をあげる人もいる。横ではうつむき下を向いたままの女性が座っている。彼女には支援者の同行はない。独りで平気だろうか、今日もKさんは人懐っこい笑顔を浮かべているが緊張している。ケースワーカーとの面談ではセオリー通り、成育歴をKさんに聞きだす。殆どの相談者に共通する事は、幼少の頃から家族も貧困状態にあったり、家にいるだけで辛い状況にあっていた方が多い、(10代の頃から幸せだった事なんて1度もない)
Kさんの成育歴を聞くだけで涙が出てくる。ケースワーカーから「扶養照会」の説明、Kさんは小さい声で「扶養照会は嫌です。」私は親も高齢なのだから扶養なんてできませんよ!と伝えた。扶養照会なしで進める事が合意できた。1月31日までのビジネスホテル宿泊延長も確保、Kさんは施設や無料低額宿泊所は嫌だと言う。私は頑張って一緒にアパート探そうねと伝える。携帯電話もなく、メールもない。1月末までのアパート探しは大変だけど頑張ろうねと伝えた。Kさんの人懐っこい笑顔が戻った。
❷NHKニュースウオッチ9での特集「生活困窮者の新年」に私のSOS対応の現場や年末年始の取り組みなどが放映された。12月中旬から毎日のように追いかけてくる担当ディレクターのOさん、最初はどこまで解って取材しいているのか不安だった。クリスマスの夜も大晦日の夜もついてくる。でもOさんは取材を続けて多くの当事者と会う事で学び続け、私も驚く程の内容で放映してくれた。「生活保護は権利」だけども何故、困窮に陥った方々の多くが野宿生活を強いられても頑なに生活保護を拒むのか、扶養照会の事もしっかり取り上げてくれたが、生活保護における様々な制約とその後の「施設収容型」の居宅保護(?)が徹底的に「人間の尊厳」を奪い、「自律」を阻害している重たい現実があるからだ。そして引き下げられ続けた生活保護基準金額、この問題を変えなければ現状は変わらない。
➌今日もテレビ放映後、東京の路上からだけでなく、北海道や沖縄からも悲鳴のようなメールが届いた。支援団体がない地域からSOSをくれた離島の女性とのやり取りを続けて1カ月、電話の窓口で泣いているが声を聞くと少しだけ落ち着くという。生活保護申請時の凄まじい偏見に満ちて高圧的な言動、もう倒れそうな貧困にあるのに仮払いすら1円も出さない。カップラーメンばかりのフードバンクで食つなげと!未払いの家賃で追い出しも迫る。それでも助言すらしない。彼女は生活保護を取り下げたいと言っている。所持金はもうない。彼女がコロナ感染で絶望に陥る前は、弱き人々に支援し続けた人である事も知った。離島でテレビを見てくれていて「涙が出て止まりません。ありがとうございます。」と、私は「東京においでよ。何とかするから」とメールする。でも感染爆発の東京になんか来れないよね。ごめんね。電話相談会の猪股弁護士を通じて、なるべく近くの弁護士を探してもらっている。何とか生きていてほしい。誰か助けにいってあげてほしい、もうすぐ壊れてしまう。殺すな!

●2021年1月4日 休む間もなく動き出した。動くしかない。

1月4日(月)
年末年始の切れ目ない相談会と大人食堂を終えて休む間もなく動き出した。(動くしかない)
朝一番の任務は、福祉事務所での生活保護申請同行です。私自身6日間も生活保護関連の相談ブースで対応していた事もあり同行依頼が相次いでいます。今週は全て福祉事務所に直行になります。今朝は、切れ目ない相談会と大人食堂で最大貢献頂いた豊島区福祉事務所に向かったら入り口にはNHKのテレビ取材クルーが待ちうけていたのでビックリ!昨日の大人食堂の時にNHKから「明日はどこにいますか。」と聞かれて答えただけなのに、、、
*お昼のNHKニュースで流されたようです。支援グループでは新型コロナウイルスの影響が長期化し、仕事を失う人が増えているため、年末年始に東京都内で生活相談や食料の提供を行い、3日間で100件近くの相談が寄せられました。所持金がなくなるなど生活が成り立たない人も少なくなかったため生活保護の申請をサポートしていて、都内の自治体などに順次申請を行っています。相談を寄せた人の中には生活保護の申請をためらう人も多いということで、支援グループでは今後も相談を受け付けることにしています。「新型コロナ災害緊急アクション」の瀬戸大作事務局長は「生活保護を受ければ住まいを確保でき生活の再建に向けた活動を始めることができる。相談に訪れた人とは引き続き連絡を取り合い支援を続けていきたい」と話していました。
❷福祉事務所同行終了後は、11月末に猫ちゃんを連れていながら、住まいを追われた男性が現在、住むシェルターを訪問して近況を聞く。支援団体に頼らず、自分でペットと住める生活保護基準内で探していたが、やっぱり困難、一緒にアパート探しを再開する事にした。
➌明日から連日、相談会で出会った相談者の生活保護申請同行が続く。いずれも路上生活が長く、携帯電話などない高齢者、チャレンジネットを通じて宿泊しているホテルのフロントに電話して所在確認、フロントは個人情報を理由にして直接、電話を繋いでくれない。チャレンジネットに確認したうえで再度の返信待ち、切れ目ない相談会で多くの相談者にお会いしているので絶対、抜け落ちがないようにしたい。夜には外国人の女性の方から今週中に強制退去させるとの悲痛な電話、特別対応に入る準備も完了させた。
❹明日(1月5日)のニュースウオッチ9に於いての特集「生活困窮者の新年」に私のSOS対応の現場など密着映像を放映される予定です。

●2021年1月3日 年末年始 950食の食事提供と150名の相談受ける

1月3日(日)
新型コロナ災害緊急アクション・つくろい東京ファンド・ビッグイシュー基金・POSSE・反貧困ネットワークとの協働主催の「年越し大人食堂2021(四谷)」無事に終了しました。
12月31日「池袋緊急相談会@東池袋中央公園」を含めると、計3回企画で約950食の食事提供、150名の相談を受けた事になります。世界の医療団、パルシステム、企業組合あうん、自治体議員の会、外国人支援団体、そして多くのボランティア参加の皆さんの力を頂きました。テレビのニュースで、年越し大人食堂 を知ったお子さんもお年玉を寄付するため、お父さんと一緒に会場まで来てくれました。
*今回の企画を成功させるために、集まった広範で多様なネットワークができた事は大きいです。結果的にですが、12年前の年越し派遣村の際に活躍した労働弁護団や労働組合有志が主催した「年越し支援・コロナ被害相談村」、同時開催していた「なんでも電話相談会」など、切れ目ない連携が実現、長期化し深刻化するであろうコロナウイルス感染影響における貧困拡大に対応できる「共助」体制を今後、更に強めたい。それだけでなく「社会運動化」して政治を動かしていかないと駄目と強く実感もした。難民申請しても遅々として認定されず、労働もできず、生活保障もなく医療にもアクセスできず、移動の自由もなく、所持金も枯渇し、「給付金を求めて」助けを求めてきた外国人、「共助」でできる事は僅かです。限界があります。「公助」が機能しないとこれ以上は解決できない事が解った「年越し大人食堂2021」あとは政治の責任です。
*今日の全体集計で、計318人の方(お子さん14人含む)399食の食事提供、相談は74名、うち女性12名、半数が20代~40代、31名が外国人の方でした。(ナイジェリア、イラク、ペルー、ベトナム、エチオピア・ギニア・アフガニスタン・ブラジル・トルコ・カンボジア)医療相談が12名で特に公的支援が受けれない外国人が深刻、法律相談が4名、緊急給付金が38名、68万円、豊島区福祉事務所に当日中の生保申請が2名、明日以降に生保申請同行が3名でした。(自宅で点検した数値です。)
*前回と同様に生活保護利用による「尊厳の否定」と「孤独」より野宿生活の方が気楽と生保申請を躊躇や否定されて今日からも野宿を続けると答えた方がいる一方で、前回や大久保公園相談会の際には躊躇したが、熟慮して生活保護申請したいと再度、相談に来てくれた方が2名いました。すでに生活保護を利用していながら、アパートが見つからない、アパートを見つけても入居を認めてくれないなど、福祉事務所の理不尽な対応にひとり悩んで相談に来てくれた方、もう心配いりません。私たちが今日からサポートしますと約束しました。
*今日の相談会では「給付金を求めて」助けを求めてきた外国人の方々が多かった事が特徴です。長期の入管収容で、高血圧。糖尿病、鬱病、内臓疾患を患いながら医療も受けれない。コロナ感染拡大防止のために仮放免になったあとも働くことは許されず県外移動も禁止されている。一方で今日来られた外国人全員が寝泊まりできる場所は確保されていた。高齢の大家さんが見るに見かねて6か月も家賃が払えない状況なのに、「払える時でいいよ」と待ってくれていたり、シェアハウスを無償で住めるようにしていたり、地域の優しき隣人さんに支えてもらっているという話も聞きました。でもこれは民間の善意の「共助」です。完全な持ち出しです。、生活保障もなく医療にもアクセスできず、まさに生存権もない非人道的行為を日本政府がおこなっている。今日来ていた国会議員団と話して1月17日に議員団が外国人の方が住んでいるアパートと支援団体を訪問する事が決まりました。
国に帰れば弾圧と迫害が待っている。だから帰れない。私の友人は「良心的兵役拒否」で逃れてきました。自国に帰れば政府からクルド人を殺せと指示される。私は殺す事なんてできない。私に聞くのです。「憲法9条を持つ日本が何故、私たちを見殺しにするのですか。」やっぱり政治を動かし、変えなければいけないと痛感するのです。
*今回の「年越し大人食堂2021ーコロナ禍の年末年始、住まいを失う方にあたたかな居所と支援の手を届けたい!―」のクラウドファンディングに現段階で、1121人の方から10,917,900円が集まりました。
明日からも各地からの路上からのSOSを受けたら駆けつけます。「死にたくなくても死んでしまいそうです。」支援を受けれない外国人のサポートも続けます。今日も明日も多くの方々が泣いているからです。
*オーガナイズを担当した佐々木さんと荷物を片付ける帰りの車中で話しました。「5月の連休と、オリンピックを決行されたらロックダウンされた東京で、大人食堂やるしかないよね。」その時はまた皆で力を寄せ合いましょう。
明日は豊島区福祉事務所に終日います。大人食堂経由で福祉事務所にいかれる相談者のフォローです。

●2021年1月1日 「年越し大人食堂」340人に手作り弁当を配布

1月1日(金)
❶新型コロナ災害緊急アクション主催「「年越し大人食堂2021(四谷)」をイグナチオ教会で開催しました。つくろい東京ファンド・ビッグイシュー基金・POSSE・反貧困ネットワークとの協働主催です。世界の医療団、パルシステム連合会、企業組合あうん、そして多くのボランティア参加の皆さんの力を頂いて1日目が終了しました。
*全体集計で、340名に「チーム枝元なおみ」手作りのお弁当配布、45名が生活相談、うち4名が豊島福祉事務所との連携でチャレンジネットのホテルに宿泊、14名に生活給付金支給、医療相談が12件でした。
*配食チーム「チーム枝元なおみ」は、パルシステム東京の組合員理事をを中心に、枝元なおみさんをサポート、 肉味噌や、そぼろご飯、酢の物、野菜の煮物など、枝元さんが前夜から準備されたという様々なお料理を、用意。ジャガイモのポタージュ、野菜スープなど温かいものも食材の提供は、パルシステム、計15品は全て小分けにして提供。受け取った人は教会近くの土手に並べられたいすに座り、温かい料理に舌鼓を打っていた。当初は200名の予定だったのですが足らなくなると思いきや、緊急買い出しを敢行し、超美味い「かき揚げ蕎麦」を作り、誰一人取りこぼさない配食をやりきった。
*今日の相談の特徴は以下のように整理できる。①世代は30代~70代と多岐に渡る。野宿生活が長い方が多い。緊急アクションのSOSメールは20代、30代が多いが、その層は対面相談会には来ていない。②女性が2割、外国人の相談が7人、医療相談が今日は多い。かなり病状が深刻③昨日は生活保護申請が6件あったが、今日はゼロ、生活保護利用による「尊厳の否定」と「孤独」より野宿生活の方が気楽なんだと、、④仕事を探しに来たんです。現状では答えられない。私たち支援のネットワークの次なる課題、支援ネットワークの重層化が必要。
*今日も多くの報道陣が取材に訪れた。テレビ局の取材で多い質問、「この方はコロナの影響ですか?」そんな質問はもう止めてほしいし、単路的な報道はもう止めてほしい。10年以上前から、非正規しかなくアパートすら借りれない若者たちの希望を奪ってきたんだ。そう何回も自分で呟く。一過性でない報道を願う。
*TBSの金平さんが励ましてくれた。「基金は凄い事なんだ。みんな必要性は論じるけれど誰もやろうとしなかった。どれだけ命が救われたか。」
安田菜津紀さんや望月衣塑子記者など闘うジャーナリストも集結、今や支援者同志となった藤田和恵さん 和田静香さんらは取材というよりボランティアスタッフとして頑張ってくれていた。
*原発事故や汚染の問題を中心に発信し続ける和田珠輝さんも調理補助、和田さんはブログでこう報告されている。和田さんの報告を読んで、今日開催できて良かったと思う。
私は、物資の配布場所で案内をしていたのですが、来場者は性別も年齢相もさまざま。とくに印象に残ったのは、お子さんを連れたお母さん、外国籍の方、そして10代くらいの若い女性。 とくに最後の若い女性は、かなり精神的にも辛そうで泣いておられた様子。お弁当を選ぶのもやっと、という状態。そんな様子を見た枝元さんが、そっと彼女の肩を支えながら、お料理の説明をされていたのが印象的でした。人は、傷ついたとき、弱っているときに、そっと肩を支えてもらえるだけでも勇気が出るものです。また、この日は、生活相談会も開かれていて「私も支えてもらったから、お返ししたい」と言ってボランティアで調理補助に来ておられた若いシングルマザーの女性が、その辛そうな女性の相談に乗ってあげていたんですよね。やはり、同じような経験をしたかたに話を聞いてもらえるのって、すごく安心すると思います。これらは〝共助〟です。本来は、この共助とともに〝公助〟がないと、根本的な問題は解決できないのですが、残念ながら今日本には〝公助〟がないので共助でなんとかするしかありません。そうしないと、人が死んでしまいますから。
❷元旦の夜もSOSがありました。藤田和恵さんと一緒に都内某所に向かいました。私より少し年上の女性でした。長い間、自分を犠牲にしながら見ず知らずの方を助けてくれていた方で品がある方です。ガスと電機がもう長い間止まっているが家賃だけは払っている。キャベツやブロッコリーの片を拾いながら暮らしている。それなのに見ず知らずの方を今でも助け続けていたのです。生活保護利用しないとアパートの中で死んでしまうのは時間の問題。でも役所には絶望していて生活保護は利用したくないといいます。2時間かけて色々な話をしました。私の価値観に近い事が解りました。私はこう言ったんです。「最近、支援しても失敗する事が多いんです。」この言葉を聞いて、近寄れたような気がすると彼女は少し笑ってくれました。元旦の夜に本当に来てくれるとは思わなかったそうです。
*2021年の最初のSOSで出会った彼女との出会い、「アパートに電気を灯し部屋を暖かくしましょう。必ず一緒にラーメン食べにいけるようになりたいです」と言いました。苦しい時は苦しいと言っていいんです。何回も伝えました。車で走り去る時にバックミラーに、ずっとずっと手を振り見送ってくれていた姿が見えました。21時30分元旦の夜の支援活動がとりあえず終わりました。
 

●2020年12月31日 「池袋緊急相談会@東池袋中央公園」を開催

12月31日(木)
❶新型コロナ災害緊急アクション主催「池袋緊急相談会@東池袋中央公園」を開催しました。つくろい東京ファンド・ビッグイシュー基金・POSSE・反貧困ネットワークとの協働主催です。他にもパルシステムが食料支援、世界の医療団が医療、企業組合あうんが備品提供してくれました。そして多くのボランティア参加の皆さんに感謝です。
*私は、相談コーナーの司令塔として、給付金支給と福祉事務所誘導手配などを担当しました。全体集計で、約100名に食料配布、31名が生活相談、うち6名が豊島福祉事務所を通じて、生活保護申請仮受理とホテル、6名がチャレンジネットのホテルに泊まる事ができました。11名に反貧困ささえあい基金で当面の生活支援金を給付しました。今回は豊島福祉事務所の頑張りがあったからこそ、寒い野宿暮らしを強いられた宿泊希望者全員が大晦日や正月をホテルの暖かい部屋で泊まれました。1月4日、5日に生活に今後の生活について相談対応してくれます。豊島福祉には5月以降、毎週のように必ず生活保護申請同行で訪れていました。傷つき疲れきった相談者が、無事にアパート入居できて、新たな人生をスタートできるためには、福祉事務所の暖かで丁寧な対応と伴走が必要です。これからもよろしくお願いします。
❷大晦日の夜もSOSがありました。調布市からのSOSがあったので、池袋から中央高速で向かい20時にやっと到着した。難病で移動困難の単身者で1日、1回、ご飯かパンだけ食べている。おかずなし。その状態が3週間続いていた。給付金を渡して命を繋いだ。1月4日に生活保護申請同行して、医療最優先で応援していく。2020年の大晦日の夜も東京の夜を駆け抜けた。2021年も宜しくお願い致します。東京の夜を駆け抜けます。

●2020年12月30日 大久保公園2日目、途切れる事のない相談

12月30日(水)
❶大久保公園での「年越し支援・コロナ被害相談村」の生活相談二日目でした。今日の相談は115件、一日目と合計で170件となりました、ほほ倍増の相談件数、10時から17時までの間、途切れる事のない生活相談、私だけでも15件、昨日と同様に、生活保護を拒む方が大半です。
*生活保護でなく。一時的宿泊の利用の場合はTOKYOチャレンジネットを経由するが、1月4日朝が退去日、4日以降は本人が再び窓口にいき、再申請するしかない。今日は、相談者が多く、細かな事情を聞かずにビジネスホテルを提供していた。4日以降は仕事がない方の場合は拒否される可能性は多い。所持金おなく居所がないのに生活保護を拒む困窮者は寒すぎる野宿生活を再び強いられる。生活保護利用を丁寧にすすめよう。福祉事務所を経由すれば1カ月のビジネスホテルを利用しながら、保護決定を待ち、アパート入居を目指す事ができるからだ。
*私が相談を受けた中で、ベトナム、エチオピア、インドネシアの方がいられました。殆どが所持金が底を尽きています。就労資格がありません。就労資格があっても真っ先に雇い止めになっています。ひとりでなく友人同士で駆け込んでくるパターンも多いです。このような風景はかってない事態です。しかし公的支援が受けれない外国人はどうやって生きていくのでしょうか。日本国政府よ、答えをください。このままでは死んでしまいますよ。
❷今日もこれで終わりではありません。新宿から遠く離れている葛飾区から2件のSOS対応で車を走らせる。閑散としている首都高速は強風に煽られて怖い。最寄り駅で移住連の原さんと待ち合わせしてアフリカの仮放免の女性と会う。家賃滞納でこのままだと退去が必至だ。日本に来て10年以上、在留資格が取り消され仮放免、難民申請しても認められない。
就労資格が与えられず、このままだと死んでしまう。緊急給付をおこなう。4月以降、命を繋いできた外国人は1200名に達する。日本国政府よ、答えをください。このままでは死んでしまいますよ。
➌同じ葛飾区から来た単身男性のSOSに向かう。1週間以上も水だけで暮らしてきた。このままだと死んでしまう。緊急給付をおこなう。21時 長い1日が終わった。

●2020年12月29日 「年越し支援・コロナ被害相談村」始まる

12月29日(火)
今日から年末年始の昼間は、ほぼ全ての時間を、仕事や住まいを失った方の相談会、夜はあちこちの路上から届くSOS対応に時間を費やす。
❶今日は、TOKYOチャレンジネット横の大久保公園での「年越し支援・コロナ被害相談村」の生活相談を緊急アクションが担当しました。主催は日本労働弁護団、全労協や全労連、連合に参画する地域労組、派遣社員ら非正規雇用労働者が加入するユニオン労組の有志らでつくる実行委員会の主催、開催が決まり記者会見での発表が昨日に関わらず、初日の相談は56件。弁当などの食料提供は60件だった。特徴の一つは、女性の相談者が12人いたこと、派遣村では考えられなかった。
*TOKYOチャレンジネットでビジネスホテルが一時提供される事を知った居所を失った方が多く訪れています。但し1月4日朝が退去日、1月4日以降はどうするのか、、仕事もなく、所持金も殆どないのに、生活保護を拒む方が大半だ。「生活保護で施設に入れられて、尊厳を踏みにじられた、アパートでも孤独で辛かった。それならば路上で暮らした方が気が楽だ。」本当に本当に辛い答えばかり、、、生活保護は権利と言ったところで、傷つき過ぎた相談者の心には届かない。虚しい。
*今日は豊島区などいくつかの福祉事務所が生活保護申請受付とビジネスホテル提供をおこなっている。―昨日夜に北千住ではあったFさんが、大久保公園に来てくれた。でも今日はスタッフ不足で生保申請同行できない。私の名刺を持ってひとりで福祉事務所に行ってもらった。スピード受理してくれたらしい。1月4日に再度、福祉事務所を訪問しケースワーカーとの面談という手順だという。アパート入居まで無事に進むよう年明けからサポートしていきたい。80代の野宿生活が長いおじいさん、命からがらたどり着いた。新宿区議さんに生活保護申請同行をお願いした。
*今日はとても嬉しかった事があった。生活相談で対応させて頂いた路上生活が長い50代のYさん、かなり長い時間説得して年明けに生活保護申請同行してアパート入居を目指す。私たちの活動に感動してくれて新宿駅地下で寒空で寝ている方々約30名に相談会チラシ今日の残りの弁当を24時から配布してくれる、皆来てくれよと。何とか年末年始はホテルに泊まって、可能であれば生活保護利用しようと呼びかけてくれる。棗弁護士と相談して現地まで弁当を運んでくれる。Yさんと出会えた事に感謝!
*今日は一緒に生活相談を担当していた雨宮処凛さんがチャレンジネットや新宿駅周辺で参加のお声がけした方が心臓の痛みを訴え、救急車に同乗した。最低でも2週間の入院が必要と言われ、入院となったようです。長い野宿生活で身体が壊れた方も多い。
*最後に、総がかり行動の菱山さんと会う。明日に地元自治体ではじめて生活保護申請同行をおこなう。地元自治体は水際追い返し、生活保護申請なのに自立支援に回すハードルが高い場所、対処方法を伝授した。小さな声で、連帯のシュプレヒコールで送り出した。
❷相談会を終えて3件のSOSに向かう。1件目の新宿のマンガ喫茶からのSOSは途中で通信が途切れた。2件目の埼玉県**市からのSOSは家賃未納の追い出し案件、明日中に振り込まないと追い出される。途中に電話でお話して明日以降にお会いする事に、3件目は日比谷の相談会でお会いした埼玉県**市からの男性、「今日死んでもいい。」とのメールが来たので自宅まで向かう。会えた。年末年始を越えられない所持金、緊急給付をおこなう。根本的対策は年明けに考える。



●2020年12月28日 地域の「寿支援者交流会」につなげる

12月28日(月)
❶午後から横浜市**区に向かう。S0Sをくれた女性Kさんと初めて出会ったのは、5月に、横浜市営地下鉄の**駅近くでコロナの関係でコールセンター縮小で雇い止めされ、シェアハウスの家賃を1か月滞納したら、4日前に強制的に追い出され、友達の家の倉庫や、公園、夜はただ歩いていていたという。殆ど食事はしていなかった。その後は、生保申請してアパートにも入居、仕事も復職できて、順調に生活保護から卒業する筈であったが、金銭トラブルに巻き込まれてしまい、所持金がなくなり家賃も2カ月滞納状態で大家は年末でで退去せよと、金銭トラブルに巻き込まれたからといって福祉事務所が助けてくれる訳ではない。例によって私にSOSが来たのだ。今日は会うはずだった担当ケースワーカーが不在、福祉事務所には行かずに、地域の強力な支援団体である「寿支援者交流会」のオリジンこと高沢事務局長と森ひでおさんに会いにいき、地域で繋がって頂いた。30年近くも横浜寿で活動してきたオリジンは、迅速に当面の解決方法や生活支援について迅速な助言、やっぱり地域で支えあう事がいちばん有効であり大切なんだと実感!毎年通っていた寿越冬闘争に今回は大人食堂を開催するので行けないけどお互いガンバロー!
❷夜は上野近くの稲荷町からのSOS、20代男子で所持金はゼロ円、九州から東京に一人旅にきて、財布とキャッシュカードなど落としてしまい生活ができなくなり、帰る事ができない。警察署に行っても自力で解決しろと言われた。年明けに給料が入るとの事、九州に帰るお金と今日の宿泊費を助けてほしい。う~ん 本当は、仕事探しに東京に来たけれど、仕事が見つからずに困っていたのではないか?とも思ったんだよね。とりあえず九州に早く帰る事、奥田知志さんの「抱撲」を紹介した。九州に帰ったら、連絡してみるといいよ!と伝えて別れた。

●2020年12月27日 帰宅時間は23時30分「今日は任務終了!」

12月27日(日)
❶午後は板橋区議の五十嵐やす子さん主催の緊急相談会に参加、数多くの板橋区で生保申請同行した当事者の皆さんのその後をしっかりフォローしてくれている。今日も路上にいたジェントルマンTさんも来訪、その後のアパート暮らしでの状況報告、自分が助けてもらったから今度は助ける側として手伝いたいと言う。とっても嬉しいね。
❷今日の最大参加目的として、都営団地からの退去を求められている50代後半の女性の継続相談、10月に80代の母親が急死してしまい、娘である女性が、6カ月後の退去を求められている。コロナの影響で収入が半減している状況だ。東京都にも折衝したが、「例外は認められない」との返答だった。私は生活保護制度を使い、アパート転居を勧めるしかなかった。でも彼女は受け入れる事ができない。当然だと思う。
*根拠である都営住宅の使用承継制度は、住宅の名義人が亡くなった場合、かつては同居の子に名義を承継し、住み続けることができたが、2007年に、原則、配偶者のみに制度が改悪され、子は高齢(60歳以上)、障害者、病弱者にしか承継が認められなくなってしまった。名義人の死亡又は転出の日から6ヶ月以内に、退去させられ、期間を過ぎても退去しない場合は、猶予期限の翌月から近傍同種の住宅の家賃相当額を負担、最終的には訴訟を提起される。親が死んだら子は出て行け!となっているのです。公営住宅の使用承継を2007年8月から原則配偶者のみとした時、全都で、昨年9月までに母子世帯、生活保護世帯、軽度な障がい者世帯等も含む2,361世帯が追い出された。近傍家賃が10万円近いと言われた母子世帯は、アパートを借りましたが、家賃が払えなくなり、生活保護を受けることになった。20年間親の介護をしていた50歳の男性は、仕事が決まらず、転宅もできず、電気、ガス、水道を全部とめられ、餓死寸前に自治会の役員に救われた事など、このように承継できない世帯が新たな住宅困窮者になって、深刻な事態を引き起こしている。多くの政令都市はこのような厳しい制度を適用していません。何とかしないといけません。仮に「退去」を求めるとしても、退去費用と転居時の入居費用補助などを、制度化すべきです。コロナで収入がさらに減少している人に対し、引っ越し費用も全部負担させて、駄目だったら生活保護を利用すれば良いとの安易な誘導はしたくありません。
➌帰宅して「今日は任務終了!」と身体を休める間もなく、新宿からのSOSが届く。もう20時30分だし、明日に対応できないかなと思ったが、所持金500円で今日から野宿だという。外はかなり寒い。「1日だけ野宿してください。」さすがに言える訳がない。到着した時間は22時00分過ぎ、再度の感染拡大影響で夜の新宿駅西口は真っ暗だ。待っていたのは20代男性、支援団体もない地方の出身で、支援団体が多い東京に助けを求めた。地方では一度仕事がないと再度、仕事に就く事が難しく、野宿生活寸前で、最後の望みをかけて東京に来た。明後日までの宿泊、生活費給付をおこない、福祉事務所に同行する。帰宅時間は23時30分「今日は任務終了!」

●2020年12月26日 無料の食事提供&ワンストップ相談会「新宿ごはんプラス」

12月26日(土)
❶新宿の都庁下で開催されている、無料の食事提供&ワンストップ相談会「新宿ごはんプラス」にパルシステムは、継続的に支援をおこなっています。コロナ感染が拡大した4月以降、自立生活サポートセンターもやいと新宿ごはんプラスは以前は隔週開催だった食料配布と相談会を毎週土曜日午後に開催し続けている。私も2014年7月の立ち上げメンバーなのですが、その時に食料や備品運搬を自ら名乗り出てくれたパルシステムの仲間である㈱ロジカルの久保さん。立ち上げ以降、休む事なく運営スタッフとして活動、4月以降は休みなしの状態で支え続けていると思う。本当に感謝!今日はパルシステムの仲間たちもボランティアで多く参加しています。パルシステム静岡の細谷理事長も参加しています。「大人食堂」も宜しくお願い致します。
❷30代の青年からのSOSを受けて、新宿から北千住に向かう。所持金はゼロだった。数か月、公園で寝泊まりしている。彼も以前、生活保護を二回利用した事があるが、二回ともに無料低額宿泊所に入所させられ、劣悪な環境に耐えられなかったという。一度目は、4人部屋の劣悪で不清潔な無低、二度めは、施設費だけで10万円を超える費用を払わせられ、自立に向けた準備すらできない。あちこちで施設入所の犠牲者が出ている。
➌北千住から都内某所に向かう。外国人女性からのSOSだ。コロナの影響で仕事を失って6か月、家賃が払えず、大家がアパートの室内に土足で押しかけ、「年内で退去しろ」と迫られている。生活保護申請に必要な書類を揃えて年明けに生活保護申請に同行してアパート入居を目指す。強制追い出しにも備える為のビジネスホテル確保も準備しておく。年末年始の追い出しに関するSOSが急増している。息が抜けない状況での年越しだ。

●2020年12月25日 怒涛のように駆け抜けたコロナ禍のクリスマス

12月25日(金)  
怒涛のように駆け抜けたコロナ禍のクリスマス
❶午前は参議院議員会館で「国家公務員住宅に居住する福島原発事故区域外避難者に対する追い出し行為に抗議する記者会見」を開催しました。
☆福島県が、昨年3月末に国家公務員宿舎に避難、経済的事情などがあり退去できず、家賃と駐車場代を合わせた使用料(家賃+駐車場代)の2倍を「損害金」として、毎月請求され続けている区域外避難者は、必要な支援も縮小、打ち切りされ、他に選択肢もなく、やむを得ず、2年間のセーフティネット契約にサインさせられたのです。契約書内容も事前に説明もされず、押印を迫られた経緯があります。一方的に継続入居を拒否し、個別事情がある避難者に、「不正入居者」とみなし2倍相当の損害金請求をおこない続けたのです。
☆12月14日付で、福島県内に両親がいる世帯に対し、親あての通知文を一斉に送りつけ、県職員2名が福島の実家を直接押しかけて、「両親に対して、〇〇万円溜まっている、支払って1月末までに退去するよう、親から言ってくれ、さもないと裁判にかける」との行動に出た事に対して強く抗議します。福島県は1月末に退去できなかった避難者を3月県議会において「裁判提訴」を提案するのでないかと予測しています。
☆私たちが知っている二倍請求され続け追い込まれた避難者の方々の大半の職業は「臨時雇用・パート・アルバイト」新型コロナで収入に影響も受けています。転居費用を貯蓄する余裕すらない。そのような避難者に対して「原発事故から9年経ったんだから自立せよ」と強弁、。転居費用援助すらありません。大半が60歳未満で公営住宅の入居要件にも該当しない。コロナ禍で不安な日々を送る避難者に、高齢化している親の家に押しかけ追い込む福島県の「生存権」すら脅かす行為は許せません。負担苦痛を拡大させ、家族を分断させる人道に反する行為です。事情があって引っ越しのできない避難者に強制的な明け渡し訴訟や家賃2倍請求を行うのは経済的にも精神的にも避難者を追いこむことになります。福島県は国家公務員宿舎の区域外避難者が安心して暮らせる住居を提供してください。
❷議員会館を出発して13時に**区福祉事務所で、30代の相談者Sさんの生活保護申請同行の待ち合わせ、南米から所持金がない状態で帰国する。帰国したら居所もないとのSOSを受けていた。帰国後、すぐに生活保護申請同行する訳にもいかず、空港でのPCR検査後の二週間隔離を必ず履行するよう働きかけ、今日やっと緊急アクションの若手スタッフの優馬君に福祉事務所前で引き継ぎ、無事に生活保護受理、今日からビジネスホテルに宿泊、年明けの保護決定後にアパート入居を目指します。世界のどこからでもアクセスできる私たちの支援活動、今後どうなる事やら、、、
➌15時から、人一倍寂しがりやで人懐っこいHさんを連れて荒川の企業組合あうんのリサイクルショップで家具什器を購入して日曜日のアパート入居に向けて準備万端です。Hさんと出会ったのは7月です。JR**駅近くの路上からSOSがあって駆けつけた時には、仕事を何とか見つけたいと言って当面の宿泊費と生活給付金を渡して別れた。3年前にくも膜下出血にかかり、片目が失明していて高血圧でふらつく事があるのに、生活保護は頑なに断った。「私なんか利用する資格はありません。」でも11月に入って再び連絡があって生活保護申請を決断してくれた。本人が申請を希望した福祉事務所は評判が良くない福祉事務所、ビジネスホテルなど提供はしてくれない。何とか私たちで住宅扶助費特別基準の範囲内で宿泊できるビジネスホテルを予約して繋いできた。アパートがなかなか決まらず、自暴自棄になりそうだった。そして今週、Hさんのアパート入居が正式に決まった。親分肌の風貌とは全く違って、人一倍寂しがりやで人懐っこいHさん。一方で山谷の星の家の中村シスターにも支えてもらった時期があって、高齢の中村シスターの世話もしていたのだ。今日はクリスマスです。中村シスターも「あうん」に来てくれて、クリスマスのささやかなお祝いをしました。これからも連絡をとりあいましょう。出会った時と同じ言葉「もう独りじゃないよ」これからは友人でいよう。
❹今日は金曜日です。SOSが2件、本当は3件だけれど、田川さんが対応してくれている。1人目の青年は30代、千葉県房総エリアから都内に転居して生活保護を利用してアパート入居したが、入居費用が基準を大幅に超えてしまい、次の支給日(1月5日)まで食べる事すらない相談者のもとに駆けつけて少額給付、福祉事務所には事前了解を頂いた。何とか年越しできそうです。2人目の青年は40代、所持金は120円、4月末にコロナの影響で、それまで勤めていた飯場での仕事が無くなり、同時に退寮、ここ2、3ヶ月は路上に出て各所の炊き出しを回っていたという。チャレンジネットで、当面の寝るところと、生活資金を援助してくれると野宿の知人に聞いて、相談しに行ったが、昨日は何処にいたのか聞かれ、正直に**で寝ていたと答えたところ、ルールが有るから**の福祉事務所に行ってくれと帰されたいう。「死にたくなくても死んじゃう」すがる気持ちでメールをくれた。今日からの宿泊費と生活費を渡して、来週月曜日に緊急アクションのスタッフが生活保護申請同行する事にしました。

●2020年12月24日 20代男性からSOS「猫が一緒です」

12月24日(木)
❶先週、20代男性からSOSメールが届きました。「現在、住んでいる部屋を来週に退去しなければなりません。猫が一緒です。」働いていた飲食の仕事がなくなって久しい。猫は1歳のチッコイちゃん。先週段階では「ボブハウスが空いていない」と稲葉さん、全力を挙げてペットと住めるシェルターを探すとの答え、猫の事になると100万馬力のように動き出す稲葉さん、誰も止められないパワーで、ペット可の部屋を急いで確保し、昨日、布団や家電を搬入してくれたのだ。
☆今日の私は追い出されたアパート前で待ち合わせして自家用車に荷物を積み込み、チッコイちゃんと一緒に**福祉事務所に直行、車窓から見える街の風景を見入る猫ちゃんが可愛い。聞くと保護猫で、生後3か月で捨てられていたらしい。命を繋いでくれて飼い主さんに感謝だね。猫ちゃんは車でお留守番、**事務所ではシェルターが確保されているので問題なく保護受理、年明けには保護決定されると思います。2月からアパート探しが厳しくなるので早めにアパート探しをすすめます、
☆福祉事務所を出発して、稲葉さんが待つシェルターに向かう。先に到着していた稲葉さんもチッコイちゃんと会えて、普段は見せない笑顔で嬉しそう。私はすぐに次の緊急支援に向かうのでお任せして、今日はお別れです。年明けのアパート探しまで、チッコイちゃんとの再会はお預けです。
❷都内の**駅でSOSを頂いたYさんと会う。コロナの影響で職を失い家賃が払えず、明日で追い出される。12月に入り、追い出し案件が急増している。来週月曜に生保申請同行を緊急アクションのメンバーにお願いしたが、驚く話を聞いた。Yさんが長年、住んでいた場所はレンタルオフィス、2畳部屋で家賃は38000円、同じ場所に20名が住んでいるとの事、これって新たな「住まいの貧困」じゃないですか。

●2020年12月23日 生存権保障のための政策を立民党に求める

12月23日(水)
❶6月初旬に神奈川県の**駅からのSOSで出会ったSさん。20代前半で荷物も何もなく不安いっぱいの状態で待ち合わせ場所にいた住んでいたシェアハウスからも追い出され、自宅から遠くの町のネットをカフェを転々して所持金が尽きていた。数日間に渡りメールで連絡をとりあってやっと会えた。社会と人間不信が増幅する状態での出会い、アパート契約を先に済ませて、その足で生活保護申請、その後もSさんの「生きづらさの理由」を受け止めきれるだけの度量と余裕もない状態、地域の支援団体とも繋がれずに半年が経過した。
その後、月1回のペースで会うようにしている。最初の頃は投げやりのようなメールのやり取りだったが、最近は丁寧で礼儀正しく主訴も明確になっている。「私なんか消えてなくなるから気にしないで」となっていたが、「生きている呼吸」が伝わるようになり、信頼関係が少しづつできているのかな、と思う。今日、クリスマスプレゼントのお菓子をもらった。とても嬉しかった。来月も会おうね。
❷夜は、江東区東雲の国家公務員住宅に移動、12月14日付で、二倍請求を受けている国家公務員住宅に住む自主避難者の実家や親族のもとに、県から退去を求める書面が届いた当事者5名の皆さんとお会いした。(書面参加2名)通知書面には福島に残る家族「転居されない場合は、訴訟など法的手段に移行せざるを得ませんので御承知願います」などと書かれている。県職員2名が福島の実家を直接押しかけて、「両親に対して、〇〇万円溜まっている、支払って1月末までに退去するよう、親から言ってくれ、さもないと裁判にかける」との行動に出ています。そのことで、経過や事情を知らない両親は子供が犯罪者のように取り扱われ、心を痛め、家族間の亀裂も生じてきています。参加してくれた避難者の皆さん全員が怒り哀しんでいました。参加された1人の女性は、私たちに手紙をくれました。「仕事を辞めて、他の所を探したらどう?茨城や埼玉に引っ越したらどう?7万円くらいならあるよ。」こんな事を福島県職員は言い放ったそうです。彼女は原発事故で避難を強いられ、仕事を見つけても非正規職しかなく、月10万円の給料で暮らす。転居費用など貯める事すらできなかった。転居費用補助も打ち切り、公営住宅の優先入居どころか、入居資格すらない。懲罰ともいえる二倍請求をこない、今度は退去しなければ裁判を起こす。高齢化している親の家に押しかけ追い込む福島県の「生存権」すら脅かす行為は許せません。負担苦痛を拡大させ、家族を分断させる人道に反する行為です。私たちは、当事者の皆さんの怒りと哀しみに基づき、このような福島県の進め方を止めさせるために行動を開始するしかありません、
コロナ禍で社会全体が苦しんでいる時に、このような追い出し行為をおこなう福島県を許す事はできません。
➌避難者との懇談会を終了して、「立憲民主党:年末緊急生配信!このままでいいのかCovid-19支援」にオンライン出演、自宅に戻れず、仕方なく東雲イオンの野外テラスで寒空に耐えながらの参加でした。立憲民主党からは、尾辻かな子衆院議員、逢坂誠二衆院議員、山井和則衆院議員、私たち現場サイドからは、緊急アクションからは私と小椋修平足立区議、つくろい東京ファンド小林美穂子さん、生活保護問題全国対策会議 の小久保哲郎 弁護士が生活困窮者支援の現場の最前線から様々な角度からの報告、扶養照会の廃止は小林さん、小椋さんから強く要望、私からは青年層の住宅支援や寮付き派遣(正規。非正規含む)の雇い止めから即時の退去強制に対する規制策、公的支援を受けれない方々の生存権保障の為の政策を立憲民主党に求めました。

●2020年12月22日 Hさんのアパート入居が正式に決まった

12月22日(火)
❶午前はアパートがなかなか決まらず、自暴自棄になりそうだったHさんのアパート入居が正式に決まった。3年前にくも膜下出血の手術をしてSOSを受けた時にも高血圧で体調が悪い。体調優先を配慮てして生保申請受理後のビジネスホテル(申請した*区はビジネスホテルは紹介してくれないので、住宅扶助費内で私たちが自ら手配)も福祉事務所の近くで予約した。親分肌の風貌とは全く違って、人一倍寂しがりやで人懐っこいHさん。何回もアパートの入居審査に落選を続けた。GOTOトラベル停止も目前に迫り、ホテルにも泊まれず、無料低額宿泊所に入所させられるのか!と落ち込みまくる。私は若いケースワーカーさんと事後策を何回も打ち合わせしているが、本人は落ちまくる。でも今日、朗報が舞い込んだ。審査を通過して27日(日)に入居が決定した。次は「布団」と「家具什器」、若いケースワーカーさんは経験が浅すぎて居所を失った相談者の対応は殆ど経験がない。「布団も家具什器も購入した領収書を持参してください。」これでは生活扶助費が全てなくなり年を越せない。慌ててケースワーカーさんに教育的助言をおこなう。「区指定の布団屋さんがありませんか。布団屋さんから通常は引っ越し日にアパートに納品しますよ。」「家具什器は、企業組合あうんから見積もりをFAXで送り、請求書で直接払い込みをお願いしています。」
ケースワーカーさんは、上司と確認して、私の助言を全て受け入れてくれた。今日から入居日までのビジネスホテルもはじめて福祉事務所が用意してくれた。この経緯を見ると、若いケースワーカーが悪いのでなく、福祉事務所の運用が厚生労働省や東京都の通知文書が周知されず、現場が知らないで相談者対応をおこなっているという事なのです。
❷午後は、★片山かおると語ろう! リアル&オンライン座談会 vol.1 『コロナ災害の緊急支援の現場から』で15分程ですが、支援現場からの報告をおこなう。小金井市議の片山さんは福島原発事故後に出会った。早稲田の「あかね」で開催した原発告訴団の説明に来てくれた事がきっかけで、原発事故被害者の救済を求める全国運動、避難の協同センター、日韓市民交流を進める希望連帯、そして「新型コロナ災害緊急アクション」では真っ先に自治体議員ネットワークをつくってくれた。もう8年も、一緒に汗を流してきた同志なのです。
3月の小金井市議会議員選挙、選挙あまり強くないから、みんなで応援したい、
➌夜は、12月12日に反貧困ネットワーク・新型コロナ災害緊急アクションと連携して開催した「しごと探し・しごとづくり相談交流会」に参加したワーカーズコープ東京のメンバーと振り返り会議に参加、交流会に参加してくれた相談者ほぼ全員が、緊急アクションにSOSをくれた住まいを失った方々、ひとりひとりからのヒアリングをもとに就労ケアを中心とした継続的な寄り添い方針を協議。参加者の中には、その後もワーカーズコープの職員に継続相談や居場所交流会に参加するなどの交流が引き続き取り組まれていた「当時者だけの居場所をつくりたい」と、動き出している相談者もいるので、3月6日に開催する第2回目の相談交流会に向けて私たちがやりたい事をやるのではなくて相談者自身が企画してm僕らがサポートするように進めたい。

●2020年12月21日 年越し大人食堂2021公開記者会見

12月21日(月)
❶今週も**区での生活保護申請同行から始まりました。11月初旬に出会った青年Tさん。6月から新宿中央公園やバスタで野宿を続けて、限界に近づき、新宿バスタ周辺で、助けてくださいのBoardをだして助けを求めていた。ジーパンの両膝が擦り切れ、前面が剥き出し状態で、靴もボロボロ。ジーパンと靴も買ってご飯食べようと給付金渡して別れた。「仕事が決まるかもしれない」とその時は期待を繋ぎ、生活保護申請をためらった。Tさんが生活保護を躊躇する理由がある。幼少期からの虐待経験、Tさんの腕には包丁で切られた傷跡が残る。もう一つは以前に生活保護を利用した時に入所させられた無料低額所での搾取と集団生活でのいじめ。私は今回ばかりは自信を込めてTさんに胸を張って背中を押した。
「無低に入所なんてさせない。アパートで暮らそう。」「Tさんの状況であれば、扶養照会させないよ」今日の福祉事務所の相談員さんは、何回もお世話になっている。緊張しまくりのTさんが途中で折れないように、私の方からも先手先手でTさんの辛かった経験をフォロー、扶養照会はしない事を確認して、無事に今日からビジネスホテル宿泊と保護決定後のアパート入居をすすめる事が決まった。Tさん これから絶対に人生 やり直せる。
❷13時からは参議院議員会館で「年越し大人食堂2021公開記者会見」を開催しました。
新型コロナ災害緊急アクション・つくろい東京ファンド・ビックイシュー基金・POSSE・反貧困ネットワーク5団体の共催で、12月31日は東池袋中央公園(東京都豊島区)で、緊急相談会を取り組みます。1月1日と3日には東京・四谷の聖イグナチオ教会で、無料で温かい食事を取ることができる「大人食堂」を取り組みます。複数の団体がそれぞれの強みを持ち寄って、コロナが影響を与えたさまざまな社会課題解決にあたります。私の職場でもあるパルシステムも食料支援で全面的に協力します。それが単体ではない、ネットワーク体としての私たちの強みです。今日はNHK・朝日・日経・共同通信など大手マスコミ、そして雑誌・フリーなど25人の記者が集まりました。
*調理を担当する料理研究家の枝元なほみさん「今回の大人食堂は、コロナもあるのでつくったものを一緒に食べるのではなく、食事をお渡しする形になる。でも渡して終わりでなく、ちょっとでも会話をしたい。食べ物が間に介すると人と人のつながりが、なんとなく柔らかくなる。食べ物の力を借りて、つながりをつくっていきたいです」。と発言、
*助けを求める事や生活保護を利用する事へのためらい、「こうなったのは私の責任です。」このような事を言わしてしまう状況を何とかしていきたい。大人食堂では、配食と共に生活相談や労働相談、必要に応じての緊急支援費などのお渡しや東京都が用意するとしているホテルへの同行などもおこないます。また、現在実施中の緊急相談フォームからのSOS受け付けと対応も継続します。相談会に来られない方の受け皿として、必要に応じて個別に緊急出動を実施し、誰も路上へ取り残さないよう体制を作ります。
*年末年始に所持金が枯渇して、野宿生活を強いられている方々が、確実に、ビジネスホテルなど緊急宿泊施設に入居できて、暖かな年越しができるように、連携をすすめていきます。以下の働きかけを東京都、厚生労働省に求めていきます。
① 宿泊先の相談をしたくても、相談場所が解らなかったり、相談しても入れなかった人が続出する事がないよう広報活動の強化、確実に泊まれるよう福祉事務所毎単位での要因配置と相談ダイヤルの設置、年末年始に相談会を実施する民間支援団体との連携をすすめ、確実に誘導ができるようにすること。
② 年末末年始に所持金が枯渇して、野宿生活を強いられている方々はビジネスホテルなど緊急宿泊施設に入居しても食料にも事欠く状況にある方が多数います。緊急宿泊支援に加え、弁当配布など食料支援も実施してください。生活保護制度の案内も実施すること。
③ 12月21日(月曜日)から生活保護申請をおこなう相談者に対して、全ての福祉事務所において、無料低額宿泊所などの施設入所を申請受理の条件とする事なく、ビジネスホテルなど緊急宿泊施設に入居できるようにすること。
④ 年末年始に際し、生活保護申請があった場合は、手続きが遅延しないよう速やかに事務作業ができる体制を整えること。
⑤ 年末年始に際し、生活保護申請者に対し、受給決定までの生活資金は、生活できる適切な金額を一括して貸し付けるよう、各福祉事務所に周知徹底すること。

●2020年12月19日 日比谷公園で「コロナ災害なんでも相談会」

12月19日(土)
❶11時~17時まで日比谷公園で開催された、「コロナ災害なんでも相談会」全労連を中心に20団体が参加する実行委員会が主催、反貧困ネットワークと新型コロナ災害緊急アクションは、生活保護と住まい相談ブースを担当しました。私は8名の生活相談と5名の緊急給付をおこないました。
*職探し相談に訪れた30代の男性、「生活保護を利用している事で世間に申し訳ない。周りから偏見で見られたり、バカにされた事もあった。生きていく価値なんかない。死のうと思うことがよくある。」小さな声で何回も呟く。だから仕事を早くしたいという。労働相談と言っても私たちは何と答えたら良いのだろう。単純にここに行けば職探しできるよ!と簡単に終わらせる相談なんてできないと思った。例えば寮付き派遣で雇い止めを受けた方に、もう一度不安定な寮付きの仕事など安易に紹介したくない。助けあい協働できる職場を創り出す事も必要なのだと思う。
*居所がない方の相談が6件あった。全員が仕事がない状態なのでTokyoチャレンジネットのビジネスホテルなど一時利用住宅提供の対象外、高齢者の1名を除いた5名は「生活保護は利用したくない」と明確に意思表示、共通している理由は「生活保護を利用する事が自尊心やプライドを傷つける。」「親や家族の扶養照会」自分が置かれている現状や所在を知られたくない。親に心配をかけたくないと言う。生活保護制度は「権利」本当に苦しくなった時に、誰でも利用できる。扶養照会なんかもう止めてほしいと思う。
❷17時に相談会を終了して、緊急アクションのSOS案件で2件、新宿で待ち合わせ、ここでも2人共に、仕事がない状況で生活保護申請には躊躇されていた。ささえあい基金はあくまで繋ぎであって数日後には給付金は尽きてしまう。Aさんはそれでも昨日行った派遣会社の採用可否に希望を見出そうとしている。Bさんは元パンクロックミュージシャン、「生活保護は俺のプライドが許さない」と言う。自家用車でアナーキーやモッズ、ARB、ブルーハーツを流しながらのアセスメント、80年代の反体制ロックムーブメントの話で盛り上がった。今日会えて、久し振りにボジティブになれたと喜んでいた。連絡待ってるぜ!
➌電話相談会の現場から連絡が来た。今日の電話相談会で対応した所持金100円の男性宅に向かってほしいとの連絡、21時に到着、コロナで収入が殆どなくなり家賃も滞納状態、生活保護利用も選択肢との事なので、丁寧に説明、ここでも扶養照会の件が「立ち止まる理由」となっている。一緒に同行するから平気だよ!と伝えた。来週に連絡が来る。
❹今日は14時~15時30分の間だけ抜けて日比谷から、池袋に向かい、ワーカーズコープの「一般社団法人日本社会連帯機構総会」の記念フォーラムで連帯スピーチをさせて頂いた。
困難状況にある多くの方々、「こうなったのは自分が悪いのです。私みたいな存在が生きていていて良いのでしょうか」自己責任と自助が叫ばれる社会にあって、「連帯と協働社会」の重要性が高まっている。私たち緊急アクションで繋がった方々もアパートで、またも孤立に悩んでいる。仕事がない。真剣に力を込めて「連帯と協働社会」に向けた仕事づくりと居場所づくりが必要だ。連帯のネットワークと協働連携事業を拡げ、準備していく。