9月21日(月)
❶今日は珍しく新規のSOSがない1日でした。連休明けから怒涛の生活保護申請が控えています。パルシステムの応接室を借りて、2名の相談者からの詳細な聞き取りをおこないました。1人目は日本国籍を持つアフリカにルーツを持つAさん、月収8万円程の倉庫作業のアルバイトを続けているが、都内の公園で野宿を続けている事を勤務先の同僚が気づいて連絡してくれたのです。今日は事業所長さんがAさんを連れてきてくれた。Aさんは殆ど喋らず、現在に至るストーリーが掴めない。それでも生活保護を利用してアパートを確保して欲しい。事業所長さんや職場の同僚たちの願いもありAさんは、生活保護申請する事を決めたと言う。職場に通えてアパートも借りやすい福祉事務所で来週、生保申請する事にした。
❷2人目は70代の男性のPさん、繰り返した窃盗罪での2年半の懲役を終えて地方の刑務所から出所して東京にでてきた。少年の頃から貧しく、スーパーで何度も食料を万引きし刑務所に入れられた。自分ひとりでいくつかの福祉事務所で冷たく追い返されたという。その度の福祉の冷たさに怒りの抗議、話を聞いてくれるのは私たちのような民間の支援団体しかないと思ったという。70代を過ぎて、そろそろ穏やかに生きていきたいのだと言う。今日の2人の相談者の支援は通常より困難を極めると予測している。本来は公助の福祉事務所が真っ先に助けなければいけない人がいる。保護しなければいけない人がいる。しかし現状は、本人を証明する物がないとか、施設に入所しないと保護しないなどと主張し、申請を受理しなかったりする。私たちが見放したら誰も助けてくれる人はいなくなってしまう。私たちに「助けてほしい」と声をあげてくれた事に感謝して、できる限りの支援をしよう。
➌夜は蒲田駅に、30代の青年Hさんに会いにいった。9月14日にSOSが入り、緊急対応した。所持金ゼロ円で公園での野宿生活が5日、すでに3日何も食べてなく仕事中に細菌が足に入り、40度まで体温が上昇してしまい、病院でもらった処方箋で、熱が下がるように緊急対応して今日まで宿泊費と生活費支援しながら体調回復を願った。1週間後に再会したHさんは元気になっていた。連休明けの23日に総合支援資金の貸付金が振り込まれる。とりあえず「いのち」が繋がった。少し落ち着いたら、ネカフェ暮らしや止めてアパートで暮らしたいという。引き続き「長いつきあいでいこう。」蒲田名物の羽根つき餃子をふたりで食べた。コンビニ以外の食事は久し振りだと笑った。
9月1日(火) 傷ついた心を癒やす事を優先させよう
❶今日は朝から、ひだんれん・「避難の権利」を求める全国避難者の会・避難の協同センターが共同して取り組んだ「新型コロナ災害下における原発事故避難者 の暮らしと住まいの不安に関する緊急アンケート調査」の結果分析と提言書づくりに集中、。コロナ災害において、一気に生活が立ち行かなくなる人たちの特徴
と原発事故避難者の特徴が重なっている。避難者においては、母子避難や母子世帯も相変わらず多い。原発事故前の生業を失い、避難先で、非正規や不安定就労 における収入しかない。単身世帯は公営住宅すら入居できない。貧弱な住宅政策が追い打ちをかけている事がアンケート調査の結果で解っている。三団体合同で
記者会見の開催を予定すべく準備している。コロナ災害によって、復興支援員などの戸別訪問も休止されたままであると聞いている。孤独死も心配されている。 早急に避難者の実態把握をおこない、生活困窮者を早期に発見して必要な生活支援をにおこなうことを求めたい。
❷夕方になってしまったが、3年間に渡ってサポートしてきた自主避難のシングルマザーMさん が、大和市から都内東部**区に転居したので会いに行く。生活保護申請にひとりで行って水際作戦で撃退されて、SOSが避難の協同センターに来たのがきっ
かけでした、長男のバイト代と障害があるMさんの軽自動車の保有が水際の理由、生保申請は無事に利用開始、その後も軽自動車の所有についての圧力は続くも 撃退してきました。長男は世帯分離して、無事に地方の大学に進学しました。しかしコロナ感染拡大の影響でバイト先の職場が閉鎖され、生活費や光熱費も払え
ず状態、Mさんは生活保護なので経済的サポートができません。苦労して入学した大学生活を経済的事情で断念させたくありません。使える給付金はないか、避 難の協同センターや緊急アクションで支援できる事はないか、これからも伴走していきます。
近くに「良心的兵役拒否」で難民申請中のK君がいる。いつもお腹を空かしているK君とも待ち合わせして3人で顔合わせ、二人はとても仲良くなったようです。
➌夜は、代々木公園からのSOS 20代の女性で所持金は10円 ずっと泣いていました。
5月に仕事がなくなり、新しい仕事も見つけれず、今日から公園で野宿を覚悟した時に、緊急アクションの相談フォームを見つけた。アパートを確保する為に も、生活保護申請を検討してもらう事にして今日から数日、ビジネスホテルに泊まってもらい気持ちを落ちつけて、傷ついた心を癒やす事を優先させよう。今日 はゆっくり休んでください。
8月31日(月) 強いられた自立でなくやっぱり地域で支えあうことが大事です。
❶今日は朝から、新宿歌舞伎町で、SOSを受けて緊急支援した20代の女性Sさんを連れて、**区福祉事務所で生活保護申請に同行、無事に受理されていま す。出会ってから11日がたちました。軽度の障害があるだけで、中学卒業後は学校にいく事もできず、学ぶ場は疎か、地域社会で生きる事を閉ざされた10
年、最近、Sさん自身が打ち明けてくれたのだけれど、自宅に作業所の送迎バスが迎えにきて、軽作業を終えて自宅に帰る日々の繰り返しだったようです。先 週、失われた10年を取り戻す横浜市内小旅行に一緒に出かけた後に、
知人が理事長を担うシェアハウスに入居しました。隔離したり、地域から分断された暮らしの強制でなく、地域社会のなかの一人として生きていくこと、強いら れた自立でなく、地域社会の人々と共に生きる事を通じて学び自立していく事を応援していきます。今日はかなり緊張していたSさん 福祉事務所の職員の質問
にしっかり答えました。帰り道でSさんは「今日は頑張りました。いっぱい褒めてくれますか、」私はいっぱい褒めた後に、「今日も優しい時間をたくさんくれてありがとう」と答えました。
❷午後からは支援してきた3名の20代の青年を連れて自立生活サポートセンターもやいの居住支援担当の土田さんとアパート探しの面談、2人は所持金300 円の状態でSOSがあり、生活保護申請同行、携帯電話は喪失していいます。つくろい東京ファンドの携帯アプリを準備します。
もう一人は群馬県の工場で解雇され、上尾市で生保申請、2時間もかかる東松山市の無料低額宿泊所で、強制収容所のような生活を強いられた。手元に2万円も 残らず、このままでは不可能、企業組合あうんで働く事を前提に荒川区近辺でアパートを探し、強制収容所からの脱出を目指します。3人ともに9月中旬までに アパート転宅を目指します。
➌今日、嬉しい情報が届きました。クルドを知る会からのメールでした。先日の「反貧困ネットワーク埼玉」会議で提案した、公的支援を受ける事ができないで 極度の困窮状態にあるクルド人の支援を、クルドを知る会とフードバンク埼玉がつながり、早速お米160キロが寄付されたようです、8月30日には移住連か
らの支援金と一緒にお米の配布も行うことができたとの事。次は、医療関係の相談も増えているので、医療相談会なども開催できたら良いと思います。やっぱり 地域で支えあうことが大事です。
8月30日(日)
東京の空から大阪の空へ届け! 猫を守るために「いのちを繋げ」
❶今日も4名の相談者からのSOS対応をおこなった。最初のSOSは20代の女性からだった。品川区**駅近くで待ち合わせ、コロナの影響で仕事がなくな り、明日にはライフラインと携帯が止まってしまう。暑すぎる夏は終わらず、携帯が止まると就職活動に影響がでる。今後の生活再建はこれからでも良いから早 く支払いを終わらせようと給付金を渡した。とりあえず間に合って良かった。
❷品川区から2人目のSOSをくれた40代の青年に会いに赤羽駅に向かう。会った瞬間、Tシャツが汗にまみれ汚れていたので、長い間、夏の暑い公園で寝泊 まりしていた事がすぐ解った。2週間以上、公園で寝泊まりしながら、たまにしかない日雇い派遣で食つないでいた。昨年末までは正社員で働いていたが、理由
があって退職した。数年前にくも膜下出血で倒れた影響もあったらしい。現在はイベントの設営で働くが、9月5日に給料が入金されるが、お腹が減り風呂にも 入っていない。力尽きてしまうと彼は泣いた。9月5日までのビジネスホテル代と食費を渡した。今日はゆっくり風呂に入って汗を落としてご飯をしっかり食べてほしい、私は何回も言った。「貴方が悪いのではない。これからだってやり直せる」
彼は「死のうと思ったんです。でも死ななくて良かったです。」ずつと泣き続けていた。
➌赤羽から3人目のSOSをくれた20代の青年に会いに中野区**駅に向かう。福島県いわき市の出身だった。原発事故後に埼玉県に避難した経験がある。その後に親が離婚、警備会社の寮に入り働いていたが、コロナの影響で仕事が減少して寮を追い出された。
今日だけ近くで清掃関連のスポット派遣があったけれど、次の仕事がないという。台東区福祉事務所にいき相談したが、生活保護ではなく、就労支援に回されたという。要するに寮付きの仕事を探し、それまでは施設に入れという意味だよね。もううんざりする対応だ。宿泊費と生活費を渡して、木曜日につくろい東京ファンドの小林さんが生活保護申請同行してくれる。
❹自宅に帰ってから、ほっとしていたらPCからSOSアラートが鳴る。大阪の女性からだった。昨年11月に会社の業績悪化によって全員解雇され、2ヶ月分 の給料、解雇予告手当てが未払いのまま会社に逃げられ、貯金も底をついたという。現在は仕事に就けたが給料日は17日後、手元のお金もなく、火曜日までの
通勤交通費しかなく、数週間、1日一食お米と具なし味噌汁だけの生活、飼っている猫だけは助けたいのですが、ご飯ももう買ってあげられないと言う。大阪で は駆けつける事ができない。とりあえず電話して窮状が緊急性が高い事を確認。原則はお会いしてアセスメントするが、電話で、今後の生活相談をおこないアセ
スメントを完了させた。緊急振込と、反貧困犬猫部長の雨宮処凛さんと協議して2か月分のキャットフードを宅配する事にした。電話の向こうで彼女は泣いてい た。彼女から返事が届いた。「今回のことで、ペットと離れることについて現実として向き合わねばならなくなり、胸が千切れる思いでした。素晴らしいチーム
に助けていただけたこと、皆様方の優しさで、これからもペットと生きていけること、生涯忘れられないです。」
東京の空から大阪の空へ いのちを繋ぎあう。
●野戦病院にいつ休息の時間は訪れるのか!「死にたいけど死んでしまう」悲鳴が続く以上は休息はやってこない。
8月28日(金)
新宿歌舞伎町で、先週金曜日にSOSを受けて緊急支援した20代の女性Sさん、昨日の横浜市内小旅行で「優しい時間」を過ごして、今日は**区福祉事務所 で生活保護申請に同行、軽度の障害があるので、優しい女性相談員と面談、知人が理事長を担うシェアハウスに今日から体験入居を開始、正式入居するかを本人
が決めて、月曜に生保受理する手順ですすめます。シェアハウスの住人も大歓迎 Sさんも大喜びでした。1階に就労事業所があります。楽しいイベントもてん こ盛り!事業所の担当職員も愉快な方で。今後のSさんを見守っていてくれそうです、これから「優しい時間と優しい居場所と優しい仲間」に恵まれて、ゆっくりゆっくり歩いていけばいいよ。
8月18日(火)
暫くは貧乏かもしれないけれど、もう貧困じゃない。
❶先週土曜日に報告した「生保利用の条件は無低を絶対条件にして、入所させられた無低は強制収容所」上尾市で生活保護申請した20代の青年M君、何故か遠く離れた東松山市の無料低額宿泊所という名のもとの強制収容所に入所させられている。
●今日はM君と一緒に上尾市生活支援課に訪問した。海老原市議の仲介のもとの面談となった理由は、M君が5月7日に生保申請受理後、保護決定は19日後、一度もM君と自ら時間をとり面談してこなかった事だ。だから、最寄りの駅から徒歩50分、上尾市役所に通うには2時間もかかる事を担当のCWは今日はじめて知ったのだ。今日の面談の冒頭にCWはM君に言い始めた。就労先の紹介をたくさんしたよね!と、、、でも紹介先企業は「寮付き派遣」ばかりだった。M君は生活保護費受給した後も殆ど所持金がない理由は、面接に行きたくても交通費がなくて面接会場に行けない理由を全く知らなかった。SSSが運営する無低から徴収される金額は79,000円 上尾市の生活保護費は105,000円 食事も2食のはずだが、大した理由でない制裁で1日1食にさせられている。食事代は月29,000円 風呂は17時迄しか入れない。門限は21時で3回遅れたら強制退所、住宅費は風呂とトイレは共同で38,000円、東松山駅から遠く離れた場所で高過ぎないか。M君は、携帯電話代を引けば所持金は月1万円を切る。
●問題は、このような強制収容所のような貧困ビジネスが入所者をどれだけ苦しめているか、私たちのような支援者がSOSを受けて同行して問題化するまで、何故、実状把握しようとしないのか、気づけないのか!コロナの影響で仕事を失なっただけで「働きたい」と願う20代の青年を施設に収容し、集団生活を強要するのか、集団生活を脱するには寮付きしかない。何故、そんな事を言いきるのか!
●私たちの要求である⓵早急にアパート転居をおこなうので上尾市は協力します。②転居費用、家具什器費特別基準支給を約束します。③就職活動に関する交通費を支給します。
④無料低額宿泊所の実態把握をおこないます。以上4点は合意できた事は成果、今回の事例を、海老原議員の協力を頂きながら一歩踏み出していこう.M君は運転免許だけでなくフォークリフトも運転できる。パルシステムの現場での就労先も紹介してもらいながら、転居先を決めてアパートを早期に探していく。沖縄の離島から独りで頑張ってきたM君に「もう独りじゃないよ」。これから楽しい事はいっぱいある。暫くは貧乏かもしれないけれど、
もう貧困じゃない。
❷パルシステムに戻って明日の院内集会と政府交渉の準備と資料印刷、職場の同僚の何人もが協力してくれている。短時間で終了して、片山かおるさんが丁寧に丁寧に伴走している相談者と面会させて頂いた。私も側面から支援していこう。その後に舎人ライナーの沿線で所持金300円の20代の青年がSOSをくれた。20時40分に到着、コロナでコールセンターの仕事がなくなり今日から泊まる場所がない。16時からメールをやり取りし続けた。
「すぐ駆けつけて宿泊費と生活費を渡してくれて、、やばい団体じゃないか」SOSメールを出しながら怖くなったという。何回も何回もメールのやり取りしながら、やっと会えた。
金曜日に生活保護申請同行をおこなう。
8月17日(月)
生活保護は権利のはずなのに権利が剥奪されていいのか! 絶対変えよう!
お盆明けの月曜日、夜中から朝にかけて、緊急アクションの相談フォームに3件のSOSが入ってきた。今週は相談対応と緊急アクションの院内集会・政府交渉など予定が事前に埋まりつつあるので、SOS対応は先送りにできない。次々にSOSが来たら対応できなくなる。そして所持金300円とか、既に路上生活となっていると聞けば、その日のうちに会いにいくしかない。
❶ささえあい基金でビジネスホテルに泊まった二人、今日は13時にIさん、15時過ぎにSさんと福祉事務所で待ち合わせ、結局、両方とも待ち合わせに現れなかった。二人とも携帯なしの方です。IさんもSさんも生活保護の利用経験者、二人とも、ひとりで福祉事務所に行って、結局は施設に入所させられて集団生活に耐えられなくなったり、施設内でいじめを受けたり、ピンハネされまくって就職活動やアパート転宅の費用が貯めることができなかったり、Sさんはパルシステムで開催した大人食堂にも来られていた方です。私より重い足の障害があって少しづつ歩くのがやっとなのに段差だらけの施設に入所するしかないと言われた。家を失った方の生活保護の現状は「施設収容」人権とう言葉は存在しないのか!だから私たちが「生活保護は権利です」と言っても多くの方が拒絶する。人間らしく生きる権利がはく奪されるから、、
Sさんは今晩、引き摺った足でどこの公園で寝ているのだろう。Iさん、Sさん、今度連絡があったらまた会いにいきます。待ってます。
❷17時に新宿西口で待ち合わせした40代のTさん 朝にメールがあった。所持金は300円なので、急遽だが、お会いして宿泊費と当面の生活費を渡した。4日間も職場のパルシステムの近くの公園で野宿していたといいう。月曜から東北の**県の寮付き製造業派遣の仕事が決まっているとの事、ただ詳しい場所まで解らないとの事、生活保護は施設に入れられピンハネされる印象が強くて嫌だった。私からは申請同行からアパート転宅まで私たちが責任を持っておこなう一連の流れを説明、数日中に生保申請に切り替えるか検討してくれる。寮付き派遣を追い出された相談者と多く出会い過ぎたから「安心できる住まい」をまず確保してほしいんだ、
➌朝にメールがあったもうひとりのTさんとはずっとメールでやり取り、住まいはないが派遣の仕事はあるのに、給料が遅配で所持金がなくなったそうだ。今日のところはチャレンジネットに自ら訪問してホテルを紹介してもらったようだ。引き続き連絡を取り合う。携帯は止まっている。メールが唯一の手段だ。
8月15日(土)
生保利用の条件は無低を絶対条件にして、入所させられた無低は強制収容所!
❶住まいを喪失しているので当面の宿泊費と生活費を支援して欲しいとのSOSを受けて、夕方に都庁下で50代の男性Jさんと待ち合わせしました。足に障害がありゆっくゆっくり歩いてくる。**区で生保を利用しているが、数日前に失踪して野宿生活を続けていたという。生保申請時の条件が無料低額宿泊所かに入所する事が条件だった。足が悪いJさんはバリアフリー対応の施設を求めましたが、そんな施設は空いていないと断られたそうです。部屋もベニヤをつけて個室にしただけの劣悪な環境に耐えられなかった。週末は役所が空いていないので、ビジネスホテルでゆっくり休んでもらい、週明けに担当ケースワーカーと面談して今後の事とバリアフリー、もしくは段差が少ない個室を求めていきたい。
❷新宿から埼玉県中央部にあるH市に向った。20代のM君の悲痛なSOSだった。離島から首都圏にでて働きにでてきた。しかし、寮付きの住み込み派遣しかなかった。コロナの影響で寮付き派遣を追い出され、埼玉県中東部にあるA市で生保申請し5月から利用開始している。ここでも生保受理の条件が施設入所だった。M君が入所させられたのは、鉄道路線も違い、最寄りの駅から徒歩50分、A市役所に通うには2時間もかかる。H市のSSSが運営する無低に入所させられた。A市の生活保護費は10.5万円、しかしSSSに施設費用として7.9万円が徴収されていた。食事も2食のはずだが、大した理由でない制裁で1日1食にさせられている。携帯電話代を引けば所持金は1万円を切る。求職活動の交通費も年捻出できない。門限の21時を三回破ったら強制退去だ。CWとも面談は一度もなし、SSWに丸投げです。来週に市役所に一緒にいき、CW及び上司含め、実状を報告し、アパート転居を要求します。
●生保利用の条件は無低を絶対条件にして、入所させられた無低は強制収容所!
福祉事務所はSSSに丸投げするだけで良いのか!
8月14日(金)
コロナ感染再拡大で、人もまばらになった東京の街で、取り残された人々が泣いている
「死にたくないけど死んじゃう」
19時過ぎに届いたSOS!所持金が200円しかないと書いてある。所持金が1000円を切って野宿生活になる場合は、できる限りその日中に現場に向かう事にしている。
●今晩、待っていた青年Mさんは、昨晩から池袋の公園で野宿していた。新宿区が5月末で、東京都の通達を無視してまで、ウソをついてネットカフェ難民の人たちを、緊急避難先であるビジネスホテルから追い出した87名の中のひとりだ。6月以降は友人の家に泊めてもらいながらスポットで働いていたが、その友人も仕事がなくなり家をを出るしかなく、再開されたネットカフェで暮らしていたが、所持金が尽きて野宿生活となった。
●Mさんは以前、生活保護を利用した事があった。一度目は貧困ビジネス民間団体「FIS」10年前にニュースで報道された。約2千人の生活保護受給者らから多額の利用料を集め約5億円の所得を隠し脱税したニュース、埼玉県や千葉市の傘下宿泊所が入所者の金銭を無断で管理、劣悪な宿泊所運営で逃げ出す入所者も多い。Mさんによると当時、新宿駅周辺で困っていた時に声をかけられ、そのまま車に乗せられ、生活保護申請にFISの職員が同行し、そのまま無低に入れられたという。最後は施設長がMさんに「お金を貸してほしい」と言われて、所持金の殆どが吸い取られて失踪したという。もう一度はあるドヤにある無低で入所者の同僚から執拗な暴力的ないじめにあって失踪したという。この2回の経験はMさんに集団生活に対する恐怖感を持たせる事になった。
●Mさんに来週はどこで生活保護申請にいくか希望を聞く。4か所の区名があがる。既に大半の区がビジネスホテルの斡旋を止め始めていて無低か自立支援センターなどの入所しか選択肢がない。ビジネスホテルが斡旋されても転宅できるアパートがほぼない区も増えている。Mさんの壮絶な失踪経験を聞けば、ビジネスホテルが斡旋される自治体を選択するしかない。こんな事では、生保申請先が偏るのは当たり前だ。こんな事では悪い対応で追い返す自治体を改善する事はできない。でもMさんにとって三度目の人権侵害はさせない。相談者の人権を守る事が最優先だから
●Mさんがいいました。「新宿駅バスタの構内で「助けて」と紙を掲げている40代の男性がいました。でも誰も声をかけていないんです。私は声をかけたくても自分も同じなので声をかけられなかったのです。」移動中の車の窓越しに、キャリーを持ち路上にうずくまり泣き出しそうな女性が見えました。コロナ感染再拡大で、人もまばらになった東京の町に取り残された人々が泣いている「死にたくないけど死んじゃう」
8月13日(木) 虹の橋を渡って天国で幸せになるんだよ
❶パルシステム地域活動委員会主催では、秋葉忠利さん(前広島市長、平和首長会議議長)の講演会が開催しています。昨年2019年12月5日から7日にかけて韓国の春川市で開催された「北東アジアの平和共存に向けた日韓平和フォーラム」では私も関わる「日韓市民交流を進める希望連帯」が日本側の事務局を務め、「基調講演」を秋葉さんにお願いしました。
春川から金浦空港までの帰路をご一緒させて頂き、私が取り組んできた原発避難者とヒロシマの事、社会運動としての協同組合運動の今後など、助言と励ましをたくさん頂いたのです。その縁で、パルシステムの平和学習会の講演を電話でお願いしたら快諾頂きました。
今日は生保申請者同行があり途中退席、今度は広島に会いにいきたいと思います。
❷14時から**区の福祉事務所にて一昨夜に多摩地域の**駅からSOSを受けた20代のSさんと一緒に生活保護申請に同行しました。素直で礼儀正しい青年です。元々、サッカーのコーチになる事が夢だったようです。高校を卒業した時に正規職に就けず、現在まで非正規や派遣職を転々としてきたのです。Sさんは、3年前に同じ多摩地域の**市で生保を利用したが、劣悪な無低に入所させられた揚げ句に過酷な集団生活を強いられ、手元には月二万円しか残らず逃げるしかなく。その後は、ネカフェ暮らしだったようです。今日の生保申請の際にも「無低から失踪した理由」を何回も年配の相談員から聞かれたSさん、相談員は「何でもかんでもビジネスホテルに一時宿泊させ、アパートに転宅すれば、それで終わりで全て良いと思わない。ちゃんと家計管理や、少し嫌な事があっても大人社会で生きていく為に我慢しなければいけない時だってある。自立支援センターで頑張ってみるという方法もあるんだ。」と言う。相談員がすすめる自立支援センターは私も知っていて最大入所期間は6か月間、都内に5か所ある。勧められた自立センターは、**区で、自主事業で居宅支援事業を取り組み、アパート転宅までおこなう東京援護協会が東京都から委託され運営している。一般的な悪質な無低とは違う。しかし相部屋だ。結果的にSさんの希望通り、ビジネスホテル➡アパート転宅の方針ですすめる事になった。今日から1か月間、ビジネスホテルに宿泊し、私も責任を持ってアパート転宅の作業をすすめる事になった。
➌生活保護申請が終わり、外に出ようとしたら、空は真っ暗になって凄い雷が鳴り、ゲリラ豪雨状態だった。暫く外に出れない。濡れたスマホに非通知の着信が鳴ったが、濡れた電話に迅速に出れなかった。とても嫌な予感がした。1時間後に雨宮処凛さんから電話があった。反貧困犬猫部で3か月近くサポートしてきた18歳の老犬チワワが息を引き取った。最期に雨宮さんが立ち会ってくれた。5月中旬に路上から老犬チワワと一緒に、住まいを失った女性からのSOSで出会って以降、チワワは一飼い主さんと抱きしめあいながら、一生懸命生きてきた。丁度、東京の空には虹がかかった。虹の橋を渡って天国で幸せになるんだよ。本当にありがとう。
8月12日(水)
❶午後からフイリピン人家族のお母さんと息子さんを連れて、横浜市**区の福祉事務所に向かう。相談内容は、生活保護を受けたいと横浜市の都筑区役所に行ったところ「そういうことならフィリピンに帰ったら?」と言われた。来日して15年、日本にずっと住める在留資格もあるのに、そのような対応は不当です。違法です。5人暮らしで、以前は収入は夫の収入のみで月に30万あったのが、コロナ禍以降は収入が半減してしまった。生後4か月の赤ちゃんがいるのでお母さんは働きに行けないのです。
今日お会いしたら「私、生活保護は利用したくない。」と言い出したので早速、区役所内で心配して駆けつけてくれた大野市議と寿の森ひでおさんと生活相談に変更しました。このような場合は、生活保護申請を前提に相談するのではなく、家計状況の把握を優先して話を聴きます。家計支出の固定費合計と流動費合計を一覧化し、この間の収入金額を月別に把握してみました。確かにコロナ禍以前の収入を前提に家計が組み立てられていて、元々が貯金できる余裕がなかったので、現在の収入減では、完全に家計崩壊してしまいます。日本語ができるのですが、全て理解する事が難しかったので、帰宅してから情報を再整理、「住居確保給付金」をまず利用できそうです。郵送でなく、窓口で丁寧に相談するように伝えようと思います。9月以降に完全に仕事を失う可能性があるとも聞いているので、引き続き連絡をとりあい孤立しないように対応していきます。福祉事務所の協力が特に必要な事例です。
❷帰宅してから福島原発避難者支援3団体(ひだんれん・全国避難者の会・避難の協同C)合同ZOOM会議です。協同して取り組んだ「新型コロナ災害下における原発事故避難者の暮らしと住まいの不安に関する緊急アンケート調査に寄せられた95世帯からの回答の内容を共有し、今後の報告会や困窮状態にある避難者ひとりひとりへのアウトリーチ方法を協議、全体の30%以上がコロナ感染拡大の影響で家賃支払いが苦しくなっているとの回答、大半が民間賃貸住宅避難で月収入が20万円以下が60%近い。仕事を失っている避難者もいる。回答してくれた避難者は全国に散らばっているので役割分担を明確にして対応していく。避難の協同センターや「反貧困ささえあい基金」の給付も活用していく事が確認された。9月2週に報告会を開催することも確認した。
8月11日(火)
朝の段階では今日のSOS対応も生活保護申請もないので、F公論の取材を受けて久しぶりに床屋で散髪する事にした。蜜を避ける為に、理髪師が少なく何と3時間待ちとなってしまった。待っている時間に「ネクストシェアーポスト資本主義を生みだす協同プラットフォーム」を読む。コロナ後の社会における、社会的連帯・労働協同組合の可能性について、再び考えはじめている。いやいや、可能性ではなく地域での協同なしにはつながりの貧困は解決できない。
●散髪を終えて溜まった仕事を片付けようと帰路につこうとしたらSOSメールが来ていた。
東京多摩地域の**駅から20代の青年が所持金300円の状態で、昨日から公園で野宿生活をしているそうだ。20時30分に待ち合わせし、中央高速を走らせた。地元の前市議さんも駆けつけてくれた。上司に耐えられず、少し前に職場を退職、寮から退去するしかなく、ネカフェで暮らしていたが所持金が尽きた。役所に相談にいったが、生活保護相談ではなく、就労支援で、寮付き派遣の仕事を紹介されただけだった。そもそも家を失って相談に来ている青年の相談に何故、就労支援担当がでてくるのでしょうか。。以前に寮から追い出されそうになった相談者と一緒に中野区に相談にいった時に、窓口にいた職員の方が、「生活保護を利用したらどうでしょうか。まず住まいを確保しましょう」と助言してくれたのです。
相談者の青年は、4年前に同じ多摩地域の**市で生保を利用したが、劣悪な無低に入所させられた揚げ句に過酷な集団生活を強いられ、手元には月二万円しか残らず逃げるしかなかった。その後4年間ネカフェ暮らしだったようです。今日はとりあえず生活保護申請同行までの2日間のビジネスホテル代と生活費を渡す。移動中の車中で「ベッドで眠れて浴槽でお風呂に入れるのは4年振りです。」と嬉しそうだった。
8月10日(月)
今晩は反貧困ネットワークの全体会議でした。反貧困ネットワークの役割はコロナ以前と以後では明らかに変わりました。反貧困が呼びかけて設立した「新型コロナ緊急アクション」の運営と相談者からのSOS対応とささえあい基金の運用まで、ネットワークに留まらない支援団体としての役割が強まっています。私たちのようなネットワーク団体が。担うべき役割を自覚し、様々な現場で困窮者の救済と生存権の回復に奮闘している各団体の運動を横で繋ぎ、「社会運動」として可視化する必要があります。その為に、事務局人材の補強をはかり、常勤体制を確立すること、反貧困ネットワークを任意団体から法人組織に変更する検討を開始します。「反貧困緊急ささえあい基金」の寄付金は、9千万に達する見込みである事から、事業体レベルの領域に達し、責任を持った運営が求められるからです。給付事業のみならず協働連携事業など事業内容など具体化し、臨時総会を招集し提案することになります。今日から阪上武さん、西田えみこさんが加わりました。私が個人的に目指したいのは「希望の連帯協同組合」みんなが少しづつ力を寄せ合い社会を変えていくこと。平和運動や反差別運動や脱原発や環境運動を横でつなぎあう「希望連帯の社会運動」を目指すこと。夢を恥ずかしがらずに語ろう。
8月9日(日)
今日は、反貧困犬猫部が横浜市内に緊急出動した。犬猫6匹と暮らす女性から、一昨日に家賃滞納で強制退去が迫っていると泣きながら電話が来た。犬猫部長の雨宮処凛さんと寿医療班の森ひでおさんと緊急出動!コロナの影響で仕事が激減した。生活保護の利用を開始したが、生活保護費の住宅扶助費より、家賃が大幅に高いマンションに住んでいた為に、生活扶助費の多くを住宅扶助費と家賃の差額分を捻出しなければならなかった。更に彼女を追い込んだのは、入居時はペット可だったのが、今春の契約更新で、ペット不可物件に一方的に変更、納得できないと契約書にサインできないと主張したら、強制退去を強行しようとしている。家賃も一方的に六千円値上げされた。反貧困犬猫部としてはチーム力で対応していく。福祉事務所にも理解を求めながら進めていく。猛暑の中、支援に繋がれずに途方に暮れる人がこの国にはまだまだたくさんいる。
(写真のワンコは我が家のバンビ)
8月8日(土)
一緒に歌った尾崎豊の『I LOVE YOU』と17歳の地図
将来、有名になって人助けします。
●17歳の少年K君からのSOSを受けたのは5月13日だった。あれから約3か月近く経つ。今日で新たな人生のスタート地点に発った。所持金は200円 東京の芸能プロダクションのモデルオーディションに合格し、高校を休学して地方の町から上京、アパートを借りて、アルバイトしながらレッスンを受ける計画だった。上京した途端にコロナ感染拡大で全てが狂い、アパートの家賃は払えない。シングルマザーの母に頼れない。すがる思いでSOSをくれた、17歳だった彼を連れていき、生活保護申請同行、住んでいたアパートを退去して個室シェルターで、正式にアパートが借りれる18歳の誕生日を待った。7月20日誕生日を迎え、もやいの土田さんが超スピードで少年お気に入りの新築同様のオシャレなアパートを探してくれた。昨日、正式契約を完了させて今日は、企業組合あうんで家具什器と布団やカーテンを揃えた。お盆休みに入った時期なので、運べる荷物は昨日と今日に分けて私の自家用車で運んだ。
●私の車で、尾崎豊のデビューアルバムの「17歳の地図」が流れた。僕らの若い頃に、社会や学校の中で感じる葛藤や抵抗と心の叫びを表現した尾崎の話をしてみた。知らないと思って話したのだけれど、18歳の彼はオザキを知っていた。特にI LOVE
YOUは35年以上も経つのに、今でも10台に歌い継がれているそうだ。K君にとっての17歳の地図は、死ぬかなと思って必死にメールしたSOS!今日からまた新たなスタートを踏み出す。コロナ禍で大変な時代を生きていく。今日はK君を新宿ごはんプラスとTENOHASHIの路上相談会に連れていった。K君は言った。「必ず有名になって、17歳の頃に多くの人に助けられたんですよ!と言いますね。」そして「僕も人助けができるように頑張ります。」
TENOHASHIの相談会の時に横に座っていた、山本太郎さんが「悪い例の先輩だけど頑張れ」と笑った。
●昨日の日本人支援者からのSOS「タイ人の青年が野宿生活をしている、助けてほしい。しかしタイ語しか話せない」TENOHASHIの相談会が開催されている東池袋中央公園で待ち合わせた。あれ、2名に増えている。韓国視察でご一緒させて頂き、タイ語が解る内山富夫さんがTENOHASHIのボランティアで公園にいる。内山さんとタイ語ペラペラの友人を介して会話をおこなう。2名ともに、在留資格は数か月残っている。二人ともにタイ料理のコックらしい。コロナの影響で仕事を失っている。1人は3~4日後に寮付きのレストランの求職結果がでる。もう一人はこれから自ら職を探す必要がある。シェルターを検討したが、新宿・新大久保圏内を離れる事は地理も解らない。シェルターはこの近くにない。とりあえず短期の宿泊費を渡すに留めた。方策が見つからないのだ。多くの外国人が職を失い、路上生活に追い込まれている。給付金も8月末に終了見込み、、公的支援は皆無に近い。会話が通じずコミュニティとの繋がりが弱い外国人が先に追い込まれている。民間でできる事は少ない。
8月6日(水)差別することなく、日本に生きるすべての人を対象に平等な公的支援を
今日は本来、被爆75周年原水爆禁止世界大会の分科会「福島の10年、原発事故の責任を問う」でパネラーとして参加するはずだった。コロナ禍で実現できずにオンラインでビデオ収録となつた。そして今日もコロナ禍で生活困窮に苦しむ人々のSOSに走り回る1日となった。来年こそ広島にいきたいと願う。
●先週末からいままで、日本国籍の方からの新規SOSは減少している。一方で公的支援から除外された外国人からのSOSが急増している。最低限の生活も保障されないまま放置され続けている外国人が様々な地域にいる。今日だけで4件のSOSが届いた。この間、献身的に外国人を支援している小さな団体や個人からのSOSが連続して届いている。自宅の部屋を提供して、食料援助と財政的援助する。地域の人から路上で外国人が途方に暮れている。橋の下で外国人が寝ている。また飛んでいく。財政的にも心身的にも擦り減らしながら「誰ひとり見捨てない」仲間がいる。だから仲間からのSOSにも飛んでいく。
●大田区で以前、生活保護申請同行、現在アパート転宅している男性宅に訪問した後に、港区芝公園にある日清窟というお寺に向かう。在日ベトナム仏教信者会とともに、ベトナム人留学生や研修生、技能実習生の支援を行っている。昨日、、日新窟を拠点に『NPO法人日越ともいき支援会』を結成し支援活動を行なっている吉水慈豊さんからSOSが入った。「生活困窮に苦しむベトナムの若者たち16名を日新窟に預かっている、全員がお金がない。助けて欲しい。」送金して解決しようと考えたが、状況を把握する事と今後の日越ともいき支援会との関係づくりが必要と考え、移住連の稲葉奈々子さんと一緒に訪問した。10名の若者たちが待っていてくれて、ひとりひとりの状況を直接聴かせて頂いた。
●多くは技能実習生だった。縫製やうどん工場で働いていたが、給料から毎月2万円ピンはねされ、失業手当もでない。経営が厳しくなると真っ先に解雇される。20代の青年は、鳶職で働いていた。社長に鉄パイプで殴られて指も骨折、腕に深く切り傷があった。昨日、。吉水さんは、5人を保護した。お金が無い、住むところが無い、仕事が無い元技能実習生。出頭して仮放免で短期ビザになった若者たち。コロナ禍、学費が払えず退学した留学生もいた。失踪した若者達が、出頭すると仮放免となる。現在は短期ビザになるが、就労不可、この様な状況の若者が激増してます。『せめて出国する日まで、就労出来る様にして欲しい』それか国が住む所と、食べる事を支援して欲しい。吉水さんは言います。
●今日はひとりひとりに状況を聞いた後に1人当たり2万円の給付金を手渡ししました。ある女性はお金が入った封筒をそのまま吉水さんに手渡して言いました。「このお金は、ベトナムに帰る時の飛行機代の為に預かってください。」吉水さんや僕らは言いました。「いまこそ、ちゃんと食べなきゃ駄目だよ。」女性は泣いていました。現在、飛行機代は高くて2万円ではベトナムに帰れません。そうです、皆が帰れないのです。吉水さんが言いました。「私たちも何とかお金貯めるから無理しちゃ駄目だよ。」皆で涙を流してしまいました。早くベトナムに帰してあげたい。
●帰宅して24時頃に、通訳してくれた大学生の女性からメールが来ました。彼女も生活に困窮している。コロナ禍でアルバイトがなくなり家賃と、学費の90万円が払えない。でも彼女からのメールにはこのように書かれていた。「私は、高校生のときに今までの生活をより豊かにしたいとおもい、さらにドラえもん漫画を通じて日本は夢をかなえられる来るだと思い、18歳のときに一人で未知な日本へ夢をかなえに来ました。日本での生活は楽しみ、悲しむ、苦しみすべて味わっていた私は日本のことが好きになり、将来母国と架け橋になればいいなと思っています。しかし、コロナウィルスの影響で生活は困難な状況に落ちってしまいました。瀬戸さんからのあたたかい支援を頂き、誠に感謝しております。本当にありがとうございます。私は、瀬戸さんの話を通じて、自分は留学生活に身につけてきた語学力と異文化経験を活かし、困っている外国人に助けることがありましたら是非連絡してください。少しでも力になりたいです。私は、日本のことが好きですので、来日してきた外国人の人々も日本のことが好きになって欲しいと思っています。」 私はこのように答えるしかなかった、「私はいまの日本が皆さんを苦しめている事について申し訳ないと思います。ごめんなさい。毎年のようにベトナムに行きますが本当に親切にして頂いていること、美味しすぎるベトナム料理 ハンモックで寝ているおじさんと一生懸命働いているおじさんの風景と会話が大好きです。皆さんの生きる権利を守るために頑張ります。
●日新窟を出発して、都内**区に向った。到着したのは20時30分、日本語が堪能な21歳の青年が待っていた。国の名前は書けない。「良心的兵役拒否」を行使し日本に逃れた青年だ。現在の地球上では、軍隊または国防のための武装組織を保有する約170か国のうち約67か国に徴兵制度が存在するが、そのうちの30カ国しか法的な対策を取っておらず、拒否した場合は投獄される。死刑となる国も存在する。彼は現在も働ける事が認められる在留資格が下りず貧困状態にある。私も9条の平和憲法を守る立場である事を話した。2万円の給付を渡すだけの関係ではいけないと思った。これからも連絡をとりあおうと約束して別れた。
●私たち市民が求める日本は、弱者がいじめられないで生きてゆける社会。世界も同じ。 見せかけの繁栄はもうたくさん。その基本あって、年とった人も若い人も、女も、男も、 陣害をもった人も、外国人も、誰もが、国の内外にわたって、自然をだいなしにせず、 おたがい差別されず、支えあいわかちあい、おたがいの生命いのちを大事にして、 自由、平等、平和に生きてゆける
(市民の意見30の提言より)
差別することなく、日本に生きるすべての人を対象に平等な公的支援を速やかに実行してください。
8月4日(火)8月19日に議員会館で中間報告会と政府交渉開催を決定しました。
今日は第4回新型コロナ災害緊急アクション実行委員会のZOOM会議でした。
現場でのSOS対応からアパート転宅までの一連の支援活動に集中していた関係で、本来の緊急アクションの重要な役割である社会運動化や問題の可視化と政策提言などの事務局作業が遅れていた。コロナ感染が再拡大するなかで更に企業倒産や閉店が相次ぎ、仕事と住まいを失う人々が急増するだろう。住民票を喪失した野宿者や公的支援から外された外国人は低額給付金さえ受給する事すらできずにいるのに、給付金受付は自治体によってだが8月末には多くの自治体が申請受付を終了する。生活弱者はPCR検査も受けられず、生存権は奪われ棄民化される。今日の実行委員会では、緊急アクション中間報告会と政府交渉を開催する事を決定した。
●反貧困緊急ささえあい基金中間報告
収入部門 集計期間 7月末日
収入部門 ささえあい基金 2,047件 78,190,502円
犬猫基金 276件 3,866,464円
合計 2,323件 82,056,966円
給付部門 直接手渡し給付 87件 1,978,500円
団体連携手渡し給付 43件 1,107,000円
移住連外国人給付 485件 16,535,000円
合計 615件 19,620,500円
残金 62,436,466円
●8月19日に議員会館で中間報告会と政府交渉を開催します。
日時:2020年8月19日(水)
会 場:衆議院第一議員会館大会議室
13:30入館証配布 受付開始
第一部 新型コロナ緊急アクション 第二回中間活動報告会
14:00 反貧困緊急ささえあい基金の報告と活動報告
瀬戸大作(新型コロナ災害緊急アクション事務局)
14;15 コロナ災害を乗り越える
「いのちとくらしを守る何でも相談会第3弾報告
猪股正(弁護士 何でも相談会事務局)
14:25 支援現場から見えた、外国人への公的支援の必要性
クルドを知る会
14:40 生活保護申請同行の現場から 公的住宅支援の必要性
稲葉剛(つくろい東京ファンド)
14;50 労働相談から見えてきた企業の責任と労働組合の取り組み
渡辺寛人(NPO法人POSSE)
15:05 終了
第二部 政府交渉
15:15 支援を受けれない外国人の公的支援を求める政府交渉
16:15 困窮者支援に対する住まいの公的支援を求める政府交渉
17:05 野宿生活者への給付金支給と感染対策を求める政府交渉
18時終了
8月3日(月)
「いままでだって独りだった。これからも私なんか誰もわからない所でひっそり生きて、死んでいく。でも生き続ける事ができない不安」遠くの町のネットカフェを転々しながら何日も続けて届いたメール、6月9日に神奈川県の**駅でやっと会えた20代前半の女性のSさん、今日は2回目の生活保護費の支給日、大人や地域社会の不信感は強く、細い線であっても繋がり続けている。彼女は、いまだに家具什器費も使わずにいた。部屋には何もない。「家具や食器や電化製品と食器を揃えよう」といっても、今までの期間、揃える事ができなかった。「いつ私は消えてしまうか解らない。荷物を持たない方が良い」でも彼女は、いま暮らすアパートでとりあえず生きてみようと考えた。一緒にニトリにいった。若い女性らしく、安くても可愛くお洒落でアジアンテイストの食器を手にとる。家に帰って購入したい商品をセレクトするようだ。ありきたりの寝具セットではなく「ハンモックは駄目かな?」と二人で笑った。「い草のゴザも良いけど寝具で認めてもらえないかな~」とか、楽しくおかしな家具什器選びかもしれないけれど、上限金額に収めるから認めてほしいな。彼女は一歩づつ前を向いて歩き始めている。信用されない大人たちのひとりかもしれないけれど伴走しようと思っている
●3か月間、多くの20代~30代の若者の生活保護申請に同行し、アパート転宅まで実現してきた。全ての若者たちが「早く仕事がしたい。」と願い、その後に就職先を探してもコロナ禍の雇用大不況で仕事が見つからず、独りぼっちの部屋で悶々としている。新たな孤独が始まり、精神的に病んでしまう状況にある。多くの若者たちが、正規社員の職に就けず、安心できる住まいもなく、ブラック企業で道具のように働かせられ、捨てられた。また二度と繰り返す事のないようにしたいが、私たちの力ではどうする事もできない。追い詰められた人間を、門前払いする地獄絵図が展開されている。グローバリストの政治家たちの責任は大きい。
8月2日(日)
練馬区立勤労福祉会館で開催された、練馬区内の九条の会4団体共催の「福島を風化させない~続く避難生活のなかで~映画
上映と講演の集い」のゲストトークに、中川あゆみ監督と一緒に参加しました。上映された映画「ふたつの故郷を生きる」は、2017年3月末で住宅提供が打ち切られたために避難者家族が受けたさまざまな困難、生活苦から心身の病気になり自死する人までの姿を描いています。私たち避難の協同センターの支援活動や、政府に政策改善を迫った交渉風景も描かれています。コロナ禍なのに会場の定員を超える参加者数でビックリ!私の話は「新型コロナ緊急アクション」を通じた住まいや雇用を喪失した方の支援活動を中心に原発事故避難者のコロナ感染における生活影響をアンケート分析に基づき報告 参加者の皆さんもかなりビックリしていたようです。
●帰宅して、消耗する電話対応と関係者対応に時間を費やす事になってしまった。120名を超える対人支援を3か月の間におこなってきたが、相談者によっては元気に自立する人もいれば、また孤立してしまう人もいる。連絡がつかずに、逃げ出してしまうのではないかと心配な人もいる。いちばん拙いのは、聞いていた話と本当の事実が違い過ぎる事。正直に言ってくれれば良かった「辛さ」を言えずに、結果的に取り返しがつかない事態になる。支援者と当事者との関係の作り方、距離感、地域に繋いでいくこと 本当に悩ましい。
7月31日(金) 8月は私たち支援者にとって大忙しになる事は確実だ。
❶今日は朝10時より、日曜日に新宿駅からSOSを受けて給付支援した20代の青年と一緒に生活保護申請に同行する予定だったが自宅を出発する直前に「身体の調子が悪く来週に延期してください。」とのメールが入る。週末を超えるので宿泊費と生活費を補充するよとメールする。丁寧にメールをくれる青年なので、明日会いにいこうと思う。少し時間が空いたので、豊島区で生保申請し無事に板橋区のアパートに転宅している青年に会いにいった。4月に新橋駅からSOSを受けた。九州から上京し、赤坂の居酒屋で働いていたがコロナで仕事を失った。仕事が大好きで早く仕事がしたいが、身分証明を喪失している事が就職を困難にしている。マイナンバーカードの申請をしているが、取得まで2か月かかるという。これからも連絡をとりあう事にした。
❷13時からは厚生労働省記者クラブに移動して、8月8日(土)に開催される「コロナ災害を乗り越える 「いのちとくらしを守る何でも相談会第3弾」の記者会見に参加、記者会見の冒頭に私のスマホが誤作動!ブルーハーツのメロディーを大音響で流してしまいました。雰囲気を明るく元気にぶち壊してしまい申し訳ありません。私からの報告は、支援現場のリアルな状況報告、コロナ感染者数が再び増加している状況で、再び、雇用に決定的な影響が出始めている。定額給付金や持続化給付も滞納家賃や税金などに使い果たしている事、1度きりの給付で終わりにしてほしくない事、公的支援から外されている外国人の救済が早急に必要と強調しました。
➌厚労省から反貧困ネットワーク事務所がある飯田橋で、他の相談者の明日以降のアセスメント計画づくりと電話かけ、18歳の少年もアパート転宅に向けて大詰めです。事務所をでて帰宅しようとしたら、昨晩21時頃にSOSを受けた女性からのメールが届いた。この間、私たちの相談フォームには性風俗で働く女性からのSOSが続いている。4月の緊急事態宣言以後は仕事がなくなり、6月以降は戻りつつあったが7月以降は、また激減して最近は客数の大幅減少で、お店に出勤しても収入ゼロが続いているという。ネットカフェで泊まりながら出勤する方も多いのだという。今回の感染拡大でお店自体が閉店を余儀なくされる事態が続発するのではと危惧している。SOSを受けた女性には、夜から朝にかけて、給付金支援と生活保護申請同行の提案をおこない、17時頃に返信があり、18時30分頃に待ち合わせ、ビジネスホテルでゆっくり泊まって頂いて、来週月曜日に生活保護申請に同行する。月曜日は同じ境遇にある相談者の生保申請同行がある。つくろい東京ファンドのメンバーと分担して申請同行する。8月は私たち支援者にとって大忙しになる事は確実だ。
❶午前に渋谷区役所を林弁護士と一緒に訪問、相談者Kさんを連れて治田区議と面会し渋谷区生活福祉課長に状況説明と協力を依頼した。Kさんは4月に勤務していた職場の勤務日数を半減するよう通告され、生活ができないので拒否した途端に、週2日分の給与を前払い金として支払われ解雇されたが、離職票には会社都合でなく、本人都合と記載され抗議したが訂正に応じない。Kさんはその後、日雇い派遣を続けながら、食いつないできたが困窮度は増すばかり、生活保護を最後の手段として検討するが納得できないという。
◎住居確保給付金は(H27年〜)より前の利用であれば、過去の利用は問わないが、Kさんは2年程前に利用していた。このような場合、本人都合の場合は給付対象外となる。最後の命の綱は、4月20日付け厚労省通達文書では、「離職票上は、自己都合であっても、労働基準法の違反があったと疑われる事実
が申請者により証明されれば、本人の責に帰すべき重大な理由による解雇ではないことから、再支給の対象として差し支えない。」と記されている。労働裁判になれば長期化は避けられない。Kさんの生活が持たない。失業給付金も対象外とされている。福祉課長には柔軟な対応を要請した。
❷自宅に戻って、増えている相談やSOS対応に時間を費やす。対応は私ばかりが担っているわけではない。千葉でも茅ヶ崎でも電話で連携しながら地域の市民団体や市議さんが対応してくれている。多摩市から外国人からのSOS、市議さんが動いてくれている。私は避難の協同センターが関わる「新型コロナ災害下における原発事故避難者の暮らしと住まいの不安に関する緊急アンケート調査」を通じた避難者からのSOSも来ている。8月から住まい探しに協力したり、訪問対応で今後の方向性を決めていく。避難者もコロナで暮らしが追い込まれている方が増えている。21時頃に緊急アクションの相談フォームにも2件のSOSが入った。明日から土曜日にかけて対応体制にはいる。チームで乗り切ろう。
7月29日(水)
何も恥ずかしがる事はない。これから必ず良い事がある。一緒に考えていこう。もう独りじゃないよ。
❶今日は地元の練馬区社協:ボランティア・地域福祉推進センター主催の「第1回練馬区避難者支援団体連絡会」に参加しました。練馬区内で毎年2月に開催される福島イベントで原発避難者問題の講演に呼ばれていますが、必ず練馬区社協の職員も欠かさず参加頂いています。今日の連絡会立ち上げも一緒に準備してきました。区内で活動しているボランティア団体や練馬子ども保養PJ、東京災害ボランティアNW、行政からは避難者名簿を把握している練馬区危機管理課、福島県復興支援員も参加、私の登場は少し違和感ありという状態。
◎福島原発事故による練馬区内避難者の状況は7月末時点で81世帯179人、2012年当初段階では177世帯482人だったので、半減している。応急仮設住宅の供与終了後に相談が増加すると予測したが、自助努力で住まいを確保したのではないかと社協からの報告、私からは、避難の協同センターも関わる「新型コロナ災害下における原発事故避難者の暮らしと住まいの不安に関する緊急アンケート調査」でも、コロナの影響で大幅な減収や解雇で来月から食べていく事ができないとの声も散見されている。
◎参加団体や社協、復興支援員からは4月以降、避難者宅の戸別訪問を中止、交流会なども同様の状態であり、ひとりひとりの悩み事や状況把握が不充分となり孤独と孤立が深刻化している。元々の「避難者支援団体連絡会」の立ち上げ意図が行政と支援団体が協力して土日も含めたアウトリーチをおこなう事だった。だからこそ、コロナ感染拡大で避難者が孤したり困窮に陥っていても気づけない状態だけは拙い。クルドを知る会が個別訪問を自粛する代わりに、時間と人数を決めて基金とお米や生活用品の配布会を兼ねて、生活相談もできるようにするなど工夫をしている。参考にできないかと提案した。私たちは避難者明名簿を持っていない。練馬区が個人情報を管理している。ぜひ連携してほしい。次回の会議は10月となった。その間に事態は更に深刻化する。
❷自宅に戻り、今日はSOSは来ないようだと判断、来週の緊急アクションと反貧困ネットワーク会議と政府交渉の準備と避難者アンケートの定量分析作業をはじめた途端にSOSはやっぱり来た。池袋駅周辺の路上で20代の女性が、所持金が尽きた状態で待っている。21時に待ち合わせを約束して駆けつけた。住まいは喪失して携帯電話も止まっている。4月に仕事がなくなり、その際に緊急宿泊支援、その後に仕事が復活したが7月以降はまた仕事がなくなった。私のご用達のビジネスホテルにお連れして、いつもお世話になっている従業員さんによろしくと伝える。このホテルは朝食も美味しいよ。緊急宿泊費と生活費支援をお渡しして、生活保護含め、今後の方向性を一緒に考えていく。私からは「何も恥ずかしがる事はない。これから必ず良い事がある。一緒に考えていこう。もう独りじゃない、」今晩はゆっくり寝てください。
7月27日(月) つくろう「希望連帯社会」!
先週の連休を控えた22日(水)にSOSを受けて大塚駅前でお会いしてビジネスホテル代と生活費をお渡した青年、今日の午後から豊島区の福祉事務所で生活保護申請に同行すべく待ち合わせしたが、40分程待っても現れず、最近、SOSを受けて現地に向かっても約束時間に現れない場合も含めて、このようなパターンが最近増えています。皆さんからの寄付金なので残念ですね。青年さん これからでもやり直せるからと呟き、待ち合わせ場所を後にして、本来の職場である(はず)のパルシステムに久し振りに戻る。
●夕方は参議院議員会館で、福島みずほ参議院議員に呼んで頂き、「インターネット対談:コロナ災害から命と生活を守るために」にゲスト出演 後で確認してみたら三千人を超える視聴者がいたとの事、、支援現場のリアルを一部で終わらせずに社会的に可視化しないといけません。でも、いつもいつも気にかけて励ましてくれる福島さんに会えて、一気に疲れがすっ飛びました、本当にありがとう。つくろう「希望連帯社会」!
7月26日(日)
民間団体のギリギリの連携で「公的支援を受けれない外国人」の生存権を守る戦いが続いている
❶昨日に緊急アクションの相談フォームにSOSを頂いた20代の男性と新宿駅でお会いしした。出身地は私が20代後半の時に住んでいた町だった。有名なスーパーマーケットの正社員で働いていたが、超絶な長時間残業の連続で身体を壊し退職、その後、日雇いのお仕事を3年間続けながら、ネットカフェで生活していたが、コロナの影響で仕事が無くなり、所持金も今日で尽きた。節約の為に1日1回カップラーメンを食べてしのいでいて、今日から野宿生活を考えていると彼は呟いた。私はいつものように「生活保護を利用すれば安心できる住まいが確保できる。まずアパートで暮らして少しづつ生活再建しよう」と提案した。彼は以前、生活保護の相談にひとりでいったが、冷たく追い返された経験がある。仕事は大好きで今すぐにでも働きたいという。寮付き派遣の仕事に応募しているから応募したいという。私はこの間の支援で、寮などの住み込み派遣などで働いていたが仕事がなくなり、住まいを失った人々を多く支援してきた。だから慎重であってほしい。緊急宿泊費と生活費を
お渡しして本人の判断に一任した。帰宅後にメールが来ました。「生活保護申請の同行をお願いします。」はい。了解です。安心できるアパートを確保して一緒に前に進みましょう。
❷新宿での対応中に、移住連の稲葉奈々子さんからの緊急アラートが鳴る。今日も蕨市立文化ホールで「クルドを知る会:主催の相談会が開催され、反貧困ささえあい基金からの給付金がクルドの方など、コロナ禍で生活困窮に追い込まれた方ひとりひとりに手渡しされているという、しかし2週間前の相談会より、深刻な相談が急増しているという。特に雇い止めや仮放免で仕事ができず支援者からの支援も支援者自身が生活がきびしくなった事で途絶え、家賃滞納で退去を命じられている案件が増えている。急遽、相談会に向い対応を協議、外国人でもアパートを一定期間、貸してくれる知人に連絡した。いくつか入居できる可能性がでてきた。民間団体のギリギリの連携で「公的支援を受けれない外国人」の生存権を守る戦いを続けている状況だ。
7月25日(土)
社会の底が抜けてしまった事がたまらなく寂しい。。
❶12時過ぎに渋谷区内の某所で待ち合わせ、最初に相談を受けて1か月近くが経過している。7月7日に渋谷区神南にあるハローワークに同行している。相談者Kさんは4月中旬まで勤務していた事業所から突如、週2回の勤務に変更してほしいと言われて拒絶した事を理由に、雇い止めの通告がされた。残りの2週間の週2日分の給与を前払いする条件でサインさせられた。当初は離職票に「会社都合」となると聞いていたが、後で送られてきた離職票には「本人都合」に書き替えられていた。住居確保給付金は、離職の理由を問わず支給される。離職したことだけで支給対象になるはずが、いまだに給付申請が受理されていない。役所もハローワークも、会社都合以外は出来ないと主張しています。来週に林弁護士と一緒に渋谷区役所に同行する事にしました。最近、同様の相談が増えています。7月に入り、非正規や派遣就労の現場は仕事がない状態です。先週からやり取りしている相談者は、正規の営業職だが給料の殆どが営業給のために給与が激減している。様々な給付金制度は使いやすくなったが、給与が激減したり失職した方の多くが給付対象外で苦しんでいる。今朝の新聞に掲載されていた「コロナ禍の中
生活が苦しくなった世帯が無利子で借りられる「緊急小口資金」の申請が殺到し リーマンショック時の何と80倍」の記事 事態は更に更に深刻化している。
❷14時にもやいと新宿ごはんプラス合同の都庁下での相談会に合流し、一昨日の夜に大阪からSOSがあり昨日、東京に戻ってきた方と今後の生活相談、問題が複雑化していて、溢れる社会と人生の怒りと哀しみが止まらない。優先順位を決めて、1つづつステップを踏みながら解決しようと1時間かけて提案。今日の「新宿ごはんプラス」もパルシステムの多くの仲間がボランティアで参加 疲れる相談の後でのパルシステムの仲間との会話は疲れを癒します。
➌16時30分に板橋区の埼玉県境の駅で昨晩遅くにSOSメールを受けた相談者との待ち合わせ、相談者は来なかった。最近このようなパターンが増えている。いずれにしても社会の底が抜けてしまった事がたまらなく寂しい。
7月24日(金)
日付を超えた深夜の1時過ぎにも緊急アクションの相談フォームにSOSが届いています。
24日、私が担当した緊急対応は、、宿都庁前で待ち合わせした女性。生活保護を既に利用中だが、劣悪な無料低額宿泊所から逃げて、全国各地を彷徨ってしまった。今日は宿泊費をお渡しして、明日に弁護士さんも加わって頂いて今後の相談をおこなう。阪上さんが千葉の相談者に自宅に向かってくれています。今日だけで相談が来て対応をおこなっている件数は6件。いつまでこのような緊急対応が続くのでしょうか。
❶今日は東船橋で反貧困ささえあい主催の「第5回コロナ緊急相談会inふなばし」に参加しました。地域の支援団体や自治体議員の方がたくさん集まっていて、相談者がどこにいるか解らない状況です。千葉の相談会はあまりにもアットホームで相談者と支援者がすぐ仲良くお喋りしてしまいます。今日も船橋市福祉事務所で「無低に入所しないと生保を受理しない」と言われて抵抗し、板橋区で私が生保申請同行して、現在は無事にアパートで暮らしているTさんも卒業生として参加 船橋で何年も路上生活をしていて、ささえあい千葉の相談会に来たら、アットホームな仲間たちに救われた。ささえあい千葉の支援メンバーもT
さんの元気な姿と楽しいお喋りに救われているんですよ。
❷私が相談を担当させて頂いたのは、50代前半の男性Kさん 船橋周辺で約4年 路上生活を続けてきた。所持金はゼロ。出身はパルシステム神奈川ゆめコープ**センターのすぐ近くだった。両足が腫れていて壊死しないかと心配だ。「生活保護申請が受理されたら、無料券でお医者さんに診てもらう事ができる。安心できる住まいも確保しましょう。」船橋市は「無低に入所しないと生保を受理しない」と明言した自治体、相談者の安心を最優先して、船橋の居住支援法人㈱あんどの西澤社長にその場で連絡して先に「一時緊急保護」用のアパートに先に入居して月曜日地元議員さんにお願いして生活保護申請に向かう。
➌船橋を出発して相模大野に向かう。神奈川の困窮者サポートでお世話になっている杉浦さんからの要請なので断れない。6月に相模大野駅頭でコロナの生活相談会をやっていたのを知っていて、杉浦さんの携帯に電話があったとの事。コロナの影響で相模原の会社を解雇され、寮を追い出され、ネットカフェを転々とし、資金が底をついた。この3日は泊まるところもなく野宿。待ち合わせ場所は相模大野駅前で夜9時だ。しかし、1時間待ったが、本人は現れず。携帯電話も喪失していて連絡がつかない。今頃、彼はどうしているだろう。「とにかく生き延びてほしい。」
7月22日(水)困窮者にとって大型連休は、困った時に駆け込む場所が無くなる事を意味します。
❶午前は5月中旬にSOSを受けて支援を継続してきた17歳の少年が、昨日に晴れて18歳の誕生日を迎えた事を受けて、早速、練馬区内のアパート内見をおこないました。いつもお世話になっている、自立生活サポートセンターもやいの居住支援担当の土田さんの尽力で、若者から見てもカッコイイ内装とロフト付きの新築同然のアパートを正式に申し込む事になりました。元々、モデルを目指して上京してアルバイトしながらレッスンを重ねていく矢先のコロナ災害 本当についてなかった。正式入居が決定する事を願います。
少年は「モデルになってから俳優を目指すか、歌手を目指すか考えているんですよ~」
このポジティブな姿勢 やっぱり若いです。
❷その後は荒川にある企業組合あうんに移動して時間差での「家具什器」選びと見積もり書づくり」です。SOSを受けて緊急対応した男性、15時からは、神田駅からSOSを受けたSさんは**区の居宅支援が責任を持ってアパート転宅 このような福祉事務所が増えてほしいですね。16時からは蒲田駅からSOSを受けたOさん 地元区議の奈須りえさんからの紹介の生活保護の方に理解がある不動産屋さんが探してくれました。今日、冷蔵庫・洗濯機やレンジなど諸々の什器を揃え、新居に運ぶ明後日に転居が決定しました。私の役割は段取りをつくり進行させていく事です。あうんさんには毎週毎週、アパート転宅が決定できた相談者を連れての訪問、在留資格がなく公的支援を受けれずい困窮する外国人へのお米の支援も。あうんさんに有機農家よりお米を集まて、精米して袋詰めまでお願いしています。私たちの支援活動にあうんの存在は欠かせません。協同労働をこれからもよろしくお願いします。
➌今日は4連休の前日でした。また役所や福祉事務所が閉まってしまいます。公的支援の窓口が閉まるという事は、困った時に駆け込む場所が無くなる事を意味します。夕方以降、立て続けにSOSが入りました。あうんさんのどっこい食堂で「オムライス」をご馳走になり、フードバンクの食料カンパを受けて、18時に新宿駅西口で待つ青年に会う。大阪で生活保護を利用していて仕事が全くなくて東京にでててきたけれど、東京では更に仕事がない事が解ったけれど、帰る交通費もない。生活保護廃止の危険もあるので、交通費を渡してなるべく早く大阪に戻る選択をしました。19時30分に池袋に移動、所持金が128円しかなく携帯電話も喪失した青年だった。今まで3年間日雇いのアルバイトで生活をしてきたが、コロナ災害で3月以降仕事が少なくなり野宿やネットカフェにて生活をしてた。緊急事態宣言後も週2日程度日払いで働きながら頑張ってきましたが7月に入り仕事が週一程度になってしまったという。彼が高校時代に過ごしていた町を私もよく知っていた事もあって、高校時代から現在までの事を話してくれました。現在の制度では生活保護を利用するしかない事を話して、連休明けの月曜に生活保護申請に行く事にしました。緊急宿泊日数は5泊になります。リーズナブルな価格でサービスが良い、私のご用達のビジネスホテルまで一緒に向ってチェックイン!5泊は本当に長いけれど、生保申請からアパート転居まで責任を持って支援する事を約束しました。
●明日からもの連休、役所が閉まり、民間の支援団体にSOSが集中する可能性があります。困窮者にとって連休は「生き延びる事への阻害」なのです。私たちにとってもコロナ禍での連休は阻害そのものなのです。
7月21日(火)新宿の路上では以前より段ボールの寝床が長く延びていた。
●連合会館で夜に開催される「さようなら原発1000万人アクション」実行委員会の前に被爆75周年原水爆禁止世界大会のオンライン分科会の「福島の10年、原発事故の責任を問う」の動画出演の収録に参加しました。コロナ災害さえなければ、世界大会に参加できたかと思うとやっぱり残念です、武藤類子さんと弁護士の海渡雄一と私の3名の分科会に出演しています。YouTube「被爆75周年原水爆禁止世界大会公式チャンネル」にて、各種動画が配信されます。ぜひ観てください。
●今日は定期通院の日だった。尿検査に血液検査、多忙過ぎて心配だったが特に変調はない事は良かったが、閑散とした待合室に鳴りやまない電話、同時並行で6人のアパート転宅を進めていたので、不動産屋さん、ケースワーカーさん 家具什器と引っ越しを担当する子企業組合あうんさんとの電話打ち合わせが続く。この間、相談に乗っているクルド人の方からは病院にいきたいが、仮放免の状態で無料低額診療で病気の専門病院が見つからないとの電話、移住連の稲葉奈々子さんとも連絡をとりあい、いくつかの病院を紹介するが、やっぱり受け入れは難しいという。引き続き、明日も調べてみる予定
●緊急アクションの相談フォームにSOSが入る、江戸川区のトルコ人の20代の青年からだ。以前に京都のホテルで働いていて日本語は堪能だ。2月に来日し難民申請をおこなったが現在でも許可が下りない。所持金も僅かとなり食べる物もない。6か月経てば就労が可能になるから、その時まで食いつなぎたいとの事。さようなら原発の会議を中座して20時30に自宅前でお会いし緊急生活給付金をお渡しする。早く在留許可が下りる事を祈るしかない。
●江戸川に移動中に緊急SOSが鳴った。僕らの活動を追い続けている映像集団ドキュミームの松井さんからだ。新宿駅近くで路上生活者が具合悪そうにしている。まだ40歳くらいの女性だという。傍に20年以上も新宿で路上生活をしている優しいおつちゃんがいて、助けてあげてほしいという。江戸川から新宿の路上に向った。詳細は省くが女性が座っていた路上には以前より段ボールの寝床が長く延びている。お互い助け合っているようで、コミューンのようだ。路上生活は3年以上、通りがかりの人から食料をもらって生活している。でももうガリガリに痩せている。
生活保護は「迷惑かけたくないから受けない」。と最初は言っていたが、以前に医療券が欲しくて区役所に何回もひとりで行ったが酷い対応で追い返された経験があると言う。僕らは「私が一緒に同行するから生活保護を申請に行こうよ」と言うしかなかった。生保を利用してアパートに入居して医療券で無料で病院で治療して身体を治して仕事を見つけようよ」
と言った。最初は拒絶していたが、優しいおっちゃんも勧めてくれる。でも今日はカンパでもらったらしい安酒で酔いが回り、寝てしまった。でも否定ではなく「考えてみようかな」と変わってくれたのは嬉しい。名刺を渡して「連絡してくれたら飛んでいくよ!」と言って別れた。また会いにいくよ。
「内堀福島県知事は安倍政権に忖度し、福島県職員は内堀知事に忖度する」日本社会に深く覆う閉塞感を象徴するのが福島県庁の姿
最後に訪問したのが3月初旬だった福島。東京オリンピックの聖火リレーを目前にして常磐道と全町避難が続いていた双葉駅町の双葉駅など常磐道と常磐線の3駅が開通し、一部地域の避難指示が解除された現地を訪ねた。駅を少しそれた場所の高過ぎる放射線量、菅野みずえさんの浪江町津島の自宅も放射線量 二度と帰れない故郷 この事実を映像として記録して「世界にフクシマの現実を告発する」予定だった、その後は、コロナ災害で更に追い込まれた困窮者からのSOSに奔走する日々が続いた。久し振りの福島は、武藤類子さんが代表を担う「ひだんれん」と福島県交渉 半年ぶりの開催でした。
●ひだんれんからの要望項目は
①国家公務員宿舎の入居者に対する「2倍の家賃請求」をやめること。
②また、国家公務委員宿舎からの「立ち退き」提訴をやめること。
③帰還困難区域からの避難者の住宅提供の打ち切り通告を撤回し、すべての避難者の意向と生活実態にそった住宅確保を保障すること。
④新型コロナ災害下における被害者・被災者への対応について
●今日の交渉で、私たちが驚き落胆したのは、対応した避難地域復興局と生活拠点課の担当職員の無気力対応!現在でも国家公務員住宅を退去できないでいる避難者34世帯が、どのような事情があり退去できないでいるのか、把握しているのか、していないのか明言を避け続ける姿勢に終始、このような態度を見て思います。「この人たちに何を言っても何の反応さえ示さなくなっているんだという事。」「内堀福島県知事は安倍政権に忖度し、福島県職員は内堀知事に忖度する」日本社会に深く覆う閉塞感を象徴するのが福島県庁の姿です。、原発事故被害者の暮らしの厳しさを直視せず、たとえ被害者が自死したり倒れようとも、正義を主張したら「外される」などは存在しないのです。忖度を貫き通すしかないのでしょうか、
●私は何回も強調しました。「退去できない避難者の多くは非正規就労しかなかった。月10万しかない状態でどうやって転居費用を捻出できるのか。収入が少なく引っ越し費用は都内で20数万円かかる。退去を迫るのであれば、転居費用を援助するとか、公営住宅の入居基準を緩和して、60歳未満単身の方も入居するとか、県の支援策をあらためて示すべき。支援策なき退去強制はありえない」福島県職員は無反応。来年は原発事故から10年、避難者の医療費援助も打ち切られるのではと危惧している。
今日は蕨市立文化ホールで開催されている「クルドを知る会:主催の相談会に参加しました。私たち新型コロナ緊急アクションが取り組んでいる「反貧困緊急ささえあい基金」の生活給付金と「コメと野菜でつながる百姓と市民の会」の米を、支援を求めているクルドの皆さんに手渡ししながら、生活相談に対応します。
●クルドを知る会では、移住連(が行う「移民・難民緊急支援基金」と、反貧困ネットワークの「緊急ささえあい基金」からの支援金を、非正規滞在の難民申請者家族の元へ、一軒一軒、届けて回ってきた。6月末現在で、埼玉県蕨川口の在日クルド人難民申請者に基金やお米で支援した人数は、すでに200名を超えています。コロナウイルスの感染者数が再び拡大する状況のなかで、訪問お届けを休止し、広い会場で時間を指定して、参加していただく方法に変更しています。密を避けてじっくり相談をうける事ができるよう工夫しています。エレベーターホールに続々と小さな子どもを連れたクルド人家族が来られています。今日は30家族ぐらいが参加するようです。
●ささえあい基金とお米の支援が、クロドを知る会のブログに掲載されていました。
⓵「食べること減らして、3回から2回、このごろは1回。いろんな友だち、親戚のところ行って、ご飯、食べさせてもらう。でも、友だちも困ってる。もう頼めない、どうしよ思った。ほんとに、ほんとに……」
②「この助けをもらって、わたしたち、見捨てられなかった、そう思ったです。ほんとに嬉しかった。子ども、学校で10万円の話、自分だけもらえない、友だちと違う言って、家で泣いたです。でも、今日、助けがきた。みんな一緒、みんな同じ」
③子どもの衣服は汚れ、赤ちゃんのオムツはパンパンに膨らんで重たそうだ。気になって尋ねると「もうない」そう言ってオムツを外し、お尻を丸出しにしたまま「これで大丈夫」と言った。
●20時まで相談会は続きます。事前アンケートを見ると2家族が「ランドセルがほしい」と書かれていました。他にもできる事は一杯ある。特に、非正規滞在の難民申請者たちが多くが訴える「病院に行きたい」入管での収容生活で体調を悪化させ、仮放免で野に放たれ、働く事もできずない状態で、ますます体調を悪化させています。
●新型コロナウイルスによる困窮は国籍や在留資格に関係ありません。公的支援が受けられるように、仮放免者や短期滞在者も住民基本台帳に記載してください。とくに仮放免者・短期滞在の場合は公的保険に加入できず、治療費が高額になるため、受診を控えた結果、深刻な健康問題が生じています。在留資格にかかわらず、医療サービスを受けられるようにしてください。。無料低額診療の公的援助を国の責任でおこなってください。
❶午前は**区の福祉事務所に先週7月8日に生活保護申請同行したSさんと一緒に担当ケースワーカーとの面談 無事に生保決定通知がおり、7月の保護費が支給されました。その後に「居宅支援事業」の相談員との打ち合わせ、**区が他区市と比べて安心できるのは、アパート転宅支援を丁寧におこなう。来週火曜日に区内3か所のアパートの内見が決定しています。私が担当する作業は家具什器を揃える事ぐらいです。このような「ふつう」の対応をしてくれる福祉事務所が増えれば、僕らの負担も少なくなる。何よりも本人が、安心できるし、これからの人生、前を向いて歩いていけるのです。
❷**区福祉事務所から急遽、上野公園に向かう。朝9時30分に届いた30代の男性から緊急SOSがあり、駆けつけた。所持金は600円、原発事故時は、福島県の浜通りに住んでいて、県外で避難生活を経験していた。その後の生活はいろいろあって他県の地方の町で暮らしてきた。就職活動のために東京に来たが、所持金が途中で尽きた。故郷の浜通りの住所を聞いた。3月に訪問した福島の現在の状況を話した。もう彼は福島に帰る事はないと言った。自宅がある地方の町への交通費は往復券なのである。とりあえず生活給付金と緊急宿泊費を渡し、ホテルまで一緒に行ってチェックイン、、これからも連絡をとりあう事にした。私は原発事故被害者は責任を持って対応していきたいと思うから、、、
コロナ禍の影響で、外国にルーツをもつ方々のなかでも生活に困窮する方が急速に増えている。反貧困緊急ささえあい基金給付金額の多くは移住連をつうじた「支援からこぼれ落ちた外国人」からだ。「死にたくないけど死んでしまう」そのようなSOSを受け、現場に向かう。ここ数日、外国人からのSOSが続いている。
❶今日の夜20時過ぎに埼玉県西部のカメルーンの20代の男性に会いにいった。所持金はゼロ。食料もない。英語での会話しか通じないので、移住連の稲葉奈々子さんも一緒です。数か月前に来日して難民申請したが、現段階でも許可がおりていない。難民申請の結果がでるまでには平均3年、長い場合で10年近くかかる。難民申請中は、政府からの支援金を受けることができるが、支援金を得る審査に数ヶ月かかる。、申請後6ヶ月すると就労が許可される。それまで何とか食いつなぎたいと彼は言う。埼玉県西部にもう一人心配しているカメルーンの方がいる。既に野宿生活となっていて、一度SOSを受けたがお会いする前に連絡が途絶えている。
❷午後は「ささえあい基金」で緊急生活給付金で支援したクルド人宅を訪問し、その後の近況を聞かせて頂いた。仮放免(在住は許可するが就労は不可)の状況で生活困窮の悩みは深刻度を増している。コロナ禍での密を避けるためか、入管に収容されている外国人の多くが仮放免とされているが、就労ができない為に、経済困窮を極める。これまでは支援者に生活を支えてもらっていたが、今回その支援者も収入が減り、支援母体だった教会でミサができなくなり献金がなくなるなど、支援者に頼ることもできない。今日の方も体調が悪いが、健康診断も受けていない。仮放免者・短期滞在の場合は公的保険に加入できず、治療費が高額になるため、受診を控えた結果、深刻な健康問題が生じる場合が多い。「ささえあい基金」の給付だけでなく、何か私たちでできる事はないか、多くの宿題を頂いて次の場所に向った。
➌クルドの方の窮状を踏まえ、医療生協さいたまの埼玉協同病院を訪問し、公的支援からこぼれた外国人への「無料低額診療」の実情をヒアリングさせて頂いた。「無料低額診療」は、医療や介護が必要であるにも関わらず、支払いが困難な方に対し、病院の裁量で医療費等の減額や免除を行う社会福祉法第2条に基づく事業です。仮放免などの外国人には就労が認められず、生活保護の受給や国民健康保険への加入もできず、医療費は全額自己負担、医療の頼みの綱が無料低額診療、しかし公的補助もなく国保などで補てんされず、医療機関の持ち出しになっている。協同病院では、相談を重視し、まず公的制度を使えるかどうかを確認し、使える場合は申請手続きを行い、制度がない場合は無低診(無料低額診療事業)を使うプロセスですすめるといいます。本来は政治や公的責任で実施すべきであり、民間が医療費や運営資金を持ち出すべきでない。しかし目の前で病や怪我で倒れている人を助けない訳にいかないのです。関東では群馬の北関東医療相談会(AMIGOS)が検診、検診結果の説明、要治療者のフォローを実施していて首都圏では川口、清瀬で連携して年1回平均で医療相談会を開催している。政府や都道府県には公的支援を求めると同時に、「反貧困ささえあい基金」で給付した外国人で病院に行きたくても行けない方の情報を把握している。どのような手法であれ、医療に繋げる取り組みを真剣に考えている。